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森で見つけた呪われ少年を看病していただけなのに、王太子殿下に溺愛されています  作者: 葉月晴子
第一章 呪われ少年と、ちっちゃな看病係

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第32話 ノエルが、初めて、私に「忘れるな」と言った日

秋の名残がいつのまにか、消えていた。


朝の空気が針のように冷たい。


私はお母さんに編んでもらった赤いマフラーをぐるぐるに巻いて、白い息を吐きながら、ローゼンタール離宮へ向かった。


──ノエル、今日もお庭、歩けるかな。


──寒くなったから無理はさせないようにしよう。


そんなことを考えながら、門をくぐった、その時。


玄関のところでセバスチャンが立っていた。


「セバスチャン、おはよう!」


「ーー、リリィ様。おはよう、ございます」


──、!


セバスチャンの顔がまた、いつもと違った。


笑顔はある。


けれど、その目の縁がほんのり、赤い。


「セバスチャン、また、泣いてた?」


「ふ、ふふ、年寄りは寒いと目が潤むものです」


セバスチャンは慌てたように目元を白い手袋で押さえた。


──嘘。


──セバスチャン、いま、嘘、ついた。


──いつものすぐ泣くセバスチャンと今日のこらえているセバスチャンはちがう。


胸の奥にまた、あの小さな棘がちくり、と刺さった。


◇◇◇



ノエルのお部屋の扉をいつものようにノックした。


「ノエル、おはよう」


返事はなかった。


そっと扉を開ける。


ノエルはベッドの中ではなく、窓辺の椅子に座っていた。


膝の上に本。けれど、ページはめくられていない。


ただ、じっと窓の外を見ている。


──、!


──ノエル、なんだか。


──遠く、を見ている。


「ノエル?」


声をかけてもノエルはすぐには振り向かなかった。


私がベッドの脇まで近づいて、もう一度、呼んだ。


「ノエル、おはよう」


「ーー、来たか」


ようやく、振り向いた青い瞳はいつもよりずっと深かった。


その瞳の底で何か、私の知らないものが揺れていた気がした。


「ノエル、どうしたの?」


「ーー、なんでもない」


「ほんと?」


「ほんとうだ」


──嘘。


──ノエルも今日、嘘、ついてる。


セバスチャンとノエル。


二人とも私に何か、隠している。


胸の棘がもう、棘ではなくなってきた。


何か、大きなものが私たちの周りで静かに動いている。


そんな気がした。


◇◇◇



いつものようにお薬を出し、お茶を淹れた。


絵本を読もうとしたけれど、ノエルは本をぱたりと閉じてしまった。


「ノエル、本、読まないの?」


「ーー、今日はいい」


「ノエル、お腹、痛い?」


「痛くない」


「眠い?」


「眠くない」


「じゃあ、ーー」


「リリィ」


ノエルが私の言葉を遮るように私の名前を呼んだ。


その声がいつものぶっきらぼうな声ではなかった。


ずっと深くて。


ずっと静かで。


ずっと私のことだけを見ている、声だった。


「な、なに?」


ノエルはしばらく、私の顔をただ、じっと見ていた。


長いまつげが青い瞳の上で震えていた。


それからぼそりと言った。


「お前はぼくのこと忘れるな」


──、!


「えっ?」


「お前はぼくのことを忘れるな」


二度、繰り返された。


「な、なんで急に。私、ノエルのこと忘れるわけ、ないでしょ?」


「ーー」


「毎日、会ってるんだから。明日も明後日もずっと、ーー」


そこまで言って、私は言葉をのみこんだ。


ノエルの青い瞳が痛いほど、まっすぐに私を捉えていた。


その瞳の奥に私がまだ、見たことのない、悲しみのようなものがたしかに揺れていた。


「ノエル、ーー」


私の声が震えた。


「ーー、いや。なんでもない」


ノエルはふい、と目を伏せた。


「忘れろ」


「忘れない」


私は即答した。


「ノエルがなんて、言っても私はノエルのこと絶対に絶対に忘れない」


「ーー」


「だって、ノエル、私のいちばん、大切な、人だもん」


──、!


言ってから自分の言葉に自分がびっくりした。


──大切な、人。


──そうだ。


──ノエルは私の家族と同じくらい、いちばん、大切な、人。


ノエルの青い瞳がぎゅっと閉じられた。


長いまつげの上に小さな水滴がひと粒、光ったのが見えた。


◇◇◇



帰り道。


灰色の空からふわり、と白いものが舞い降りてきた。


「あ」


私は空を見上げた。


ふわり。


ふわり、ふわり。


──、雪。


──冬の訪れ。


冷たい結晶が私の頬に降りて、すっと溶けた。


ノエルの「忘れるな」がまた、耳の奥で響いた。


──なぜ、急にあんなことを言ったの。


──私、ずっとノエルのそばにいるのに。


──ずっと毎日、会いに来るのに。


胸の中で雪がしんしんと積もっていくみたいに不安が静かに重くなっていった。


ふと振り返るとローゼンタール離宮の二階の窓にノエルの影が見えた。


私が手を振るとノエルの影も手を振り返してくれた。


──ふふ。


──ね、ノエル。


──私、絶対、忘れない、よ。


そう、心の中でもう一度、誓った。


冷たい雪が私の赤いマフラーの上にひと粒、ふた粒、降り積もっていった。



リリィ・ホーニング、七歳の初冬。


呪われた男の子に薬草を運ぶ日々、約八ヶ月。


ノエルが初めて、私に「忘れるな」と言った、雪の降り始めた日。


──私たちの周りで静かに何かが動き始めていた。けれど、私はまだ、その正体を知らなかった。

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