第29話 ノエルが、私を「ぼくのもの」と言った日
夏のよく晴れた午後。
ノエルのお部屋の窓は大きく開けはなたれて、青葉のにおいのする風がゆっくりと通り抜けていた。
私はいつものようにベッドの横の椅子に座って、ノエルに村のお話をしていた。
「あのね、ノエル。今日ね、パン屋のおじさんが焼きたてのロールパン、おまけしてくれたの」
「ふん」
「それでね、お花屋のお姉さんとすこし、お喋りしてたら、遅くなっちゃって」
「ーー」
ノエルの返事がふっと途切れた。
見るとノエルは本を閉じて、窓の外をじっと見ていた。
「ノエル?」
「ーー、お前は」
「うん?」
「ーー、いや」
◇◇◇
ノエル、最近、こういうこと増えた。
何か言いたそうにして、途中でやめる。
「ノエル、なんでも話していいんだよ」
「ーー」
ノエルの青い瞳がちらり、と私を見た。
それからまた、窓の外へ。
「お前は毎日、いろんな人と会うんだな」
「うん? パン屋のおじさんとか、お花屋のお姉さんとか?」
「ーー」
「みんな、優しいよ。ノエルのこと応援してくれてるし」
「ーー、ふん」
ノエルの眉がほんの少し、寄った。
──あれ。
──ノエル、なんだか、機嫌、悪い?
◇◇◇
私は首をかしげて、ノエルの顔を覗き込んだ。
「ノエル、どうしたの? お腹、痛い?」
「痛くない」
「じゃあ、眠い?」
「眠くない」
「じゃあ、ーー」
「リリィ」
ノエルがぼそりと私の名前を呼んだ。
いつもの「お前」じゃ、なくて。
「リリィ」と。
胸がとくん、と鳴った。
「な、なに?」
ノエルはしばらく、黙っていた。
長いまつげが青い瞳の上で震えている。
そして、消えそうなくらい、ちいさな声で言った。
「お前はぼくのものだ」
──、!
──え。
──ぼくのもの?
頭の中がぐるぐる、と回った。
「えっ、ノエル、今、なんて?」
「ーー、忘れろ」
──出た、忘れろ。
けれど、ノエルの青い瞳はいつもの照れ隠しとちがった。
もっとまっすぐで。
もっと本気の色をしていた。
◇◇◇
帰り道。
夏の夕日が空を橙色に染めていた。
私はノエルの言葉を何度も何度も思い出していた。
──お前はぼくのものだ。
──どういう、意味なんだろう。
私はまだ、六歳だから難しいことはよく、わからない。
──でも。
ノエルに「ぼくのもの」って言われた時、胸がとくん、と鳴ったこと。
ノエルのまっすぐな瞳を見て、顔がぽっと熱くなったこと。
それだけははっきり、覚えていた。
私もノエルのことが世界でいちばん、好き。
ずっとずっとそばにいたい。
──ふふ。
──これがもしかして。
──恋、って、いうのかな。
夏の風が私の頬をくすぐって、通り過ぎていった。
リリィ・ホーニング、六歳の夏。
呪われた男の子に薬草を運ぶ日々、約三ヶ月と数日。
ノエルが初めて、私を「ぼくのもの」と言った日。
──私の胸に初めて、予感が芽生えた日。




