第19話 一ヶ月経って、ノエルの頬がほんのり色付いた日
森でノエルを見つけた日からちょうど一ヶ月。
私は毎日ローゼンタール離宮に通った。
雨の日も。
風の日も。
晴れの日も。
お母さんの薬草茶を持って、絵本を楽しみにして、ノエルのぴょこっと振ってくれる手を楽しみにして。
◇◇◇
その日はちょうど土曜日。
お兄ちゃんのエリックが隣町の学校から家に帰ってくる日だった。
「おかえり、お兄ちゃん」
家の玄関でお兄ちゃんを迎えた。
エリックは相変わらず薬学の本を抱えていた。
「ただいま、リリィ。元気だったか」
「うん」
お兄ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でた。
「お母さんから聞いたぞ。毎日館に通っているそうだな」
「うん」
「ノエル様のご様子はどうだ?」
「すごく、お元気になったよ。立ち上がれるようになって、髪も私が梳いてあげて、紅茶も一緒に飲んで絵本も読んでくれてーー」
私は嬉しくてお兄ちゃんにいっぱい報告した。
エリックはふふっと笑った。
「楽しそうだな」
「うん、楽しい」
「明日、ぼくもノエル様にご挨拶に行ってもいいか?」
……!
お兄ちゃんがノエルに会いに来てくれる。
「うん、行く、絶対、行く」
◇◇◇
次の日。
私はお兄ちゃんと二人でローゼンタール離宮へ向かった。
二階の窓にはいつものノエルの影が見えた。
「ノエルーーー、おはようーーー」
と。
ノエルのちっちゃな手がぴょこっと上がった。
けれど。
私の隣のお兄ちゃんを見て、影がぴくっと固まった。
あれ。
ノエル、お兄ちゃんを見て警戒した?
ふふ。
ノエル、知らない人が苦手だもんね。
◇◇◇
寝室の扉を開けるとノエルはベッドの上にぷいっと顔を背けて座っていた。
「ノエル、こんにちは」
「……」
機嫌、悪いみたい。
「ノエル、今日はお兄ちゃんもまた一緒に来てくれたよ」
「見ればわかる」
「お兄ちゃん、またノエルのお体を診せてくれるって」
私はお兄ちゃんをノエルに紹介した。
エリックはぺこりと深くお辞儀した。
「ノエル様、またお邪魔します。リリィの兄のエリックです」
「……」
「本日は先日からのご様子をもう一度拝見させていただければと」
「勝手にしろ」
ふふ。
ノエルの「勝手にしろ」はいつだってYES。
なんだかノエル、ぷんぷんしている。
お兄ちゃんが来て、私と二人きりじゃなくなったから不機嫌なのかも。
◇◇◇
エリックはノエルの腕の脈を優しく診た。
先日と同じように丁寧に慎重に。
「ノエル様、前回よりお脈がしっかりしておられます」
「当たり前だ」
「お顔色も思っていたよりも悪くない」
「……」
……!
お兄ちゃん、何か気づいた?
「リリィ」
エリックが私を呼んだ。
「うん?」
「信じられない」
「えっ?」
「ノエル様のお体の状態は本来なら、もっと深刻なはずだ」
……!
ノエル、もうすぐ亡くなるはずだった?
「けれど」
エリックはノエルの頬を優しく見つめた。
「ノエル様の頬にほんのりと血色が戻っている」
え。
「呪いの紋様も薄くなっているように見える」
「……」
ノエルも自分の頬を不思議そうに触った。
「エリック、と言ったか」
「はい、ノエル」
「お前、まだ子供のくせになかなか利口だな」
……!
ノエル、お兄ちゃんを褒めた。
すごい。
「ありがとうございます」
エリックはぺこりと頭を下げた。
そして私を見て、にっこりと笑った。
「リリィ、お前のおかげだな」
「えっ?」
「ノエル様のお体がお元気になっておられるのはリリィのお力だ」
「お兄ちゃん」
「毎日毎日薬草を持って通って、よく頑張ったな」
胸の中がぎゅっといっぱいになった。
お兄ちゃん、私を褒めてくれた。
「えへへお兄ちゃん、頭いいんだから」
「利口と頭がいいは別の意味だ」
「えへへノエルもお兄ちゃんも難しい言葉使うね」
「……」
「……」
ノエルもお兄ちゃんも目を合わせて、ふっと笑った。
ふふ。
お兄ちゃんとノエル、なんだか仲良くなれそう。
◇◇◇
その日、エリックはお母さんが淹れる薬草茶の調合方法をノエルに教えてくれた。
「ノエル様、カモミールとリンデンの組み合わせはお体の中の毒をゆっくりと排出する効果がございます」
「毒、というのは」
「呪いもある意味では毒の一種なのかもしれません」
「……」
エリックはノエルのベッドの脇に座って、いろんなことを教えてくれた。
ふふ。
お兄ちゃん、頭いい。
ノエルもお兄ちゃんの話を興味深そうに聞いている。
ふふふ。
お兄ちゃんがこれからもノエルを診てくれたら嬉しいな。
◇◇◇
帰り際。
ノエルがぼそっとエリックに言った。
「エリック」
「はい」
「また来てもいい」
……!
ノエル、お兄ちゃんにまた来てって言った。
エリックは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ノエル様。ぼくが王都の医学校に行けるようになるまでリリィと一緒にノエル様のお力になりたいと思います」
「勝手にしろ」
ふふ。
ノエルの「勝手にしろ」はYES。
◇◇◇
私はノエルの両手を両手で握って、にっこりと笑った。
「ノエル、また明日」
「リリィ、また明日」
ふふ。
ノエル、もう自分から私の名前を呼んで、「また明日」って言ってくれる。
ふふふ。
◇◇◇
帰り道。
夕焼けが燃えるような橙色に空を染めていた。
私はお兄ちゃんと二人で家への道を歩いた。
「お兄ちゃん」
「何だ、リリィ」
「ノエル、お元気になるかな」
エリックはゆっくりと空を見上げた。
そして、優しい声でこう言った。
「リリィ、ぼくは医者でも薬師でもまだない」
「うん」
「でもノエル様のご様子を見て、不思議に思う」
「うん?」
「本来なら、もっとお体が弱っていらっしゃるはずだ」
「うん」
「けれど、ノエル様のお顔はもう青白くはない」
「うん」
「リリィ、お前には特別な力があるのかもしれない」
え。
私に?
「お母さんもそう言ってた」
「……」
「いや、今は何も考えなくていい」
エリックは私の頭をぽんぽんと撫でた。
「リリィ、お前はお前らしく、ノエル様のお友達でいてあげなさい」
「うん」
「お前の優しさが何よりノエル様のお力になっている」
ふふ。
お兄ちゃん、なんだかすごく大人だ。
自慢のお兄ちゃん。
◇◇◇
家に着くとお母さんがニコニコと迎えてくれた。
「お帰りなさい、二人とも」
「ただいま、お母さん」
「ただいま、母上」
「エリック、ノエル様のご様子はどうでした?」
「母上ーー」
エリックはお母さんの目をじっと見つめた。
そして、ぼそりと。
「ノエル様の頬に血色が戻っておりました」
……!
お母さんの目がぱあっと輝いた。
そして、私を見つめた。
「リリィ」
「うん?」
「よく頑張ったわね」
お母さんは私をぎゅっと抱きしめた。
お母さんの温もり。
ふふ。
嬉しい。
お母さん、お兄ちゃん、お父さんもみんな私を応援してくれてる。
私、絶対ノエルをお元気にしてあげる。
◇◇◇
その夜、お父さんが薬草採集から帰ってきた。
「リリィ、今日も館に行ってきたか」
「うん」
「無理するなよ」
「うん、無理してないよ」
「リリィ、俺の自慢の娘だ」
ふふ。
お父さん、いつもぎゅーって抱きしめてくれる。
私の家族。
世界で一番大切な家族。
◇◇◇
ノエル、これからもっともっとお元気になっていく。
私の家族とノエルの家族(セバスチャンも家族みたいなもの)、みんなでノエルをお元気にしてあげる。
ふふ。
楽しみ。
リリィ・ホーニング、六歳の春。
呪われた男の子に薬草を運ぶ日々の一ヶ月目。
ノエルの頬にほんのりと血色が戻った日。




