第18話 セバスチャンが、私に古い肖像画を見せてくれた日
その日、ノエルはちょっとだけ、お加減がよくないらしくて、お昼からお眠りになっていた。
私はノエルのお部屋の横の椅子に座って、絵本を読んでいた。
──、と。
お部屋の扉がこんこん、とノックされた。
「リリィ様」
セバスチャンの優しい声。
「ノエル様がお眠りになられている間、ご一緒にお屋敷のお庭をご案内いたしましょうか」
──、!
お屋敷のお庭?
薔薇園以外のところも見せてくれるの?
「うん、行く」
私は絵本をそっとテーブルに置いて、ぴょこ、と立ち上がった。
ノエルの寝顔をちらっ、と見た。
長いまつげがふわっ、と伏せられている。
青い瞳はいま、見えない。
──ノエルの寝顔は信じられないくらい、綺麗だった。
──お人形さん、みたい。
私はふっとノエルの手に毛布をかけ直した。
おやすみなさい、ノエル。
──私、お庭、見てくるね。
──また、起きたら、すぐ、戻ってくるから。
◇◇◇
セバスチャンが私を屋敷の長い廊下に案内してくれた。
ローゼンタール離宮の廊下はすごく、長くて、絵画がいっぱい、飾ってあった。
白いローブを着た、お姫様の絵。
白い馬に乗った、騎士の絵。
お庭のお花の絵。
私は絵を見ながら、わくわく、と歩いた。
──と。
廊下の奥の方に特別大きな絵が飾ってあった。
──、!
すごく綺麗な、女性の肖像画。
長い、黒髪。
青い瞳。
白い絹のドレス。
優しい笑顔。
──まるでおとぎ話のお姫様、みたい。
「セバスチャン、この女の人、誰?」
「リリィ様」
セバスチャンの声がいつもよりふっと優しくなった。
「こちらはノエル様のお母様でございます」
──、!
ノエル様のお母様。
私は絵をじっと見つめた。
ーー、すごく、優しそうな、お方。
青い瞳が、しずかに、優しい色。
艶のある黒髪が、ご威厳のある美しさ。
「ノエル様のお母様は、もう、十年以上、ーー、原因不明のご病気で、療養されていらっしゃいます」
──、!
十年以上。
そんなに長く、ーー、ずっと、ずっと、お眠りに、なっておられる。
──胸がぎゅっと痛んだ。
「ノエル様のお呪いと、お母様のご病気には、ーー、ふしぎな繋がりが、あるようでございます」
セバスチャンの目がふっと潤んだ。
長いことノエルを看病してきたセバスチャン。
ノエルの孤独をいちばん知っている、人。
私はセバスチャンの手をそっと握った。
「セバスチャン、私、頑張るね」
「リリィ様」
「ノエルのお呪いも、お母様のご病気も、いつか絶対、治すよ」
「ノエルが、心からお元気になられる日、絶対、来るようにする」
セバスチャンがぱちっ、と目を見開いた。
しばらく、無言だった。
それからふわっ、と優しく、私を抱きしめた。
「リリィ様」
セバスチャンの声が震えていた。
「貴方様は本当に神様のお遣い、なのかもしれませぬ」
「こんなに純粋で強い、心をお持ちで」
──、!
神様のお使い、って。
私、ただの村のリリィ、なのに。
──、けれど。
──もし、許されるなら。
──神様のお使いとして、ノエルや、お母様がお元気になられるよう、お手伝いさせていただきたい。
私、ただのリリィ、だけど。
セバスチャンの温かい抱擁が私の心をぽかぽかと温めた。
◇◇◇
それからセバスチャンは私にもうひとつ、絵画を見せてくれた。
ノエル様のお母様の隣の絵。
ノエルよりもずっと大人の男の人の肖像画。
艶のある、黒髪。
青い瞳。
威厳のある、お顔。
立派な、ご礼装。
「こちらは現在の国王陛下、フリードリッヒ陛下でございます」
「国王陛下」
私の目がぱちっ、と見開かれた。
──国王陛下って、この国のいちばん偉い、お方?
──こんなにご威厳のあるお方の肖像画が、ローゼンタール離宮に飾られているんだ。
──ふふ。
──お家に帰ったら、お母さんにお話しよう。
──「離宮に国王陛下の肖像画もあったよ」って。
セバスチャンは私の混乱を見て、ふっと優しく、笑った。
けれど、何も言わなかった。
ただ、優しい目で私を見つめた。
◇◇◇
ノエルのお部屋に戻るとノエルはまだ、お眠りになっていた。
私は椅子に戻って、絵本の続きを読み始めた。
しばらくするとノエルがふわっ、と目を覚ました。
「リリィ」
「ノエル、起きた?」
「ああ」
ノエルの青い瞳がぼんやりと私を見つめた。
「ずっといてくれたのか」
「うん、ちょっとだけ、お庭に出てたけど、すぐ、戻ってきたよ」
「ふん」
ノエルがふっと目を伏せた。
けれど、その口元は嬉しそうにふんわりと緩んでいた。
◇◇◇
その夜、家に帰った私はお母さんに肖像画のことを聞いてみた。
「お母さん、お屋敷にノエル様のお母様の肖像画があったの」
お母さんがぴたっ、とお料理の手を止めた。
「ノエル様のお母様の?」
「うん、優しそうな、青い瞳のお方」
「隣に国王陛下の肖像画もあったの」
お母さんがふっとお父さんを見た。
お父さんもぴたっ、とご飯をよそうのを止めた。
二人の目が合った。
何か、二人だけの内緒の視線。
私にはわからない、視線。
「リリィ」
「うん?」
「ノエル様のお屋敷、ローゼンタール離宮、というのね?」
「うん」
お母さんがお父さんを見て、ふっと頷いた。
お父さんも頷き返した。
「リリィ、ノエル様のことこれからもちゃんと大切にしてあげなさい」
「うん、もちろん」
「それからお屋敷のこと村の人達にはあまり、お話しないでね」
「うん、わかった」
──お母さん、なんで村の人に話したらダメなの?
──と思ったけれど、お母さんの目が真剣だったので私は聞き返さなかった。
──お母さんとお父さんは何か、私の知らないこと知ってる。
──けれど、いつか、私に教えてくれる日が来るかもしれない。
その日まで私はただ、ノエルのお友達でいよう。
毎日、温かいお茶を持って、笑顔とお喋りを運ぼう。
ノエルの心がもっともっと温かくなる、まで。
お母様に会える日が来る、まで。
リリィ・ホーニング、六歳の春。
呪われた男の子に薬草を運ぶ日々の四週間と一日目。
セバスチャンが私に古い肖像画を見せてくださった日。




