第17話 ノエルが、私の名前を、嬉しそうに呼んでくれた日
青薔薇を、飾った翌日。
ローゼンタール離宮へ向かう途中、村のお花屋さんの前を、通りかかった。
「あら、リリィちゃん」
お花屋さんのお姉さんが、にこっ、と笑って、私を呼び止めた。
「お姉さん、おはよう」
「これから、お屋敷?」
「うん」
お花屋さんのお姉さんは、ふっ、と、店の奥を見て、何かを考えたような顔をした。
「ちょっと、待ってて」
お姉さんは、お店の奥に消えた。
しばらくして、戻ってきたお姉さんの手には、小さな紙包みが、あった。
「リリィちゃん、これ、お屋敷のお坊ちゃまに、お渡ししてもらえるかな」
「えっ、これ、なに?」
「ふふ、開けて、見て」
私は、紙包みを、そっと、開いた。
──、!
小さな押し花が、いっぱい、入っていた。
白い紙に、丁寧に貼り付けられた、色とりどりの押し花。
すずらん、忘れな草、たんぽぽ、すみれ。
季節のお花たちが、押し花になって、ちょこん、と並んでいる。
「わぁ、綺麗」
「ふふ。リリィちゃんが、毎日、お屋敷に通って、お坊ちゃまを看病してる、って、村中で、評判よ」
「お坊ちゃまも、お花が好きかな、って」
「私も、応援したくて」
──、!
お花屋のお姉さんも、ノエル様のこと、応援してくれていた。
村のみんなが、ノエル様のことを、心配してくれている。
胸の中が、ぽかぽかと、温まった。
「お姉さん、ありがとう。ノエル様、絶対、喜ぶよ」
「ふふ、頑張ってね、リリィちゃん」
◇◇◇
私は、押し花の包みを、大事に、抱えて、離宮へ向かった。
ノエル様、何て言うかな。
わくわく。
セバスチャンが、玄関で、迎えてくれた。
「リリィ様、おはようございます」
「セバスチャン、おはよう」
「本日は、何やら、嬉しそうな、ご様子で」
「うん、ノエル様への、贈り物が、できたの」
「ふふ、ノエル様も、お喜びに、なられましょう」
セバスチャンの目が、優しく、潤んでいる気がした。
──毎日、ノエル様を看病してくれたセバスチャン。
──長いこと、ノエル様の孤独を、見てきたセバスチャン。
──私が来てから、ノエル様が笑うようになって、立てるようになって、指が温かくなって。
セバスチャンの嬉しさも、私には、わかった。
◇◇◇
寝室の扉を、開けた。
「ノエル様」
ノエル様が、ベッドの上で、ふっ、と本を置いた。
青い瞳が、私を、見た。
口元が、ふっ、と、緩んだ気がした。
「リリィ」
──、!
──、!!
声が、いつもと、違う。
いつもは、低くて、ぼそっとした、声、なのに。
今、ノエル様の声は、優しく、ふわっ、と、上向いていた。
嬉しそうに、私の名前を、呼んでいた。
胸の奥が、どきっ、と、跳ねた。
「ノエル様」
私は、ふらり、と、ベッドの横に、近づいた。
「リリィ、ーー、来てくれて、嬉しい」
──、!!
ノエル様が、「嬉しい」って、言ってくれた。
初めて。
私を、待っていたこと。
私が来て、嬉しいこと。
ちゃんと、口に出してくれた。
目に、涙が、ぽろり、と、にじんだ。
「ノエル様」
「なんだ」
「嬉しい、嬉しすぎる」
ノエル様が、ふっ、と、笑った。
「リリィは、すぐ、泣くな」
「だって、嬉しいことが、いっぱいありすぎるんだもん」
「ふん」
ノエル様は、目を伏せた。
けれど、その口元は、嬉しそうに、緩んでいた。
◇◇◇
「ノエル様、お土産があるの」
「お土産?」
「うん、村のお花屋のお姉さんから」
私は、押し花の包みを、ベッドの上に、置いた。
そっと、開いた。
ノエル様の青い瞳が、ふっ、と、見開かれた。
「これは」
「押し花、お姉さんが、ノエル様にって」
「知らない、お方が、ぼくに?」
「うん。村のみんなが、ノエル様を、応援してくれているんだよ」
ノエル様が、唇を、震わせた。
「応援?」
「うん」
「ぼくは、ーー、村人達から、呪われたお屋敷の子供と、怖がられているはずだ」
「なぜ、応援してくれる」
──、!
ノエル様、自分が、怖がられている、って、思ってたんだ。
胸が、ぎゅっ、と、痛んだ。
「ノエル様」
「なんだ」
「村のみんなはね、私が毎日、お屋敷に通って、ノエル様が、お元気になってきていること、知ってるの」
「それで、応援してくれるように、なったの」
「お花屋のお姉さんが、ノエル様も、お花が好きかなって、押し花を、作ってくれた」
「もう、誰も、ノエル様のこと、怖がってないよ」
ノエル様の青い瞳から、ぽろり、と、また、涙がこぼれた。
二日連続。
ノエル様の、涙。
「リリィ」
ノエル様が、私の手を、ぎゅっ、と、握った。
「ありがとう」
「お前が、ぼくの世界を、変えてくれた」
──、!
私が、ノエル様の世界を、変えた?
そんな、大層なこと、してない、よ。
ただ、毎日、お薬を持って、来ただけ。
お喋り、しただけ。
──、けれど、ノエル様の涙を見て、私はもう、何も、言えなかった。
ただ、ぎゅっ、と、ノエル様の手を、握り返した。
強く、強く。
◇◇◇
それから、私とノエル様は、押し花を、ひとつ、ひとつ、見ていった。
ノエル様は、それぞれのお花の名前を、私に、教えてくれた。
「これは、すずらん」
「花言葉は、純粋」
「これは、忘れな草、だよね?」
「ああ、花言葉は、ーー、私を、忘れないで」
──、!
忘れないで。
なんだか、せつない、花言葉。
ノエル様の声に、ふっ、と、寂しさが、にじんだ気がした。
──なぜ、寂しいの。
──私、ノエル様のこと、絶対、忘れないよ。
「ノエル様」
「なんだ」
「私、ノエル様のこと、絶対、忘れないから」
ノエル様の青い瞳が、ふっ、と、震えた。
「リリィ」
「うん」
「ぼくも、お前のこと、絶対、忘れない」
──、!!
ノエル様。
約束、してくれた。
胸の奥が、ぽかぽかと、温まった。
──嬉しい。
──ノエル様と、ずっと、ずっと、お友達で、いられる。
──私たち、約束、したから。
◇◇◇
「リリィ」
「うん?」
「ーー、それと」
「うん」
「ぼくのことは、ノエル様じゃ、なくて、ーー」
ノエル様の頬が、ほんのり、染まった。
「ノエルと、呼べ」
──、!
「えっ、いいの!?」
「いい、とは、言ってない。呼べ、と、言っている」
「ふえ?」
──ふふ。
──ノエル、照れてる。
おそるおそる、呼んでみる。
「ノエル」
ノエルの耳が、ぱっ、と、赤くなった。
「ーー、ふん」
──私の、大切な、ノエル。
◇◇◇
と、その時。
お部屋の扉が、ノックされた。
セバスチャンの声。
「リリィ様、お時間です」
「あっ、もう、お帰りの時間か」
ノエルの表情が、ふっ、と寂しそうに、なった。
けれど、すぐに、平気な顔に、戻った。
「リリィ」
「うん」
「明日も、来てくれるか」
「もちろん、毎日、来るよ」
「ふ」
ノエルが、ふっ、と微笑んだ。
「リリィ」
「うん?」
「ーー、また、明日」
──、!
ノエルの声が、また、ふっ、と、嬉しそうに、上向いた。
私の名前を、呼ぶ声。
胸を、ぽかぽか、温める声。
「うん、また、明日、ノエル」
私は、お部屋を出る間際まで、ノエルに、手を振った。
ノエルも、ベッドから、ふわっ、と、手を、振り返してくれた。
胸が、ぽかぽか、ぽかぽか、と、温まった。
ノエルの笑顔。
ノエルの優しい声。
ノエルの温かい手。
ぜんぶ、ぜんぶ、私の、宝物。
リリィ・ホーニング、六歳の春。
呪われた男の子に、薬草を運ぶ日々の、四週間目。
ノエルが、私の名前を、嬉しそうに、呼んでくださった日。




