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森で見つけた呪われ少年を看病していただけなのに、王太子殿下に溺愛されています  作者: 葉月晴子
第一章 呪われ少年と、ちっちゃな看病係

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第2話 薬草を持って、ローゼンタール離宮へ行きました

翌朝、私は鶏よりも早く目を覚ました。


枕元のろうそくに火をつけて、まだ薄青い窓の外を一度だけ覗いてから台所に降りていく。


朝ごはんの席でお母さんにおずおずと切り出した。


「ねぇ、お母さん。薬草、わけてもらってもいい?」


「あら」


お母さんはぱんを切る手を止めて、私を見た。


「誰のために?」


ーーきた。


そう聞かれることは想定していた。


私はお味噌汁の表面をじっと見つめた。


「えっと、……お友達」


「お友達?」


「うん」


うちの村にお友達と呼べる子はいないことをお母さんは知っている。


──怒られるかな。


うつむいて、ちらりとお母さんの顔を覗き見た。


お母さんは笑っていた。


笑っていた、けれど、その目の奥は笑っていなかった。


「お母さん」


「ん?」


「あのね、」


「リリィ」


お母さんが私の言葉を優しく遮った。


「お母さんに嘘はつかなくていいのよ」


──ばれてた。


私はお味噌汁の表面に自分の頬の赤さが映っているような気がして、慌てて顔を上げた。


「……森のお屋敷の男の子」


声が小さくなった。


「あなたが昨日、薬を分けてあげた、あの子ね」


「うん」


「呪われた館の坊ちゃま」


「うん」


お母さんはふぅっ、と長く息を吐いた。


それから立ち上がって、棚の方へ向かった。


「ーーお母さん、怒ってる?」


「怒ってないわよ」


棚を開ける、軽い音。


「ただ、お母さんはね」


「うん」


「あの場所にはもう、関わってほしくなかったの」


棚から布袋を取り出して、戻ってくるお母さんの背中はいつもより少し、小さく見えた。


◇◇◇



「これはお熱を下げるリンデン。これは心を落ち着けるカモミール。これは咳に効くエルダーフラワー。これは塗り薬の元になるペパーミント」


お母さんは薬草をひとつずつ、机に並べていった。


「葉のままじゃ、効かないの」


「あ、そうなんだ」


「ことことお湯で煮出してね。そうすると力がお湯に溶けていくのよ」


「ふんふん」


「リンデンは煎じ汁を布にひたして、お熱があるところに当ててあげなさい」


「ペパーミントは?」


「すり鉢でこうやって潰して」


お母さんは葉っぱを私の目の前でぐりぐりと潰してみせた。


ふっと清涼な香りが立ち上る。なんだか、頭の中がすっと冷たくなるような匂いだった。


「油と混ぜると塗り薬になるの。胸が苦しい時、ここに薄く塗ってあげるのよ」


お母さんは自分の胸の真ん中を押さえた。


「すっとして、息が楽になるの」


「お母さん、すごい」


「薬草師の妻だもの」


ーーお母さん。


私のぜんぜん知らないことをたくさん、知ってる。


そして、なぜか今日はいつもよりずっと丁寧に教えてくれている。


「リリィ」


「うん?」


「人の命に関わることはね」


布袋の口をしゅるりと結びながら、お母さんが言った。


「素敵なことよ。でも怖いことでもあるの」


「……うん」


「無理はしないでね」


──お母さんの瞳。


青くて、深くて。


その奥に私の知らない、なにか、長い時間がしまわれているような気がした。


◇◇◇



ローゼンタール離宮の鉄の門の前で私はちょっと息を整えた。


昨日は無我夢中で来た。


今日はちゃんと訪ねるつもりで来た。


──ぜんぜん、別の緊張だった。


「ご、ごめんください」


呼びかけてから声が小さすぎたことに気づいて、それから呼び鈴を見つけて、紐を引いた。


ちりん、と思いがけず可愛らしい音がした。


──と間髪入れずに鉄の門がぎぃっ、と開いた。


「リリィ様」


セバスチャン様が立っていた。


「お待ちしておりました」


「……待ってた?」


「ええ」


セバスチャン様は髭の下で楽しそうに目を細めた。


「坊ちゃまが朝からそれはもう、落ち着きませんで」


「えっ」


「『リリィは来るかな、いや、来ないかもしれない、いや、別に来なくても構わないが』と十回ほど繰り返されました」


──あぁ。


私の顔が勝手に熱くなった。


「……来なくてもいい、って言ってたんだ」


「口ではええ」


「ふ、ふーん」


「ですが窓の方をずっと」


セバスチャン様はちょいちょい、と指で二階の窓を指さした。


「ご覧になっていらっしゃいました」


──だめだ。


頬がもっと熱くなる。


私はぱしっ、と両手で頬を押さえて、ぐっと前を向いた。


「セバスチャン様、行きます」


「はい、お供いたします」


◇◇◇



寝室の前。


セバスチャン様が扉をコン、と叩いた。


「ノエル様、リリィ様がお越しでございます」


中からがたっ、と慌てたような音がした。


それから少し間があって。


「……別に来なくてもよかったのに」


掠れた、けれど、ちょっとだけ高い声。


私とセバスチャン様は顔を見合わせた。


セバスチャン様がそっと指を自分の唇に当てた。


──、ね。坊ちゃまはそういうお方なのです。


そう、目で言われた気がして、私はぐっと口を結んだ。


笑ったら、たぶん、いけない。


セバスチャン様が扉を開けた。


ベッドの上で上体を起こして、こちらに背を向けている、男の子の姿。


夜のような黒髪。


私を見ようとしない。


「ノエル様、おはよう」


「……」


「来たよ」


「……見れば、わかる」


ノエル様は振り向きもしなかった。


ただ、よく見るとその耳が嘘みたいに赤かった。


──ふふ。


声に出さずに笑った。


「お薬、持ってきた」


「……勝手にしろ」


「お母さんが教えてくれたの」


私はベッドの脇に薬草をぴしっと並べた。リンデン、カモミール、エルダーフラワー、ペパーミント。


「ーーお前、子供のくせにずいぶん詳しいな」


「お母さんが薬草師なんだもん」


「薬草師の娘」


「うん」


「ふん」


そこで初めて、ノエル様がちらり、と振り返った。


青い瞳が薬草の上をゆっくり、なぞる。


──ああ、興味、あるんだ。


私はティーポットを取り出して、セバスチャン様が運んでくれたお湯を注いだ。エルダーフラワーとカモミールをぱらり。


ふんわりと立ち上る湯気が寝室の重い空気を優しい甘い香りに変えていく。


「いい匂い、するでしょー」


「別に」


「美味しそうでしょー」


「特に」


「嘘ばっかり」


「嘘ではない」


ノエル様の青い瞳はしっかり、ティーポットを見つめていた。


──こく。


その喉が確かに動いた。


「はい、ノエル様」


「自分で飲める」


ノエル様は震える指でカップを受け取ろうとした。


けれど、その指は震えすぎていて、カップが危うく、傾いた。


「あ、こぼれちゃう」


私は慌てて両手を添えた。


ノエル様の体がぴくっ、と跳ねた。


「手を離せ」


「だって、こぼれちゃうよ」


「自分で飲めると言っている」


「だめ、私が手伝う」


私はノエル様の手の上に自分の手をそっと重ねた。震える指を両側から支える。


──小さな手だった。


熱があるはずなのに指先は氷みたいに冷たかった。


「……子供扱い、するな」


「お手伝いだよ」


「お前、本当にしつこい奴だな」


「ふふ」


私はゆっくりとカップを傾けた。


エルダーフラワーの香りの温かいお茶がノエル様の唇を濡らす。


こくん、と喉が動いた。


「美味しい?」


「……」


「美味しい?」


「別に」


「ぜったい、美味しいでしょ」


「繰り返さなくて、いい」


──けれど。


ノエル様はもう一口、自分から口を開けた。


それからもう一口、もう一口。


カップが空になる頃にはその頬にうっすらと血の気が戻っていた。


「やっぱり、美味しいんでしょ」


「お前、本当にしつこい」


「えへへ」


◇◇◇



次にリンデンの煎じ汁を布にひたした。


「ひ、冷たっ」


「お熱、下がるから」


「人の額に勝手に触るな」


「あー、はいはい」


「はい、は一回だ」


「はーい」


ノエル様はもう抵抗を諦めたみたいに目を閉じた。


長い、黒い睫毛が青白い頬に影を落としていた。


絵本の中で見た、お人形さんみたい。


私は丁寧に額を冷やした。


「ね、ノエル様」


「……何だ」


「お家、ないの?」


ノエル様の睫毛がぴくり、と揺れた。


そして、その横顔がすうっと冷たくなった。


「……お前に関係ない」


「あ、えっと」


「くだらないことを聞くな」


ぴしゃり、と扉を閉めるような声だった。


──あ。踏み込んじゃ、いけないところ、だったみたい。


私は慌てて、額の布をもう一度ひたして、当てなおした。


「……ごめんね。でも呪いなんて、うつらないよ」


ノエル様の睫毛がまた、揺れた。


「お母さんが教えてくれたの。呪いはね、人にはうつらないんだって」


「……勝手なことを言うな」


低く、突き放すような声だった。


それでも──、私の手を振り払いはしなかった。


「……外が見たかっただけだ」


ぽつり、とノエル様が言った。


「だから昨日、森に?」


「勝手に抜け出した。それだけだ」


「セバスチャン様に心配かけたね」


「別に」


「セバスチャン様、泣いた?」


ノエル様は答えなかった。


──当たり、だ。


ぷいっ、と背けた横顔の耳がまた、赤い。


──ふふ。ノエル様、セバスチャン様のこと好きなんだ。


「ね、ノエル様」


「何度、何だと言わせる」


「明日も来るね」


「来るな」


「来るよ」


「人の話を聞け」


「いやだいやだ、絶対、来る」


「……好きにしろ。知らないからな」


「えへへ」


◇◇◇



帰り際、私はぺこりとお辞儀をした。


「ノエル様、また明日ね」


「……来なくて、いい」


ノエル様は最後までこちらを見ようとはしなかった。


──ふふ。素直じゃ、ないなあ。


でもいいの。明日もちゃんと来るんだから。


◇◇◇



セバスチャン様に玄関まで送ってもらった。


「リリィ様」


「うん?」


「坊ちゃまはリリィ様をずっとお待ちしておられました」


「うん、知ってる」


「ーーお気づきでしたか」


「うん。耳が真っ赤だったもん」


セバスチャン様の目がすっと潤んだ。


老人の青い、深い目だった。


「リリィ様」


「うん」


「坊ちゃまをどうか、よろしく、お願い申し上げます」


セバスチャン様は深く、頭を下げた。


私はぺこり、と頭を下げ返した。


「明日も来ます」


◇◇◇



玄関を出て、廊下を渡って、外の門に向かう途中で私はふと足を止めた。


寝室の方角からなにか、聞こえた気がした。


しん、とした空気の中、よく耳を澄ますと。


「……明日も本当に来てくれよ、リリィ……」


──ーー。


私は口元を両手でぎゅっと押さえた。


笑顔が漏れそうだった。


──聞こえちゃった。


──ノエル様の本当の声。


──明日、絶対、行く。


──絶対、絶対、絶対、行く。


◇◇◇



帰り道、夕焼けが空を燃えるような橙色に染めていた。


私は空になった籠をぶんぶん振りながら、歩いた。


ノエル様の嘘みたいに赤かった耳。


ノエル様の震えていた、ちっちゃな手。


ノエル様のぽつりと漏れた、本音。


ぜんぶ、思い出すたびに胸の中がぽかぽかして、仕方がなかった。


ふと立ち止まって、振り返ると。


ローゼンタール離宮の二階の窓に小さな影が見えた。


ーーずっと私を見送ってくれていたのかもしれない。


リリィ・ホーニング、六歳。


呪われた男の子に毎日、薬草を届ける日々の二日目。


私はまだ、知らなかった。


ノエル様の呪いがその日、ほんの少しだけ、緩んだことを。


そしてその理由が私の中にあるかもしれないことを。

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