第15話 ノエル様の指先が、温かくなった日
ある日のこと。
私は、ノエル様のお部屋で、絵本を読んでもらっていた。
銀の水筒に入った、温かい薬草茶。
ベッドサイドのテーブルに置かれた絵本。
ノエル様の、低くて優しい声。
私は、ベッドの横の小さな椅子に、ちょこんと座って、ノエル様の声に、聞き入っていた。
お話は、星のお姫様が地上に降りてきて、優しい少年と出会うお話。
ノエル様の声で聞くと、絵本が、もっと、特別に感じる。
「姫は、夜空の彼方から、地上を見つめていた」
「星の光の向こうから、ひとりの少年が、姫を呼んだ」
ノエル様の声が、優しく響く。
私は、すごく心地よくて、つい、うとうと、としてしまった。
ぽてっ。
──しまった。
私の頭が、ベッドの上に、こてん、と寄りかかってしまった。
「リリィ?」
ノエル様の声。
私は、ぱちっ、と目を開けた。
「ご、ごめんなさい。お話、聞いてたら、ねむくなっちゃった」
「ふん」
ノエル様は、目を伏せた。
けれど、絵本を閉じる気配が、ない。
「寝ても、いい」
「えっ」
「お前は、毎日、ここに、通っている」
「疲れているのだろう」
──ノエル様。
──優しい。すっごく、優しい。
胸の奥が、ぽわん、と、温まった。
「けど、もうちょっと、聞きたいなぁ」
「聞きながら、寝ても、いいんだぞ」
──優しい。
──本当に、優しい。
私は、ベッドの端に、こてん、と頭を置いた。
ノエル様の、ほっそい足の横。
ノエル様は、絵本を再び開いた。
低い、優しい声で、続きを読んでくれる。
◇◇◇
と。
ノエル様の指先が、ふっ、と、私の頭に、触れた。
──、!
ノエル様が、自分から、私に触れた。
いつもは「近づくな」って、言ってたノエル様が。
自分から、私の頭に、触れている。
ノエル様の指先。
──温かい。
──すごく、温かい。
最初に来た時は、氷みたいに冷たかった指。
いまは、お父さんの手みたいに、温かい。
「ノエル様」
私は、ふわっ、と目を上げた。
「なんだ」
「ノエル様の、指、温かい」
ノエル様の青い瞳が、ふっ、と見開かれた。
自分の指を、まじまじ、と、見た。
唇が、震えた。
「ーー、本当だ」
その声が、震えている。
「長年、ぼくの指は、ずっと、冷たかった」
「呪いのせいで」
ノエル様の声に、信じられないような響き。
嬉しさを堪えきれないような響き。
「ノエル様、温かくなってきたよ」
私は、ぱっ、と起き上がった。
ノエル様の両手を、ぎゅっ、と、握った。
──、!
本当だ。
両手、両方とも、温かい。
最初の頃の、氷の手じゃ、ない。
ふつうの、子供の手。
ぽかぽかの、手。
「ノエル様、温かくなってきたね」
「ーー、ああ」
ノエル様の目に、涙がにじんだ。
青い瞳が、潤んでいる。
──ノエル様、嬉し涙?
「ノエル様、泣いてる?」
「泣いていない」
「うそ、目、潤んでる」
「見るな」
ノエル様が、ぱっ、と、片手で、目を覆った。
けれど、もう片方の手は、私の手を、ぎゅっ、と、握り返していた。
強く。
まるで、離したくない、みたいに。
◇◇◇
私は、ノエル様の横に、もう一度、頭を置いた。
ノエル様の温かい手が、私の頭を、優しく、撫でた。
ふわっ。
ふわっ。
すっごく、優しい手つき。
まるで、お母さんが、私を寝かしつけてくれる時、みたい。
「リリィ」
「うん」
「お前と出会ってから、ーー、ぼくの体は、少しずつ、変わっている」
「立てるように、なった」
「笑えるように、なった」
「指が、温かく、なってきた」
ノエル様の声が、震えている。
「ありえない、ことだ」
「誰にも、治せなかったはずの、呪い、なのに」
ノエル様の長い指が、私の頬を、そっと、なぞった。
「お前は、何者なんだ、リリィ」
──、!
何者って、私は、ただの、村の女の子、なのに。
「リリィは、リリィだよ」
「薬師の、村のね、女の子」
「ふ、そうか」
ノエル様が、ふっ、と、微笑んだ。
「それで、いい」
「お前は、リリィで、いてくれ」
──ふふ。
ノエル様、不思議なことを言う。
けれど、嬉しい。
私を、私で、いてくれって。
そう言ってくれる人、ノエル様が、初めてかもしれない。
◇◇◇
その後、私は、本当に、ノエル様のベッドの横で、ちょっとだけ眠った。
ノエル様の温かい手が、ずっと、私の頭を、撫でてくれていた。
ふわふわ、ふわふわ。
ノエル様の優しい声が、絵本の続きを、読んでくれる。
星のお姫様が、地上の少年と、出会うお話。
二人は、お互いを見つけて、絆を深めていく。
ノエル様の声が、なぜか、ふっ、と、震えた気がした。
まるで、私たちのことを、重ねているみたいに。
◇◇◇
家に帰った私は、お母さんに、すぐに報告した。
「お母さん、ノエル様の指が、温かくなってきたよ」
お母さんの目が、ぱちっ、と見開かれた。
「本当に?」
「うん、両手、両方とも、ぽかぽか、だった」
お母さんは、しばらく、無言だった。
そして、お父さんを、ちらっ、と見た。
お父さんも、ふむ、と、頷いた。
お母さんが、私の頭を、優しく、撫でた。
「リリィ、あなたは、本当に、すごい子、ね」
「薬草茶だけで、長年の深い呪いが、ここまで、和らぐなんて」
「普通の薬草師には、できないこと」
──、!
私、何か、特別なことしてる?
けれど、私は、ただ、お母さんの薬草茶を運んで、ノエル様と、お喋りしているだけ。
何にも、特別なこと、していない、はず。
お母さんは、私の心の疑問に答えるように、ふっと、優しく、囁いた。
「リリィ、あなたが、心を込めて、ノエル様と向き合っていること」
「それが、いちばんの、お薬に、なっているのよ」
──、心を、込めて。
──私の、心。
──ノエル様を元気にしたい、って、強く思う心。
──それが、お薬になってる?
不思議。
けれど、嬉しい。
私の心が、ノエル様を元気にしているなら、私は、もっと、もっと、心を込めよう。
明日も、ノエル様のところに、行こう。
温かいお茶と、いっぱいの笑顔を、持って。
リリィ・ホーニング、六歳の春。
呪われた男の子に、薬草を運ぶ日々の、三週間と五日目。
ノエル様の青白かった指先が、ほんのり、温かくなった日。




