第13話 ノエル様が、初めて声を出して笑ってくださった日
その日はすごく、お天気のいい日だった。
空はぴーかんに晴れて、雲がぽわぽわ、と白くて、森の木の葉がきらきら、光っていた。
私はいつものように薬草の籠を抱えて、ローゼンタール離宮へ向かった。
お母さんが朝、特別なお茶を煮出してくれた。
ハチミツ入りの薬草茶。
「リリィ、ノエル様にね、これを飲ませてあげて。元気が出るお茶よ」
「うん」
竹の水筒にちゃぷ、ちゃぷ、と揺らさないように両手でしっかり持って、歩いた。
◇◇◇
離宮の玄関ではいつものようにセバスチャンが待っていてくれた。
「リリィ様、ようこそお越しくださいました」
「セバスチャン、こんにちは」
私はぺこっ、と頭を下げた。
セバスチャンがふふ、と笑った。
「リリィ様のご挨拶はいつも礼儀正しゅうございますな」
「えへへお母さんがちゃんとお辞儀しなさい、って、いつも」
「お母様のご教育は立派でございます」
ふと気になる。
なんだろう、セバスチャンの目がちょっと優しすぎる気がする。
まるで何かを知っているみたいに。
けれど、私にはまだ、わからなかった。
お母さんがただの村の薬師じゃないこと。
私自身もただの村の女の子じゃないこと。
まだ、何も知らなかった。
◇◇◇
寝室に入るとノエル様はベッドの上で青い表紙の絵本をひらいていた。
この前、私が借りた、星の海の絵本。
「ノエル様、こんにちは」
「来たか」
ぼそっと低い声。
けれど、本はすぐに閉じてくれた。
私が来るのを待っていてくれた、みたい。
えへへ。
「ノエル様、お母さんの特別なお茶、持ってきた。ハチミツ、入ってるの」
「ハチミツ」
ノエル様は興味深そうにちらっ、とお茶を見た。
青い瞳が湯気を追う。
「甘いのか」
「うん、すっごく」
私はお茶を注いでノエル様に差し出した。
ノエル様の細い白い手がカップを受け取る。
その指はいつもよりちょっとだけ、温かくなっていた。
最初に会った日は氷みたいに冷たかった、あの指。
ノエル様、元気になってきてる。
◇◇◇
ノエル様がお茶をひとくち、飲んだ。
その瞬間、ノエル様の目がぱちっ、と見開かれた。
「……」
「どうしたのノエル様?」
「甘い」
……!
ノエル様が感想を言ってくれた。
いつもは、「まあ」とか「ふん」しか、言わないのに。
「甘い」って、ちゃんと教えてくれた。
「美味しいでしょ?お母さんの得意なお茶なんだよ」
「……」
ノエル様はもうひとくち、飲んだ。
もうひとくち。
もうひとくち。
気付いたら、お茶をぜんぶ、飲み干していた。
「ノエル様、ぜんぶ、飲んでくれた」
「別に」
「えへへお母さんに報告しなきゃ。喜ぶよ、ノエル様がたくさん飲んでくれた、って」
ノエル様はちらっ、と目を逸らした。
けれど、その耳がほんのり、赤い。
ふふ。
ノエル様の耳が赤くなる瞬間を私は見つけるのが上手になってきた。
◇◇◇
お茶のあとノエル様がふっと口を開いた。
「リリィ」
「うん?」
「お前の村はどんなところだ」
……!
ノエル様、私の村のこと聞いてくれた。
興味、持ってくれた。
胸の奥がぽわん、と温まる。
「えっとね、すっごく小さな村なの。家は二十軒くらいしかない」
「ふん」
「みんな、優しいよ。パン屋のおじさんはいつも私におまけのロールパンをくれるし、お花屋のお姉さんは私がお花を見てるとにっこり笑ってくれるし」
「……」
「鍛冶屋のおじさんはちょっと怖い顔なんだけど、私が転んで泣いてた時、ふっと抱き上げて、お家まで運んでくれたの」
「……優しい、村、だな」
……!
ノエル様、私の村のことを、「優しい」って、言ってくれた。
「うん、ノエル様もいつか、来てみる?」
しまった。
ノエル様、まだ、外に出るのは難しいのに。
急に言っちゃった。
と。
ノエル様がふっと小さく、息を吐いた。
「いつか、行ってみたい、な」
……!!
ノエル様。
「行ってみたい」って。
胸の中がぱっ、と明るくなった。
ノエル様が外に出る日。
私の村に来てくれる日。
ぜったいに、その日が来るようにする。
◇◇◇
それから私は村の面白いお話をいっぱい、話した。
お花屋のお姉さんがお花の名前を間違えて、村中のおばさんに笑われたお話。
パン屋のおじさんがロールパンを焼くのに夢中になりすぎて、お店の暖簾を焼け焦がしたお話。
お父さんがお母さんに内緒で子犬を拾ってきて、結局バレて、めっちゃ怒られたお話。
ノエル様は無言で聞いていた。
けれど、口の端がちょっとずつ、上がっていた。
私がお父さんが子犬をお風呂場に隠したのをお母さんが洗濯物を取りに行って、犬を発見して、「ジョン!」と叫んだ、ところを話した、その時。
と。
ノエル様が声を出して、ふっと笑った。
「ふっ」
「ぷっ」
「ふふっ」
……!
ノエル様が本当に声を出して、笑った。
初めて。
ノエル様の笑い声。
低くて、けれど、優しくて、ちょっと掠れていて、信じられないくらい、可愛らしい声。
私はぴたっ、と口を止めた。
ノエル様をじっと見つめた。
青い瞳が笑いを抑えきれないみたいに揺れている。
口元に手の甲を当てて、笑いを堪えようとしている。
「お前のお父さんは面白い、人だな」
声にまだ、笑いが滲んでいる。
私の目に涙がぽろっ、とにじんだ。
「ノエル様、笑った」
「別に笑って、いない」
「うそ、笑った、声を出して、笑った」
私は嬉しくて、ぴょん、ぴょん、ベッドの横で跳ねた。
「跳ねるな」
「だって、嬉しいんだもん」
「……」
ノエル様はもう、笑いを隠さなかった。
ふっ、ふっ、ふっと私を見て、笑った。
子供の笑い声、なのにどこか、年上っぽい響き。
不思議な笑い声。
けれど、世界でいちばん、嬉しい、音だった。
◇◇◇
その日、家に帰って、私はお母さんに報告した。
「お母さん、ノエル様、声を出して、笑ってくれたよ」
お母さんははっ、と息を止めた。
それからふわっ、と優しく笑った。
「リリィ、それはすごい、ことよ」
「うん」
「ノエル様、本当にリリィのこと心を開いてきてるのね」
胸の中がぽかぽかと温まった。
ノエル様の心。
私にひらいて、くれている。
嬉しい。
もっと笑顔を見たい。
もっと声を聞きたい。
明日も絶対、行こう。
私のノエル様のところに。
リリィ・ホーニング、六歳の春。
呪われた男の子に薬草を運ぶ日々の三週間と三日目。
ノエル様が初めて、声を出して、笑ってくださった日。




