第12話 ノエル様の本棚から、新しい絵本を借りた日
ノエル様の寝室には、大きな本棚がある。
天井までとどく、くらい、大きな本棚。
棚いっぱいに、本がぎっしりつまっている。
分厚い本。
うすい本。
金色の文字が書いてある本。
紺色の革でできた、難しそうな本。
絵本も、ちょこん、と、まじっている。
◇◇◇
その日、薬草茶の用意をしながら、私は、ふと、本棚を見上げた。
「ノエル様、本、いっぱい、持ってるね」
「まあ」
「ぜんぶ、読んだの?」
「当たり前だ」
──ぜんぶ。
こんなにいっぱい、あるのに。
──ノエル様、すごい。
──そっか。
ノエル様は、ずっと、ベッドの上で、ひとりで、この本たちと、過ごしてきたんだ。
本が、ノエル様の、ずっとのお友達、だったんだ。
胸が、きゅっ、と、なった。
ノエル様は、本としか、お話できなかったんだ。
本だけが、外の世界を、教えてくれていたんだ。
◇◇◇
私は、本棚に、とことこ、と近づいた。
「ノエル様、ちょっとだけ、見てもいい?」
「勝手に、触るな」
「うー、ちょっとだけ」
「ーー」
ノエル様は、むすっ、としながらも、止めはしなかった。
──ふふ。
ノエル様の「勝手に触るな」は、いつだって、「そっと見るなら、いい」って、ことだ。
私は、本棚の、いちばん下の棚を、覗き込んだ。
そこには、絵本が、ならんでいた。
お姫様の絵。
ドラゴンの絵。
お船の絵。
私の目が、いちばん青い表紙の、絵本に、とまった。
青い表紙。
星空と、ちっちゃな船の絵。
銀色の星屑が、きらきら、と散らばっていた。
「わぁ、これ、きれい」
「ーー、それは」
ノエル様は、その絵本を見て、すこし、目を細めた。
いつもの青い瞳が、ふっと、遠くを見るような色になった。
「ぼくが、いちばん小さい頃に、読んだ、絵本だ」
「えっ」
「星の海を、船で、わたる、ーー、男の子の、お話」
ノエル様の声が、いつもより、やわらかかった。
「母上が、いちばん最後に、読んでくださった、本だ」
──!
ノエル様の、母上。
長いこと、お会いになれない、母上。
その最後の思い出が、この絵本、なんだ。
胸が、ぎゅっ、と、なった。
──大切な本。
──ノエル様にとって、世界でいちばん、大切な本。
◇◇◇
「ノエル様、これ、読んでみたい」
「ーー」
「お家に、もって帰って、読んでも、いい?」
ノエル様は、しばらく、絵本と、私を、見くらべていた。
青い瞳が、迷っている。
大切な本を、人に貸すこと。
初めて、なのかもしれない。
──、と。
「ーー、貸して、やらないことも、ない」
──!
「ほんと?」
「ーー、ただし」
ノエル様は、びしっ、と指を立てた。
「よごすな。ぜったいに、よごすな。ぼくの、ーー、大切な、本だ」
──、大切な本。
──ふふ。
ノエル様、ちゃんと、「大切」って、言葉に、してくれた。
「うん、ぜったい、よごさない。宝物みたいに、大事にする」
「ーー」
「お家につく前に、雨がふったら、自分のお洋服でぐるぐる巻きにして、守る」
「お、お前、ーー、それは、寒いだろう」
「平気だよ、この本の方が、大事だもん」
「ーー」
ノエル様の頬が、ほんのり、染まった。
──ふふ。
ノエル様、わかりやすい。
◇◇◇
──けれど。
私は、ひとつ、白状しなくちゃ、いけないことがあった。
「あのね、ノエル様。私、ーー、字、ーー、まだ、ちゃんと、読めないの」
──しょぼん。
私は、村の子。
お母さんに、すこしずつ、教わっているけれど、まだ、むずかしい字は、読めない。
「お前」
「ごめんね。せっかく、貸してもらうのに」
「ーー」
ノエル様は、何かを、言いかけて、ぐっ、と口を、つぐんだ。
──あれ?
──ノエル様、いま、何か、言おうとした?
「ノエル様?」
「なんでも、ない」
ノエル様は、ぷい、と顔を背けて、ぼそりと、言った。
「家で、ーー、お前の母に、読んでもらえ」
「うん、そうする」
──ふふ。
ノエル様、いま、たぶん、「ぼくが、読んでやる」って、言いかけたんだ。
でも、はずかしくて、言えなかったんだ。
──ふふふ。
いつか、ノエル様が、自分から「読んでやる」って、言ってくれる日が、きっと、くる。
私には、なんだか、そんな気が、した。
◇◇◇
それから、ノエル様は、絵本のお話を、すこしだけ、教えてくれた。
「星の海は、ーー、夜空の、ことだ」
「夜空?」
「星が、いっぱい流れる、夜の空を、ーー、海みたいに、見立てている」
「わぁ、ロマンチック」
「ーー」
「それで、男の子は、星の海を、船で、わたるんだね」
「そうだ。ーー、ひとりぼっちで、ーー、お母さんを、探しに、行く」
──、!
──お母さんを、探しに。
──ノエル様と、おなじだ。
──ノエル様も、ずっと、お母さんに、会いたくて。
「ノエル様も、お船に、乗って、お母さんに、会いに、行きたい?」
「ーー」
ノエル様は、答えなかった。
ただ、青い瞳が、すこし、揺れていた。
──ごめんね、ノエル様。
──聞いちゃ、いけないこと、聞いちゃったかな。
「リリィ」
「うん?」
「いつか、ーー、お前と、一緒に、ーー、星の海を、見に、行きたい」
──!
ノエル様、私と、一緒に。
お船に乗らなくても、星の海を、見るだけでも、私と、一緒に。
──嬉しい。
「うん、ぜったい、いつか、一緒に、見ようね」
「ーー、ふん」
ノエル様の頬は、もう、すっかり、赤かった。
◇◇◇
帰り道。
私は、青い表紙の絵本を、両手で、大事に、大事に、抱えて、歩いた。
ノエル様の、大切な本。
ノエル様が、ちっちゃい頃に、読んだ本。
母上が、最後に、読んでくださった本。
星の海を船でわたって、お母さんを探しに行く、男の子のお話。
──ふふ。
ノエル様の、いちばんのお友達だった本を、いま、私が、預からせてもらっている。
なんだか、ノエル様の心のひとかけらを、そっと、手のひらに、のせてもらったみたいだった。
──ぜったい、ぜったい、よごさない。
◇◇◇
その夜。
私は、お母さんと、ふたりで、青い絵本を、ひらいた。
「お母さん、これ、ノエル様が、貸してくれたの」
「あら、すてきな、絵本ね」
お母さんは、絵本の表紙を、そっと、撫でた。
「リリィ。これは、とても古くて、大切な絵本ね」
「うん。ノエル様が、ちっちゃい頃から、お母さまに、読んでもらった本なんだって」
「ーー、そう」
お母さんの目が、すこし、潤んだ気が、した。
──お母さん、ノエル様の、お母さまのことを、想ったのかな。
「リリィ、いっしょに、読みましょうか」
「うん」
お母さんの声に合わせて、私は、いっしょうけんめい、字を、おいかけた。
星の、海。
ちっちゃな、船。
ひとりぼっちの、男の子。
その男の子は、星屑の波をこえて、お母さんを、探しに、行く。
その男の子は、なんだか、ノエル様に、すこし、似ていた。
──明日、ノエル様に、お話のつづきを、聞いてみよう。
──そして、いつか、私も、ちゃんと、字を、おぼえて、ノエル様に、絵本を、読んであげられるように、なりたい。
──ノエル様の、お母さまに、ノエル様が、いつか、会えますように。
私は、絵本を、ぎゅっ、と、胸に抱きしめて、こっそり、お祈りした。
リリィ・ホーニング、六歳の春。
呪われた男の子に、薬草を運ぶ日々の、三週間と二日目。
ノエル様が、いちばん大切な絵本を、私に貸してくださった日。




