第18話 十二の光
第18話 十二の光
王都中央広場には、焼けた金属と焦げた羊毛の匂いが充満していた。グランツ公爵が起動した巨大装置は、地面に打ち込まれた黒い根のような回路から魔力を吸い上げ、低い音を立てながら膨張を続けている。広場を覆う石畳には青白い亀裂が走り、その中央ではセシリアが装置に両手を縫いつけられたような姿で立っていた。白い式典用ドレスは肩から裂け、金糸の刺繍が黒く焦げている。朝から何も食べていないエルザの胃は縮んでいたが、避難の途中でパン屋の主人に押しつけられた干しブドウ入りの丸パンだけは、作業着のポケットに入ったままだった。
「装置の蓄積量は、設計上の限界を超えています。あと四半刻もありません」
エルザは膝をつき、熱を持った制御盤へ工具を差し込んだ。灰色の作業着は煤で汚れ、袖口には昨夜こぼした豆のスープの染みまで残っている。こんな服で各国の使節が集まる公開実験へ来るなとノーラに叱られたばかりだったが、礼装を着ていたら最初の火花で腕を焼いていただろう。エルザは焦げた髪を耳へかけ、震える指で魔力計の針を押さえた。
「中央装置だけを壊せば、蓄積された魔力が一度に放出される。王都の三分の一が吹き飛ぶわ」
「では、どうすれば止められるのですか」
アルベールは赤い騎士服の上着を脱ぎ、泣き続ける幼児へ掛けながら尋ねた。広場の噴水は止まり、露店に並べられていた焼き栗が石畳へ転がっている。栗売りの老婆は籠を拾おうとして兵士に抱えられ、何度も「あれは明日の仕入れ代なんだよ」と訴えていた。王太子であるアルベールは泥のついた長靴で栗を踏まないよう避け、避難路を塞ぐ荷車へ肩を入れた。
「未完成の分散式結界を使います。十二か所の中継塔を同時に動かせば、暴走した魔力を分けられます」
「未完成なのでしょう」
「だから危険です。それでも、ほかに方法はありません」
エルザが図面を広げると、強い風が紙の端を持ち上げた。ノーラは腰の革袋から、昼食に持ってきたリンゴを一つ取り出し、それを重し代わりに図面の隅へ置いた。ほかの三隅にはレンチ、釘の箱、食べかけの固いチーズを置く。王都を救うための図面を昼食で押さえる光景を見て、誰かが小さく笑い、その笑いはすぐに装置の唸りに飲み込まれた。
「十二か所を同時に、ということは、十二人必要なのね」
「正確には、塔ごとに一人です。回路の接続手順を理解し、魔力の流れを見ながら調整できる人が」
「それならいるでしょう。あなたが半年かけて、しつこいくらい教えた人たちが」
ノーラは図面の上に身をかがめ、十二の塔を順番に指でたどった。東門塔、薬師街塔、北水路塔、旧鐘楼、西市場塔、騎士団塔、南倉庫塔、学術院塔、工房街塔、河岸塔、城壁塔、そして最も危険な中央塔である。講習を始めた頃、工具の名前さえ知らなかった者もいた。ノーラ自身も、最初の授業では魔導線を上下逆に取りつけ、エルザに「それでは温めたスープを床へ流すのと同じです」と言われて腹を立てたことがある。
「ノーラ、これは練習ではないのよ。接続を一つ間違えれば、塔ごと焼けるかもしれない」
「練習のたびに、間違えたら塔ごと焼けるつもりでやれと言ったのは誰?」
「それは、あなたが三度も説明を聞かずに菓子を食べていたからでしょう」
「四度よ。蜂蜜菓子がおいしかったの」
言い返したノーラの唇には、砂埃が白くついていた。それでも彼女は笑い、リンゴを一度だけ袖で磨くと、エルザの作業着のポケットへ押し込んだ。干しブドウ入りの丸パンとリンゴがぶつかり、妙に重い膨らみを作った。エルザはそれを取り出そうとしたが、ノーラは彼女の手首をつかんだ。
「戻ったら食べなさい。あなたは考え始めると、昼も夜も忘れるんだから」
「戻れる保証はないわ」
「だから戻るのよ。私のリンゴを勝手に遺品にしないで」
そのとき、倒れた展示台の陰からレイモンドが姿を現した。青い貴族服は泥と血で汚れ、片方の袖が肘まで裂けている。かつてエルザの設計図を盗み、グランツ公爵へ渡した男は、胸に丸めた紙束を抱えていた。その紙束の端には、彼が夜食に食べたらしい肉汁の染みがついている。
「十二人目は僕が行く」
「あなたに任せられると思う?」
ノーラが一歩前へ出ると、腰に下げた工具が硬い音を立てた。レイモンドは反論せず、盗み出した設計図の複製を石畳へ広げた。何度も開き直した跡があり、余白にはエルザの授業で使われた計算式がびっしりと書き加えられている。筆跡の横には、「苦い茶を買う」「靴下を繕う」という場違いな覚え書きまで残っていた。
「僕はこの設計図を隅々まで読んだ。盗んだものを公爵へ渡すためにね。でも、中央塔の逆流防止回路を扱えるのは、ここにいる者ではエルザと僕だけだ」
「信用を失った人間が、ずいぶん勝手なことを言うのね」
「信用してくれとは言わない。塔の前で逃げたら、背中を射てばいい」
「射る暇があったら回路をつなぐわ。あなたの始末は、そのあとよ」
エルザは二人の顔を交互に見た。レイモンドの指先には、設計図を何度もなぞった者にしかできない黒い魔導墨の汚れが残っている。彼を許したわけではなく、盗まれた夜にひっくり返した夕食の皿も、床へ散らばった豆も、眠れないまま迎えた朝の冷たい寝台も覚えていた。それでも今は、過去の罪を裁くより先に、王都で暮らす人々の明日の朝食を守らなければならなかった。
「中央塔を任せます。ただし、私の手順から一つでも外れたら、すぐに接続を切ってください」
「分かった」
「返事は明確に。講習で教えたでしょう」
「了解しました、エルザ技師長」
十二人はそれぞれの塔へ向かった。ノーラは東門塔、石工の娘マルタは薬師街塔、元時計職人のベネディクトは旧鐘楼、騎士団の整備士オルガは北水路塔を担当する。残る技師たちも、エルザが身分や出身に関係なく集め、油まみれの工房で回路の読み方を教えてきた者たちだった。講習中に居眠りをした者、文字が苦手で図を百枚描いた者、昼休みに毎日ゆで卵を食べて殻を机へ積み上げていた者もいる。
「全員、携帯通信石を確認して」
「東門塔、聞こえます」
「薬師街塔、少し雑音がありますが聞こえます」
「旧鐘楼、鳩の巣だらけです。靴がひどいことになりました」
「文句はあとで聞きます。鳩を追い出して、主回路を開いてください」
「技師長、鳩の親子まで避難させますか」
「卵があるなら籠へ入れてください。落として夕食にしないように」
十二の声が通信石から重なり、広場に残った兵士たちが思わず顔を見合わせた。緊迫した状況で鳩の卵を心配する者など、これまでの王国の技師にはいなかった。しかしエルザの講習では、配線に巣を作る鼠の逃がし方も、油をこぼした床へ灰をまく方法も教えていた。機械は人の暮らしの中で動くのだから、図面だけを見ていてはいけないというのが、彼女の口癖だった。
「アルベール殿下、起動まで広場を無人にしてください」
「分かった。君が作業できる時間は、私が作る」
アルベールは馬へ乗らず、自分の足で避難路を走った。魔力を失った街灯が倒れ、細い路地ではパン屋の荷車と貴族の馬車がぶつかって動けなくなっている。彼は宝石のついた剣を抜く代わりに、馬車の車輪へ肩を押し当てた。朝食に食べた塩漬け肉の脂がまだ口に残っていたが、水筒を差し出してきた兵士には「子どもへ渡せ」と返した。
「南通りは歩ける者を先に進ませろ。負傷者は広場の西側へ集めるんだ」
「殿下、城へお戻りください。ここは危険です」
「城の廊下に立っていても、道は空かない。そこの樽をどけろ」
「中身は魚の酢漬けです。割ると、ひどい匂いになります」
「王都が消えるよりはましだ。私の服で栓を押さえる」
アルベールの白いシャツへ酢と魚の汁が飛び散り、周囲の兵士が鼻を押さえた。こんなときでさえ、魚屋の主人は「その樽は三年物なんです」と泣きそうな声を上げている。アルベールはあとで弁償すると約束し、樽を二人がかりで路地の端へ転がした。避難する住民の列がようやく動き始め、その報告を聞いたエルザは制御盤の前で深く息を吐いた。
「第一段階を開始します。全塔、補助回路を接続してください」
「東門塔、接続」
「北水路塔、接続しました」
「河岸塔、古い鍋が端子にかぶせてあります。誰がこんなところで料理をしたんですか」
「住み込みの見張り番でしょう。鍋は捨てずに脇へ置いて。夕食に使うかもしれません」
「焦げついていますよ」
「水に浸しておけば落ちます。次、城壁塔」
ひとつ目の塔に淡い光がともった。続いて二つ目、三つ目と、王都の屋根の向こうから白い光が立ち上がる。だが七つ目が点灯した瞬間、中央装置が大きく震え、セシリアの喉からかすれた声が漏れた。彼女の腕に絡みついた回路は皮膚の下へ食い込み、紫色の線となって首筋まで伸びている。
「エルザ……助けて」
「話さないで。呼吸だけに集中して」
「私、成功すると思っていたの。みんなが私を見ていたから、失敗できなかった」
「いま説明しなくていいわ」
「あなたに勝てば、本物になれると思ったのよ」
「本物の技師は、失敗を隠しません。失敗したとき、誰に助けを求めるか知っている人です」
エルザはセシリアの手首へ冷却布を巻いた。布から薬草と古い酢の匂いが立ち、セシリアは顔をしかめた。救護兵が朝から弁当に入れていた漬物の酢を、冷却液の代わりに混ぜたらしい。洒落た香油を好み、いつも甘い花の匂いをまとっていたセシリアの周りが、今は煤と酢と汗の匂いで満たされていた。
「八番目、まだですか」
「工房街塔、歯車が動きません。砂が噛んでいます」
「予備の油は?」
「瓶が割れています」
「食堂が一階にあるでしょう。厨房へ行って、植物油を借りてください」
「揚げ物用でもいいんですか」
「今は香りを気にしないで。終わったら歯車を全部洗います」
工房街塔を担当するリナは、厨房から菜種油の壺を抱えて戻った。昼の仕込み途中だった魚の衣が台に並び、火の消えた鍋の中では刻んだ芋が油に沈んでいる。料理人は「その油は今夜の揚げ物に使うんだ」と怒鳴ったが、リナが王都を守るためだと説明すると、残っていた小麦粉まで持たせてくれた。彼女は菜種油を歯車へ流し、小麦粉を油漏れの場所へ振りかけた。
「工房街塔、動きました!」
「よくやったわ。残り三塔」
九番目、十番目の光が上がった。王都の空には紫色の雲が渦巻き、窓ガラスが一斉に震え始める。路地に干された洗濯物が強風にあおられ、白い下着や子どもの靴下が空へ舞った。避難中の女が自分の大きな下着を見つけて取りに戻ろうとし、兵士に止められている声が通信石にまで入ってきた。
「洗濯物はあとで拾えます! 命を先に運んでください!」
「技師長、十一番目の学術院塔です。接続端子が溶け始めています」
「濡らした布を三重に巻いて、その上から固定具を締めてください」
「布なんてありません」
「あなたが着ている上着を使いなさい」
「これ、新調したばかりなんですが」
「命があれば、また買えます」
「給金を上げてくださいよ!」
「その交渉も、生きて戻ってからにします!」
学術院塔を担当する青年は、緑色の上着を脱いで水瓶へ突っ込んだ。母親が三か月かけて縫った上着で、内側には寒さを防ぐための薄い綿まで入っている。彼は一瞬だけ刺繍された自分の名前を指でなぞり、それから布を端子へ巻きつけた。焦げた綿の匂いが鼻を刺した直後、十一番目の塔が点灯した。
「残るは中央塔だけです」
レイモンドから返事がなかった。通信石には砂を引きずるような雑音だけが流れ、中央塔の窓から黒煙が噴き出している。ノーラが東門塔から何度も彼の名を呼んだが、答えはない。エルザは制御盤から離れかけ、セシリアにつながった回路が鋭い火花を散らすのを見て足を止めた。
「レイモンド、聞こえますか。応答してください」
「……聞こえている」
「状況を報告して」
「逆流防止板が外れた。留め具が折れている。手で押さえれば回路を接続できるが、起動した瞬間に焼かれるかもしれない」
「接続してはいけません。別の固定方法を探して」
「時間がない」
「私の命令です。手を使わないでください」
「君は僕に、失敗したときは助けを求めろと教えた。だから助けを求める。エルザ、中央塔を起動したあと、僕を回路から引き剥がしてくれ」
エルザは唇を噛んだ。中央塔までは走っても数分かかり、そのあいだ制御盤を離れればセシリアを救えない。誰か一人を選ぶ計算など、どの教本にも載っていなかった。握った工具の柄が汗で滑り、手のひらに細かな金属片が食い込んだ。
「レイモンド、近くに何がありますか。目に入るものを全部言って」
「壊れた椅子、掃除用の箒、食器棚、それから昨夜の見張りが残した煮豆の鍋だ」
「鍋の取っ手は金属ですか」
「ああ」
「外して、留め具の代わりにしてください。箒の針金で縛れば固定できます」
「鍋の取っ手で王都を救うのか」
「笑うのは終わってからにして。急いで!」
金属のぶつかる音が通信石から響いた。レイモンドは煮豆のこびりついた鍋から取っ手を外し、折れた留め具の穴へ差し込んだ。指へ豆の汁がつき、こんな状況なのに夕食を抜いたことを思い出す。油で滑る針金を歯で引き締めると、固定板がようやく正しい位置へ戻った。
「中央塔、固定完了。接続できる」
「全塔、最終回路を開いてください。私の合図に合わせます」
十二人の声が順番に返ってきた。誰かは息を切らし、誰かは咳き込み、誰かの背後では避難した犬が吠えている。それでも全員が自分の塔に立ち、エルザの言葉を待っていた。半年前まで、彼らは王国の結界に触れる資格すら与えられていなかった者たちである。
「三、二、一、起動!」
十一の塔が同時に輝いた。しかし中央塔の光だけが弱く明滅し、巨大装置から放たれた魔力が再びセシリアの体へ流れ込んだ。エルザが叫ぶより早く、東門塔にいたノーラが補助回路を開き、自分の塔へ余分な魔力を引き受けた。手袋の縁が焦げ、掌へ熱が食い込んだが、彼女は歯を食いしばって接続棒を押し込んだ。
「ノーラ、補助回路を閉じて! あなたの塔がもちません!」
「中央塔が安定するまで十秒だけよ!」
「五秒です! それ以上は許しません!」
「相変わらず細かいわね。五秒で何とかしなさい、レイモンド!」
「今やっている!」
レイモンドは鍋の取っ手を両手で押さえ、ずれた回路を靴の先で蹴り込んだ。火花が頬をかすめ、焦げた眉毛の匂いが鼻へ入る。昼まで鏡の前で前髪を整えていた自分を思い出し、こんな姿を見たら屋敷の侍女たちが笑うだろうと思った。それでも彼は手を離さなかった。
「中央塔、接続!」
十二番目の光が天へ伸びた。次の瞬間、王都全体へ網目状の光が走り、十二の塔が互いにつながった。家々の屋根を越え、狭い路地を渡り、止まった噴水や干された洗濯物の上を通って、白い光の線が王都を包んでいく。中央装置に溜め込まれていた魔力は十二方向へ分けられ、中継塔を通るたびに勢いを弱め、暖かな風となって大気へ戻っていった。
「分散量、安定しました!」
「北水路塔、異常なし!」
「旧鐘楼も正常です。鳩も無事です!」
「東門塔、焦げ臭いけれど動いているわ。エルザ、今よ!」
エルザは制御盤の安全装置を叩き落とした。セシリアの腕へ食い込んでいた回路が緩み、その体が前へ崩れる。エルザは工具を投げ捨てて受け止めたが、二人分の重さを支えきれず、石畳へ尻もちをついた。セシリアのドレスからは焦げた布と香油と酢の匂いが混ざって漂っている。
「セシリア、目を開けて。聞こえますか」
「……おなかが、すいたわ」
「それだけ言えるなら大丈夫です」
「朝から、何も食べていないの。失敗したら太って見えると思って」
「失敗と体重に関係はありません。これを半分食べてください」
エルザは潰れた丸パンをポケットから取り出した。干しブドウは片側へ寄り、表面にはリンゴの形がくっきりついている。二つに割ると片方だけ干しブドウが多くなったので、エルザはそちらをセシリアへ渡した。セシリアは焦げた指でパンをつまみ、小さくかじった。
「固いわ」
「避難騒ぎで温める暇がなかったんです」
「あなた、いつもこんなものを食べているの?」
「いつもはスープもあります」
「豆ばかりの、薄いスープでしょう」
「元気になったら、文句を聞きます」
やがてアルベールが広場へ戻ってきた。白いシャツには魚の酢漬けの汁が染み、髪には誰かの赤い靴下が引っかかっている。兵士が取ろうとしたが、本人は気づかないままエルザの前へ駆け寄った。王太子らしい姿からは程遠かったものの、彼の後ろでは避難を終えた住民たちが、少しずつ広場へ戻り始めていた。
「終わったのか」
「はい。十二の塔はすべて安定しています」
「君が王都を救ったのだな」
「いいえ」
エルザは首を横へ振り、通信石を持ち上げた。そこからは、十二人が互いの無事を確かめる声が聞こえている。ノーラは焦げた手袋を脱げないと騒ぎ、工房街塔のリナは借りた菜種油の代金を誰が払うのか尋ね、旧鐘楼の担当者は保護した鳩の卵を持ち帰ってもよいか相談していた。中央塔のレイモンドは煮豆の鍋を壊した見張り番へ謝りながら、取っ手を必ず新品にすると約束している。
「私は仕組みを考えただけです。塔を動かしたのは、私が技術を教えた十二人です」
「彼らを信じていたのだな」
「間違えることも、余計なことをすることも知っています。でも、失敗を隠さず、分からないときは尋ね、隣の人へ手を伸ばせる者たちです。だから任せました」
王都を覆っていた紫色の雲がほどけ、午後の光が石畳へ戻ってきた。止まっていた噴水から水が噴き出し、広場へ転がった焼き栗を拾っていた老婆が、濡れた裾を気にしながら笑った。パン屋では火が戻り、途中だった生地を窯へ入れる音がする。どこかの家から夕食の玉ネギを炒める匂いが流れ、避難していた子どもが母親へ「おなかがすいた」と訴えていた。
「エルザ、リンゴを忘れないでよ」
通信石からノーラの声が聞こえた。エルザは作業着のポケットへ手を入れ、少し温かくなったリンゴを取り出した。表面には工具の角が当たった小さな傷があったが、赤い皮は光を受けてつやつやと輝いている。
「戻ったら十二等分にしましょう」
「そんな薄いリンゴ、食べた気がしないわよ」
「では、あなたが十二個買ってください」
「どうして私なの?」
「最初の授業で菓子を食べていた罰です」
通信石の向こうから、十二人の笑い声が重なった。エルザはセシリアを支えながら顔を上げ、王都の各地に立つ十二本の光を見た。暴走した結界を止めたのは、特別な聖女でも、一人の天才技師でもない。彼女が技術を教え、失敗も癖も知ったうえで信じて任せた、十二人の力だった。




