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第12話 一人で国を守るという欠陥

第12話 一人で国を守るという欠陥


 王宮地下に新設された魔導研究所には、朝も夜もなかった。分厚い石壁には外光を取り込む窓がなく、天井へ埋め込まれた魔導灯が白い机と銀色の器具を照らしている。換気口からは雨に濡れた王都の空気が流れ込んでいたが、室内には魔力触媒の金属臭と、研究員たちが飲み残した濃い珈琲の匂いが染みついていた。


 エルザは襟の詰まった白いブラウスに濃紺の作業着を重ね、長い髪を後頭部で一つにまとめていた。袖口には黒い魔法インクがつき、指先にも洗い落とせなかった細い線が残っている。朝食として運ばれた丸パンと茹で卵は机の端に置かれ、パンには手をつけた跡がなく、卵の殻だけが半分ほどむかれていた。


「エルザ様、また朝食を残しているではありませんか」


 クラウスは紙袋を抱えて研究室へ入り、机の上の皿を見つけるなり眉を下げた。今日は遅刻しないように早起きしたらしく、茶色い髪は普段より丁寧に撫でつけられている。しかし襟元のボタンを一つ掛け違えており、本人だけがそのことに気づいていなかった。


「茹で卵は半分食べました」


「半分では、食べたうちに入りません」


「殿下と同じことを言うのですね」


「殿下から頼まれました。エルザ様が朝食を残したら、昼食のパンを二つに増やせと」


 クラウスは紙袋から焼きたての胡桃パンを二つ取り出し、設計図のない小机へ並べた。表面には蜂蜜が薄く塗られ、温かい生地から小麦と胡桃の香りが立っている。エルザは反論しようとしたが、ちょうど腹が小さく鳴ったため、何も言わずに茹で卵の残りを口へ入れた。


「これでよいでしょう」


「パンも一つ食べてください」


「設計の確認が終わってからです」


「その言葉は、昨日も聞きました」


「昨日とは設計図が違います」


 エルザが真顔で答えると、クラウスは天井を見上げて長く息を吐いた。彼が何を言っても無駄だと判断したのか、胡桃パンの一つを半分に割り、エルザの右手へ持たせた。エルザはペンを持てなくなった手を見つめたあと、仕方なく一口かじった。


 研究室の中央には、三枚の大きな設計図が広げられていた。東部第三試験区で稼働した結界杭を基礎として、王国全土を覆う防衛網へ発展させたものである。北部の山岳地帯、南部の穀倉地帯、西部の港湾都市、そして王都を一本の巨大な魔法回路でつなぎ、外部から侵入する瘴気や魔物を遮断する仕組みだった。


 以前の純白のドレスよりも強力で、守れる範囲も比べものにならない。聖獣の糸の代わりに、各地で採れる銀糸と魔晶石を使うため、破損した部品を作り直すこともできる。エルザは半年間の試験結果を反映し、魔力の逆流を防ぐ安全装置まで加えていた。


「ここまでできているのに、なぜ殿下はすぐ承認なさらないのでしょう」


 クラウスは口に胡桃パンを入れたまま、王国全土を描いた設計図を覗き込んだ。大きな胡桃が入っていたらしく、噛むたびに頬の片側が丸く膨らんでいる。エルザはその食べ方を注意しようと思ったが、自分も片手にパンを持っていることを思い出し、先にカップの水を飲んだ。


「殿下は、設計を理解してから判断する方です。王太子の署名が入れば、結界杭の製造だけでも百人以上が動きます」


「なるほど。私なら、これだけ立派な設計図を見たら、よく分からなくても署名してしまいそうです」


「ですから、あなたにはまだ決裁権を与えられません」


「まだ、ということは、いつかはいただけるのですか?」


「まず、その襟のボタンを正しく掛けてください」


 クラウスは慌てて胸元を見下ろし、顔を赤くしながらボタンを掛け直した。エルザは設計図の端を重石で押さえ、一枚ずつ順番に重ねていった。アルベールが到着すれば、構造、費用、製造期間、必要な技術者の数まで説明できるよう、すべての資料を整えていた。


 やがて研究所の扉が開き、アルベールが二人の護衛を伴って入ってきた。今日は評議会へ出席するため、黒に近い深青色の正装をまとい、胸元には銀の王家紋章をつけている。雨に濡れた外套は護衛へ預けてきたらしく、肩には細かな水滴だけが残っていた。


「おはよう、エルザ。朝食は食べたか?」


「茹で卵を一つと、胡桃パンを半分です」


「クラウス、本当か?」


「茹で卵は私が来た時点で半分でしたが、残りを食べました。パンも、私が手に持たせました」


「余計な説明をしなくて結構です」


 エルザがクラウスを見ると、彼は仕事を果たしたという顔で胸を張った。アルベールはわずかに口元を緩めたものの、設計図の前へ立つと表情を改めた。護衛たちを扉の外へ待たせ、机の上へ革張りの帳面と鉛筆を置いた。


「では、説明してくれ」


「はい。最初に、東部第三試験区で確認された稼働結果からご説明します」


 エルザは細い指示棒を取り、設計図に描かれた東部の一点を示した。七十二時間の連続稼働に成功し、その後の追加試験でも結界杭に大きな損耗はなかった。農地や井戸への悪影響も見つからず、試験区内の瘴気濃度は以前の三分の一まで低下している。


「この結界杭を王国全土へ配置します。すべての杭を地下の魔力脈へ接続し、中央制御装置から一括して管理します」


「中央制御装置はどこへ置く?」


「王宮地下です。この研究所のさらに下へ、専用の制御室を建設します」


「敵に王宮へ侵入された場合は?」


「制御室へ至るまでに、七枚の防壁を設けます。最後の扉は、王家の血と私の魔力紋の両方がなければ開きません」


 エルザは次の設計図を広げ、地下制御室の構造を説明した。天井と壁には耐熱石を使い、魔法攻撃を受けても崩れない厚さを確保している。空気と水は独立した経路から供給されるため、王宮が包囲されても一か月は稼働を続けられる計算だった。


「結界杭が一本壊れた場合は?」


「隣接する二本が、その区域を補います」


「三本なら?」


「予備杭を起動します」


「中央制御装置が壊れた場合は?」


「その可能性を排除するために、七枚の防壁を設けます」


「可能性を聞いているのではない。壊れた場合に、どうなるのかを聞いている」


 アルベールの指が、設計図中央の赤い印を軽く叩いた。エルザはすぐに答えようとしたが、口から言葉が出なかった。中央制御装置を失った場合、各地の結界杭は決められた出力を維持するものの、瘴気の増減や魔物の侵入に合わせた調整ができなくなる。


「十二時間以内に制御を取り戻せなければ、結界杭は安全のために順次停止します」


「停止した結界を再起動できるのは?」


「私です」


「君が負傷していた場合は?」


「クラウスたちが手順に従って、応急操作を行います」


「完全な再起動はできるのか?」


「現時点では、できません」


 研究室の換気口から雨音が聞こえ、屋上へ落ちた水が排水管を流れていった。クラウスは食べかけの胡桃パンを紙袋へ戻し、先ほどまでの笑顔を消して設計図を見つめている。エルザは指示棒を持つ手に力を入れ、木製の柄が指へ食い込む感触を確かめた。


「なぜ、ほかの研究員にはできない?」


「術式が複雑だからです。魔力脈は時刻や天候によって流れを変えるため、設計図どおりに操作するだけでは調整できません」


「君は、どうやって判断している?」


「魔力の振動を見ます。音や光の変化も使いますが、最後は指先に伝わる感覚で決めます」


「その感覚を、言葉や数字にできないのか?」


「完全にはできません」


 エルザは指示棒を机へ置いた。自分の指先なら、糸一本を流れる魔力の乱れまで感じ取れる。他人が何度訓練しても身につけられなかった感覚を持つことこそ、自分の技術の価値だと考えてきた。


「エルザ、この設計は承認できない」


「どこに問題があるのでしょうか。中央制御装置の防壁が不足しているのであれば、九枚まで増やせます」


「防壁の数の問題ではない」


「制御装置を二基に増やすことも可能です。同じものを王都の北と南へ設置すれば、一方が破壊されても――」


「二基とも君にしか扱えないのなら、問題は変わらない」


 アルベールは帳面を閉じ、エルザの正面に立った。叱責するような声ではなかったが、承認を期待していたエルザの耳には、地下室の石壁へ何度も反響するほどはっきり届いた。半年をかけた設計図の上には、朝食の胡桃パンから落ちた小さな欠片が一つ残っていた。


「君に何かあれば、また国の守りが消える」


「私には護衛がつきます。研究所の警備も強化されています」


「護衛がいれば、病気にならないのか?」


「それは……」


「眠らずに研究を続けても、倒れないと保証できるのか?」


 エルザは机の端に残された茹で卵の殻へ目を向けた。昨夜は設計の確認を続け、寝台へ入ったのは夜明け前だった。クラウスが朝食を持ってこなければ、昼まで何も口にしなかった可能性もある。


「君を責めているのではない」


 アルベールはエルザが握ったままの右手を見た。指には何度もペンを使ったためにできた硬い部分があり、爪の隙間には黒い魔法インクが残っている。彼はその手から設計図を取り上げず、指を開かせるようなこともしなかった。


「ならば、何を問題にしているのですか?」


「この国が、君一人へ頼りきっていることだ」


「私には、そのための技術があります」


「技術があるから、君一人にすべてを背負わせてよいとは思わない」


「ですが、ほかの者にはできません」


「できるようにするのも、設計の一部ではないのか?」


 エルザは設計図へ視線を落とした。結界の強度、魔力の消費量、破損時の交換方法まで細かく計算しているのに、制御する人間が欠けた場合については、ほとんど何も書かれていない。自分がいることを当然の前提として、王国全土の防衛網を組み上げていた。


「私の技術を、ほかの者にも教えろということですか」


「命令すれば教えられるものなのか?」


「簡単ではありません。すべてを理解するには、何年もかかります」


「ならば、今日から始める必要がある」


「国家防衛の技術を広めれば、悪用される危険があります」


「だから誰にも教えず、君が倒れた瞬間に国中の結界を止めるのか?」


 エルザの頭に、鋏の乾いた音がよみがえった。純白のドレスへ刃が入り、数百層の魔法回路が一度に切断されたあの日、伯爵領の守りは消えた。マリアがドレスを切ったことは確かだが、誰も修復できないものを作り、その価値も扱い方も伝えなかったのはエルザだった。


 伯爵家の者は、地味なドレスだと思っていた。王国も、東部に結界があることは知っていても、その中心が一着の衣服であり、一人の少女によって維持されているとは把握していなかった。エルザが自分の技術を奪われないよう隠し続けた結果、守られている人々は、何によって守られているのかさえ知らなかった。


「私が作ったドレスには、欠陥があったということですか」


「結界としては優れていた。だが、それを君以外の誰も守れなかった」


「切った者が悪いのではありませんか?」


「切った者には責任がある。だから処罰された」


「では、なぜ私まで責任を問われるのです?」


「責任を問んでいるのではない。次も同じ仕組みを作るのかと聞いている」


 アルベールは一度言葉を切り、冷めかけた珈琲のカップを手に取った。一口飲むと、砂糖を入れていなかったらしく、わずかに眉を寄せた。それでもカップを戻さず、残りも飲みきってから机へ置いた。


「私は、君に技術を手放せと言っているのではない」


「では、何を求めているのですか?」


「君一人を犠牲にしなければ守れない国を、作り直したい」


「私を犠牲にしているつもりはありません」


「昨日、何時間眠った?」


「四時間ほどです」


「クラウス」


「二時間です。夜明け前にも、研究室の灯りがついていました」


「クラウス、なぜそこで答えるのですか」


 エルザが振り返ると、クラウスは自分の口を両手で塞いだ。しかし、答えを取り消すことはできない。アルベールは何も言わず、食べかけの胡桃パンと、朝から手をつけられていない水差しを順番に見た。


「君は自分が働ける限り、働こうとする。国がその善意を当然の資源として使い始めれば、いつか君を壊す」


「私が休んでいる間に魔物が来たら、誰が止めるのですか?」


「その問いに答えられる国を作るための研究だ」


 アルベールの言葉を聞き、エルザは白紙だった教本へ初めて文字を書いた夜を思い出した。他人に伝えられない感覚も、細かく分ければ一部は数字に置き換えられるかもしれない。一人ですべてを制御するのではなく、天候、地形、魔力量など、分野ごとに判断する者を置く方法もあった。


「少し、時間をください」


「どのくらいだ?」


「昼食までです」


「短すぎないか?」


「考えるのではありません。一度、壊してみます」


 エルザは設計図の一番上を持ち上げた。アルベールが止めるより先に、中央制御装置を描いた部分へ定規を当て、魔法インクの線を消去する薬液を垂らした。黒い回路は薄い煙を上げながら消え、紙の中央に大きな白い空白が残った。


「エルザ様、半年かけた設計図ですよ!」


「だから直すのです。完成したと思い込んでからでは、修正できません」


「しかし、中央制御装置がなければ、各地の結界杭をどうやって動かすのですか?」


「それを、これから考えます」


 エルザは二枚目、三枚目の設計図からも、中央制御装置へつながる線を消していった。紙の上には途切れた回路が残り、そのままではどの結界杭にも魔力が届かない。半年前にドレスを切り裂かれたときとは違い、今度はエルザ自身が、自分の作った回路を断ち切っていた。


 昼になっても、三人は研究室の机を囲んでいた。給仕が持ってきた昼食は、豆と鶏肉を煮込んだスープ、黒麦パン、酢漬けの胡瓜だった。エルザは設計図へスープをこぼさないよう紙を端へ寄せ、考えごとをしながら黒麦パンを二口で食べた。


「エルザ様、今日は食べるのが早いですね」


「時間がありません」


「速さを褒めたのではありません。よく噛んでください」


「あなたはいつから私の食事係になったのですか?」


「殿下に命じられた日からです」


 クラウスが自分のスープへ胡椒を振ると、蓋が外れて大量の粉が皿へ落ちた。彼はしばらく皿を見つめたあと、何事もなかったように匙を入れようとした。アルベールが無言で自分の皿と交換したため、クラウスは深く頭を下げた。


「制御装置を一つにするから、一つが壊れればすべてが止まるのです」


 エルザは食事の手を止め、皿の横へ小さな丸を十二個描いた。十二個の丸を線でつなぎ、一つを指で隠しても、ほかの丸同士がつながる形へ書き直していく。アルベールとクラウスは、食事を続けながら紙の上を見守った。


「制御装置を十二か所へ分けます。それぞれが周辺の結界杭を管理し、隣接する区域の情報も共有します」


「一つが壊れた場合は?」


「両隣の制御装置が、担当区域を分けて引き継ぎます」


「二つ同時なら?」


「残った十か所が出力を調整します。すべてを一人で判断する必要はありません」


「誰が管理する?」


「それぞれの土地で訓練を受けた技術者です」


 口に出した瞬間、エルザの背中へ冷たいものが走った。自分の知らない土地で、自分の目が届かない者たちに、結界の一部を任せることになる。誰かが手順を間違え、誰かが設計を盗み、誰かが意図的に壊す可能性もあった。


「怖いか?」


 アルベールは、エルザが紙の端を強く押さえていることに気づいた。彼女の爪の先で紙が曲がり、細い皺が一本できている。エルザは手を離して皺を伸ばしたが、完全には元へ戻らなかった。


「はい。私が見ていない場所で、私の術式に触れられることになります」


「やめるか?」


「いいえ」


「なぜだ?」


「私が怖がったままでは、国のほうが危険だからです」


 エルザは十二個の丸の中央へ、大きな丸を描かなかった。中央に立つ一人の天才も、誰にも開けられない制御室も置かず、複数の技術者が互いの不足を補う形にした。設計図の空白だった場所へ、新しい線が少しずつ増えていった。


「この方式に名前はありますか?」


 クラウスは胡椒の入っていないスープを飲みながら尋ねた。エルザは紙の上に広がる十二の制御拠点を見て、少し考えた。一本の回路へ集めるのではなく、役割も知識も責任も分け、それでも全体として一つの守りを作る仕組みだった。


「分散式結界と呼びます」


「では、私も一つを担当できますか?」


「まずは遅刻せずに研究所へ来てください」


「やはり、そこからなのですね」


 クラウスが肩を落とすと、アルベールは声を立てて笑った。エルザも小さく口元を緩めたが、すぐに新しい紙を取り出し、必要な技術者の条件を書き始めた。強い魔力だけではなく、異常を見つける目、失敗を報告できる誠実さ、ほかの者と情報を共有できることが必要だった。


 夕方、研究所の机には十二枚の白い用紙が並んだ。一枚ずつに担当区域、必要な技能、訓練内容を書く欄があり、名前の欄だけは空いている。朝から置かれていた胡桃パンはなくなり、代わりにクラウスが掛け直した襟のボタンが、また一つずれていた。


「この十二人を、王国中から探します」


「貴族に限るのか?」


「いいえ。技術に身分は関係ありません」


「魔力量の基準は?」


「最低限で構いません。それよりも、自分の間違いを隠さない者を選びます」


「君がその者たちを教えるのか?」


「はい。ただし、私の助手としてではありません」


 エルザは教本の最初のページを開き、その隣へ十二枚の用紙を重ねた。誰かに使われるだけの補助者を集めても、エルザがいなくなれば同じことが起きる。必要なのは命令を待つ者ではなく、自分で考え、ほかの者と支え合いながら結界を守れる技術者だった。


「私と同じように判断できる者を育てます。いずれは、私と違う方法を見つける者も現れるでしょう」


「それを許せるのか?」


「許すという考え方が、すでに間違っているのかもしれません。技術は私の所有物ではありませんから」


 エルザはそう答え、朝に消した中央制御装置の跡を見つめた。白く残っていた紙の中央には何も置かれていないが、その周囲では十二の拠点が複数の線によってつながっている。一つが失われても、残りが働き続ける設計だった。


 かつての純白のドレスは、世界でただ一人、エルザだけが作り、エルザだけが制御できる最高傑作だった。それと同時に、一人の少女が眠ることも病気になることも許さない仕組みでもあった。新しい結界は、一人の天才を中心には置かない。


「承認していただけますか?」


 エルザが尋ねると、アルベールは十二個の丸が描かれた紙を手に取った。まだ計算も材料も書かれておらず、設計図と呼ぶには粗いものだった。それでも彼は朝とは違い、革張りの帳面を開いて最初の予算申請へ署名した。


「技術者を探すための予算だけだ。結界そのものは、完成するまで承認しない」


「十分です」


「それから、今日は夕食前に研究室を出ること」


「それは設計の承認条件ですか?」


「王太子としてではなく、共同設計者としての要求だ」


「共同設計者なら、殿下にも夜更かしは禁止です」


「分かった。互いに監視しよう」


 アルベールが手を差し出すと、エルザは少し迷ってからその手を握った。手袋を外した彼の掌は、冷たい地下研究所にいたため少し冷えていた。エルザの指にも魔法インクがついていたが、アルベールは気にせず握り返した。


 その夜、研究所の灯りはいつもより二時間早く消された。エルザは濃紺の作業着を脱ぎ、袖についたインクを濡らした布で丁寧に拭ってから自室へ戻った。机の上には十二人分の空白の名簿が残り、換気口から入る雨の匂いが、胡桃パンと珈琲の匂いを少しずつ薄めていた。


 一人で国を守ることは、強さではなかった。一人しか国を守れない状態を、そのままにしておくことだった。エルザは誰にも触れさせない結界ではなく、誰かが倒れても、残った者たちが守り続けられる結界を作るため、翌朝から十二人の技術者を探すことにした。



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