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「現場の空気を感じてみたいんです」
連れ立って歩くスヨンが、康浩に言った。日本料理店、和膳を後にした二人は、地下鉄で一駅行った繁華街の北端にあるバー、カリフォルニアの入る雑居ビルを目指して歩いていた。周囲は徐々に中心街の喧騒から離れつつある。
「釜山時代の先輩は、現場に立ってみると見えてくるものがあると、よく言っていました」
韓国在任中、彼女の先輩にはとても熱心な男がいて、職務中に犯人を追って殉職したと梅田教授から聞いたのを康浩は思い出した。その時は、外国は物騒だからかなと気にとめなかったが、今は何となくわかる。放っておけば、犯人を見つけて追いかけそうな気迫を、今まさにスヨンからヒシヒシと感じる。
「立派だ」
康浩は、自分が法医学者として中途半端な気持ちで仕事をしているような気がしてきた。移植外科医になる夢をあきらめ、目の前の生活のために法医学に転じた自分が少し恥ずかしかった。
「ピッツバーグ大学の教授からは、死者のラスト・メッセージを聴けと何度も言われました」 スヨンが遠い目をして言った。その先には月が青白く光っていた。今夜の月光は、妙に神秘的に見える。
「死者のラスト・メッセージか……」 佐山のラスト・メッセージは、単純な転落事故ではないよと言っていたのかと、康浩は月を見ながら考えた。
「意識を集中して見ていると、死者が語ってくれる。やがて、一つしかない真実が明らかになってくる」 スヨンも月を見ながら言った。
「それは、よい言葉だね」
「はい。そして、世界は意外に単純にできていると最近よく思うんです。先生はそう思いませんか?」 スヨンが康浩に視線を戻して訊いた。
「ああ、……何となくわかる」 国が違っても、そこに暮らしているのは同じ人間。米韓二か国で暮らしたスヨンの気持ちを、日独二か国で暮らしたことのある康浩は何となく理解し共感できた。同時に、彼女の師匠たちが言った言葉は、自分にも当てはまるんだと思い至った。




