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「ごめんください」 歴史を感じさせる日本料理店玄関の格子戸を開けると、一段上がったところにいた仲居に二人は挨拶した。
「はい、ご予約のお客様ですか?」 整った顔立ちで和服を着た中年女性が、にこやかに答えた。
「いえ、私たちは中央医科歯科大学の法医学者です」 康浩が、身分証を提示した。
「はい……、どういったご用件ですか?」 仲居から笑顔が消えて、警戒感が見えた。
「実は、昨夜こちらで食事をされた佐山さんという方が亡くなりました」
「まあ、それはいったい、どういうことで?」 仲居は目を見張った。佐山の死は報道されていないから、初めて知ったのだろう。少なからず驚いているようだ。
「我々は、その死因を調査しているのです。昨日、佐山さんがお食事をされたお部屋とメニューを見せていただきたいのですが」 康浩は単刀直入に、スヨンの知りたがっていたことを仲居に質問した。
「少々、お待ち下さいませ」 仲居はそう言うと、入り口近くにある小さな台の上で台帳を繰って見た。
「そのお部屋は、七時からご予約のお客様が入ります」 仲居が顔を上げて答えた。
「見るだけですから、すぐに済みます」 康浩が懇願した。
「……では、こちらへ」 少し考えた仲居が、康浩たちに言った。
「すみません」 康浩が靴を脱ぐと、スヨンも靴を脱いで仲居に従った。スヨンは丁寧に自分と康浩の靴を入り口方向に揃えることを忘れなかった。
入り口から仲居について古い木の廊下を奥へと歩いて行くと、やがて右手に中庭が見えた。中央に灯篭が立つ小さな日本庭園で、小さな石庭の奥に岩と松が配されていた。時間があったら抹茶でも飲みながらゆるりと見てみたいような庭園だと、康浩は思った。
それを見ながら一番奥まで入った右手の部屋のふすまを、仲居が開けた。
「こちらです。メニューは、このお品書きを差し上げます」部屋の入口にあった二つ折りの和紙に毛筆で書かれたメニューを、仲居が康浩に手渡した。彼はお礼を言ってメニューを受け取った。
部屋は六畳間、左手に小さな床の間には掛け軸がかかり、一輪挿しが置かれていた。部屋の中央には黒塗のテーブルをはさんで、向い合せに二つの座布団が敷かれていた。
「今からお箸やお盆を用意するところです」 仲居が言った。
康浩とスヨンは部屋を一周して外を見た。窓越しにある白塗りの塀の前には、数本の細い竹が目隠しとなって周囲のビル群は見渡せないようになっていた。日本情緒を壊さないよう、いろいろ配慮されているようだ。
「お忙しいのに、お手間を取らせました」 部屋を見終えた康浩は、仲居に改めて礼を言った。そして、
「ところで昨夜、佐山さんを担当された従業員の方に、ほんの一分ほどお会いしたいのですが」と結んだ。
「それは、私です」 仲居が、再び不安そうな顔をした。何を訊かれるのか身構える、当然の反応だろう。
「それはちょうどよかった。失礼ですが、お名前は?」
「女中頭をしております渡辺と申します」 彼女の隙のない行き届いた物腰に、そういう高いポジションの仲居だったのだと康浩は納得した。
「昨日、佐山さんは二人連れで来られたのですね」
「はい」
「佐山さんは、よくいらっしゃるんですか?」
「はい」
「お連れの方も?」
「はい。……あの、何か当店に問題があったのでしょうか?」 仲居は不安な表情を残したままで尋ねた。
「いえいえ、報告書を書かなくてはいけないので、佐山さんの行動を確認しているだけです」 康浩は、相手に安心感を与えるように愛想よく言った。
「お亡くなりになったのには、食中毒か何かの疑いがあるのでしょうか?」
「いえ、それはまったくありません」
「そうですか……」 仲居は、少し安心したようだった。食べ物屋から帰った客が死んだとなれば、そういう心配をするのは当然だ。彼女たち飲食業にとっては営業停止にもなり得る大問題だからだ。
「佐山さんの様子はどうでしたか? 体調が悪そうだったとか?」 康浩は引き続きにこやかに尋ねた。
「いえ、少し酔っていらしたようですが、普通に歩いて出て行かれました」 仲居は少しだけ首をかしげて、正確に記憶を呼び起こす様子で答えた。康浩はスヨンに目くばせしたが、彼女もこれ以上の質問はないと首を横に振った。
「そうでしたか。いや、どうもありがとうございました」 康浩たちが頭を下げると、再び仲居に案内されて静々と玄関に戻った。まだ時間が早いせいか、お客はあまり来ていないようだ。
「どうも、ありがとうございました」 康浩とスヨンは玄関で、もう一度女中頭の渡辺に丁寧にお礼を言ってお辞儀をしてから外に出た。
「ふー、日本の丁寧語は本当に難しいです」外に出るとスヨンが言った。珍しく緊張していたらしい。
「君にも難しい日本語って、あるんだね」
「たくさんあります。もっと勉強しないといけません」スヨンは、ため息まじりに白い息を吐いた。




