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大通りを一筋奥へ入った細い通りに面して、目的の雑居ビルは建っていた。少し年季の入った灰色のビルの二階にバー、カルフォルニアがあった。
四階建てのビルに入って左側にあるバーへの階段の入り口に行くと、「立ち入り禁止」の黄色いテープが横に貼られていた。どうやら警察が現場検証を行っているらしい。
テープの前に立つ若い警察官に、康浩が身分証を提示して「中を見たい」と告げた。警官はテープをくぐって、階段上方に向かって仲間を呼んだ。間もなく、鑑識課の紺色の制服を着た西原妙子が階段から下りてきた。
「中田先生にスヨンさん! どうしたんですか?」 西原は、人懐っこい笑顔で訊いた。彼女はいつでも明るくて元気だ。
「いや、ちょっと気になることがあってね。中を見せてもらっていいかな?」 康浩が言うと、
「ええ、どうぞ。そろそろ終わるところです」と、西原がくりくりとした目を輝かせて答えた。
「初めに、佐山氏が転落した階段を見たいです」 スヨンが、目の前を指さして言った。
「はい。えーと、佐山はここに倒れていました」 西原は、階段下のスペースを案内した。周囲は意外に明るく、暗がりの階段で足を踏み外して転落するという事故は起きにくいと思われた。
康浩は警察からの報告書の写真を思い出してみた。ここで佐山は頭から血を流し、うつ伏せになって倒れていた。康浩がもう一度、上を見上げる間に、西原は階段を上り始めていた。
「血痕がここ。途中の階段にも三つほど血痕が落ちていました」 康浩とスヨンを連れて歩く西原が、いちいち階段を指さしながらゆっくり上った。
「血痕は掃除されてしまって残っていませんが、今朝お渡しした現場写真を参照にしてください」と言う西原に、康浩は「はい」と返事をした。
「そして、ここがカリフォルニアです」 階段を上りきったところにある木の扉を指して、西原が言った。三色の細いライトを組み合わせて「カリフォルニア」と英語で書かれたきらびやかな看板があった。
店内に入ると、中は西部劇に出てくるようなバーになっていた。左側の木造のカウンターの壁際に、バーボンやスコッチ、カリフォルニアワインが並んでいた。奥にはジューサーがあって、グレープフルーツが並べてある。ここは店名からも、アメリカ産の飲食物を提供する店であることがうかがえた。
「佐山氏の飲んだ物を調べたいんです」 スヨンが店内を見回してから、西原に言った。
「店の従業員の話によると……、待ってください」 西原がポケットから手帳をゴソゴソ出して、ページをめくった。
「ああ、ありました。二十二時過ぎから、バーボンをシングルで二杯。アーモンドの盛り合わせ。最後に、グレープフルーツジュース。以上です」
「……佐山氏の様子は、どうだったのかな?」 今度は康浩が訊いた。解剖の結果から、彼は病気で倒れたのではないと思われたが、果たしてそれが正しいのかが気になった。
「別に変ったことはなかったようです。大島一郎氏とテーブル席で一時間ほど普通に飲んでから、佐山は疲れたから帰るとバーテンダーに言い一人で出て行ったそうです」
その間にスヨンは、店のメニューをしげしげ見ていた。メニューには日本語と英語の両方が併記されていたので、スヨンには問題なく読めているようだ。
「警察の事情聴取を終えて午前三時すぎに大島一郎氏は自宅へ、従業員たちは食器を洗って掃除をしてから帰ったそうです」 西原が言った。
「うん」
「残っている指紋や足跡を再捜索しています。照合はこれからですが、まあ、大した収穫はないでしょうねぇ」 そう言い終えると、西原は一つ息をついた。
「ところで佐山氏は、初めてこの店に来たんですか?」 スヨンが西原に尋ねた。
「いえ、たまにこの店に来ていたようです」
「へえ」
「店長の話によると、佐山健一は大学院時代にアメリカ留学したことがあるそうで、ここの飲み物が懐かしいと、たまに来ていたそうです」
「ふーむ」 彼らはここも日本料理店も馴染みの店だったと考えられた。通り慣れた道で転落する可能性は、未知の場所よりもはるかに低い。やはり事故死は否定的だというのが、康浩の率直な感想だった。




