第2話 ダンジョンをジムにする男
俺は絶望していた。
いつも通っていたジムが、跡形もなく消えていたからだ。
代わりにそこにそびえ立っていたのは、巨大な石造りの門。どうやら、世間を騒がせている謎の構造物――ダンジョンというやつらしい。
世界中で突然出現したとか、内部には正体不明のモンスターがいるとか、ニュースでは大騒ぎになっている。
だが、今の俺にとって、そんなことはどうでもよかった。
俺のジムがない。
ベンチプレスもできない。スクワットもできない。デッドリフトだってできない。
何より、俺は今日こそベンチプレス百キロに挑戦するつもりだったのだ。
「……ふざけんなよ」
俺は拳を握りしめた。
ベンチプレスの自己ベストは九十五キロ。百キロという大台まで、あと五キロだ。
その五キロが、どれほど遠い壁なのか。筋トレをしたことがない人間には分からないだろう。
いや、分からなくてもいい。
とにかく、俺は筋トレがしたいのだ。
……待てよ。
俺は、はっと顔を上げた。
ジムがなくなったからといって、筋トレができなくなったわけではない。
幸い、俺のアパートにはダンベルがある。だったら、やることはひとつだ。
「よし!」
俺はすぐさま踵を返し、自宅に向かって駆け出した。
◇
俺はアパートに戻ると、部屋に置いてあったダンベルを引っ張り出した。さらに、折りたたみ式のトレーニングベンチも取り出す。
ダンベルだけでは鍛えられる種目が限られる。大胸筋をしっかり追い込むなら、やはりベンチ台が必要だ。
必要な器具をバッグに詰め込み、トレーニングベンチを抱えると、俺は再び部屋を飛び出した。
道中、すれ違う人々は不安そうな顔でスマートフォンを眺めていた。ダンジョンの出現によって、世の中は大変なことになっているらしい。
だが、俺には関係ない。
ここは、俺が通っていたジムだった場所だ。
月会費だって、もう払っている。建物がなくなったからといって、俺の筋トレへの情熱まで消えると思うなよ。
「……よし、行くか」
俺はダンベルを抱え直し、巨大な石造りの門をくぐった。
その瞬間だった。
――ピコン。
目の前に、半透明の画面が浮かび上がった。
「……は?」
突然の出来事に、俺は足を止めた。
画面には、見慣れない文字が並んでいる。
【名前】高瀬 大樹
【ステータス】
・HP:100/100
・MP:20/20
・筋力:25
・耐久:13
・敏捷:16
・器用:7
・知力:3
・幸運:6
「なんだ、これ?」
俺は画面をまじまじと見つめた。
HP? MP? 筋力?
ゲームか何かか?
いや、そんなことより。
「こんなわけの分からないものが目の前にあったら、筋トレに集中できないだろうが!」
俺は思わず声を上げた。
せっかくジムがなくなった絶望から立ち直り、こうして筋トレをしようとしているのだ。それなのに、目の前に変な画面が浮かんでいる。
邪魔だ。
実に邪魔だ。
「せめて、俺のビッグ3のマックス重量でも表示してくれよ!」
そう言いながら、俺は画面を手で払いのけた。
すると――。
――ピ、ピコン!?
画面が慌てたように点滅し、そのまま消えてしまった。
「なんだよ、消えるなら最初から出てくるなよ」
――ピ……ピコ……
俺の言葉に反応するように、悲しげな電子音が響いた。直後、再び画面が現れる。
【名前】高瀬 大樹
【ステータス】
・ベンチプレス:60kg
・スクワット:80kg
・デッドリフト:70kg
「……は?」
俺はもう一度、画面を見た。
ベンチプレス、六十キロ。スクワット、八十キロ。デッドリフト、七十キロ。
「いやいやいや、ちょっと待て!」
俺は画面に向かって抗議した。
「俺はベンチプレス九十五キロが上がるんだぞ! 六十キロって、いったい何を基準にしているんだ!」
スクワットだって、デッドリフトだって、もっと重量を扱える。そもそも、俺は自分の筋力を把握しているのだ。
毎回のトレーニングで重量を記録し、少しずつ成長を確かめてきたのだから。
それなのに、こんな適当な数値を表示されても困る。
「……やっぱり、あてにならないな」
――ピピピッ! ピピピッ!
ステータス画面は、まるで必死に何かを訴えるように点滅していたが、俺は気にせずため息をつき、画面を閉じた。
よし。
これでようやく筋トレに集中できる。
◇
門の向こうには、長く広い通路が続いていた。
石造りの壁に囲まれた空間は薄暗く、どこかひんやりとしている。奥へ進むほど、外の喧騒が遠ざかっていった。
なるほど。確かに、普通の建物とは違うらしい。
しかし、広すぎる。
これだけの空間があるのなら、筋トレくらいどこでもできそうなものだが、さすがに広すぎて落ち着かない。
「どこか、いい場所はないかな……」
俺はダンベルとトレーニングベンチを抱えたまま、通路を歩いていった。
すると、左手の壁に、人ひとりがようやく通れそうな細い道を見つけた。
こんなところに道があるのか。
俺は興味を引かれ、その道へ入ってみた。
少し進むと、通路の先に小さな空間が広がっていた。
広さはそれほどでもないが、ダンベルを使ってトレーニングするには十分だ。人目にもつきにくいし、通行の邪魔にもならない。
まさに理想的な場所だった。
「おお……!」
思わず声が漏れた。
いいな、ここ!
人も来なさそうだし、余計なものもない。ダンベルさえあれば、十分にトレーニングができる。
決めた!
今日から、ここを俺の筋トレルームにしよう!
◇
それから俺は、二時間ほどみっちり筋トレをした。
もちろん、ダンベルとトレーニングベンチでできる種目に限られる。ベンチもバーベルもないのだから、いつものメニューをそのまま再現することはできない。
それでも、やれることはある。
ダンベルプレスに、サイドレイズ。ワンハンドローイングに、スクワット。
限られた器具でも、工夫次第で十分に身体を追い込める。
俺はフォームを意識しながら、一回一回の動作を丁寧に繰り返した。
筋肉の収縮を意識し、反動を使わず、狙った部位に負荷をかけていく。回数を重ねるごとに筋肉が熱を帯び、最後の一回を終える頃には、全身に心地よい疲労が広がっていた。
そして、最後のセットを終えたときだった。
「……ん?」
妙な感覚が、身体の奥から湧き上がってきた。
なんだ、これ。
疲労しているはずなのに、身体が妙に軽い。それどころか、内側から力が溢れてくるような感覚がある。
「な、なんだこの、感覚は……!」
俺は自分の胸に手を当てた。
大胸筋が、熱い。
いや、大胸筋だけじゃない。
太腿の大腿四頭筋も、背中の広背筋も、身体のあちこちが活力に満ちている。
「み、みなぎる……! 力が、みなぎってくるぞおおおおっ!」
俺は本能のままに叫んだ。
何だこれは。
今まで何度も筋トレをしてきたが、こんな感覚は初めてだ。
パンプアップとは違う。
筋肉が張っているというだけではない。身体の奥底から、普段とは比較にならないほどの力が湧いてくるのだ。
まるで、全身の筋肉に新しいエネルギーが注ぎ込まれているようだった。
俺は興奮を抑えきれず、何度も拳を握ったり開いたりした。
すごい。
すごすぎる。
ジムを失ったときは、もう筋トレができないのかと思った。
だが、そんなことはなかった。
むしろ、ここは最高のトレーニング環境なのかもしれない。
「……気に入った!」
俺は満面の笑みを浮かべた。
この場所なら、これからも筋トレを続けられる。いや、今まで以上に充実したトレーニングができるかもしれない。
ダンジョンだか何だか知らないが、筋トレができるのなら大歓迎だ。
◇
十分に満足した俺は、ダンベルを抱えて来た道を戻り始めた。
門へ向かう途中、ふと思い出す。
そういえば、あのステータス画面。
あれは何だったのだろう。
まあ、どうせあてにならないのだが。
俺は試しに、もう一度画面を呼び出してみた。
――ピコン♪
どこかうれしそうな電子音とともに、ステータス画面が表示された。
【名前】高瀬 大樹
【ステータス】
・ベンチプレス:70kg
・スクワット:90kg
・デッドリフト:80kg
「……ん?」
俺は足を止めた。
ベンチプレス、七十キロ。スクワット、九十キロ。デッドリフト、八十キロ。
さっきより、全部十キロずつ増えている。
「なんか、上がってる……?」
俺は画面を凝視した。
いや、待て。おかしいだろ。
筋トレを二時間しただけで、そんなに重量が伸びるわけがない。
そもそも、ベンチプレスで重量を五キロ伸ばすのに、何カ月かかると思っているんだ。
それを、たった二時間で十キロだと?
「ふざけんな! そんな簡単に伸びてたまるか!」
――ピ……ピコ……
俺は思わず画面に怒鳴った。
筋トレを舐めるな。
重量を伸ばすというのは、日々の積み重ねの結果なのだ。
地道にトレーニングを続け、食事に気を遣い、睡眠を確保して、ようやく少しずつ伸びていく。それが筋トレというものだ。
こんな適当な数字を並べられても、何の参考にもならない。
「やっぱり、あてにならないな……」
――ピピピッ! ピピ……
ステータス画面は、今度こそ分かってもらおうとするかのように音を鳴らしていたが、俺は再び画面を閉じた。
まあ、いい。
ステータス画面が何を表示しようと、俺が筋トレを楽しめたことに変わりはない。
今日のトレーニングは最高だった。
身体の奥から力がみなぎる、あの不思議な感覚。あれを味わえるのなら、明日もここへ来る価値は十分にある。
「明日も来よう」
俺は満足げに頷いた。
今夜はぐっすり眠れそうだ。
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ダンジョンでレッツ筋トレ!
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