第1話 プロローグ 世界の危機と、個人的な絶望
『――繰り返します。日本各地に、正体不明の巨大構造物が出現しました!』
女性キャスターの緊迫した声が、テレビやスマートフォンを通じて日本中に響き渡っていた。
画面には、住宅街の道路を塞ぐ巨大な石造りの門、ビルの隣にそびえ立つ黒い塔、そして地面にぽっかりと口を開けた地下への入り口が映し出されている。
いずれも、ほんの数時間前までは存在していなかったという。
『現在、政府は各地の状況を確認していますが、出現原因は一切不明です! 付近にお住まいの方は、決して近づかないでください!』
キャスターは必死に冷静さを保とうとしていた。しかし、その声には隠しきれない動揺がにじんでいる。
日本各地で人々が足を止め、突如出現した巨大構造物を見上げていた。悲鳴を上げて逃げ出す者もいれば、スマートフォンを向けて撮影する者もいる。警察や消防には通報が殺到し、SNSには現場の写真や動画が次々と投稿されていた。
誰もが混乱し、目の前で起きている事態を理解できずにいた。
そんな日本中が騒然とするなか、一人の青年がいつもの道を歩いていた。
高瀬大樹、二十三歳。
アルバイトで生計を立てながら、日々の筋トレを何よりの楽しみにしている青年だ。
今日もこれから、通い慣れたジムで汗を流す予定だった。
ベンチプレスの自己ベストは九十五キログラム。目標の百キログラムまで、あと五キログラム。
今日こそ、その壁を越えるための手応えをつかみたい。
そんなことを考えながら歩いていた大樹は、見慣れたジムの近くまで来て、ふと足を止めた。
「……な、ない」
いつもなら、そこにはジムの看板があり、ガラス張りの入り口から会員たちが出入りしているはずだった。
なのに、ない。
代わりにそびえ立っていたのは、見上げるほど巨大な石造りの門だった。その奥には、薄暗い通路が続いている。
大樹が呆然と門を見上げているのと同じ頃、テレビ局の中継スタッフは、市街地に出現した別の構造物へカメラを向けていた。
『たった今、現地から新たな情報が入りました! こちらをご覧ください!』
スタジオの大型モニターに、現場の映像が映し出される。
『あ、あります! 報告のとおりです!』
キャスターが息を呑んだ。
『市街地に、巨大な構造物が出現しています!』
日本中が正体不明の異変に震撼するなか、大樹は目の前の門を見つめていた。
そして、ようやく現実を受け入れた。
「俺の、俺の大切なジムが……!」
週に何度も通い、汗を流し、自分の身体と向き合ってきた場所。
アルバイトで稼いだ金から月会費を払い、食費を切り詰めてプロテインを買い、少しずつ重量を伸ばしてきた場所。
ベンチプレスも、スクワットも、デッドリフトも。すべては、自分の成長を確かめるための、かけがえのない場所だった。
それが、跡形もなく消えてしまったのだ。
『さらに、構造物の内部には、正体不明の生物が存在するとの報告も入っています! 繰り返します。内部は大変危険な可能性がありますので、決して立ち入らないでください!』
キャスターが声を張り上げる。
大樹は、門の向こうに広がる暗闇を見つめた。
あの中に何がいるのかは分からない。モンスターがいるのかもしれないし、人間にとって危険な場所なのかもしれない。
だが、彼の頭を占めていたのは、そんなことではなかった。
「……いったい、どうすればいいんだ……」
あと少しでベンチプレス百キロという目標を達成できそうなのに、トレーニングをする場所そのものが失われてしまった。
大樹は、その場に立ち尽くした。
日本各地では警察や消防が出動し、政府も対応に追われていた。正体不明の構造物を前に、人々は恐怖と不安に包まれている。
テレビの向こうでは、女性キャスターが震える声で訴えていた。
『原因も、対処法も、いまだ一切分かっておりません……。私たちは、これからいったいどうなってしまうのでしょうか……』
日本各地に突如現れた、正体不明の巨大構造物。
その内部に潜む、未知の生物。
政府にも解決の糸口が見えない、未曽有の異常事態。
人々は恐怖し、明日からの生活さえ見通せずにいた。
そして今、日本の未来を案じる女性キャスターと、筋トレの未来を案じる青年は、それぞれの場所で絶望していた。
『私たちの日本は、いったいどうなってしまうのでしょうか――!』
「俺の筋トレは、いったいどこですればいいんだ――!」
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