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陶犬瓦鶏  作者: 猫田たい子
第一章
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第1章 呼牛呼馬 8

8


 翔の予想は的中した。

 渉は取材中に頭痛に襲われ、意識を失った。現場スタッフがすぐに救急車を呼び、美和は慌てて翔に電話で助けを求めた。

 病室で目を覚ました渉は、ジプトーンの天井を見上げていた。左手に少し痛みを感じて視線を移すと、血管に翼状針が刺さり点滴がされているのが分かった。片頭痛が少し和らいだお陰で、病院のベッドに横たわっているのだと気づいた。

 LAから戻って以来、渉の休息はほとんどなく、気持ちとは裏腹に身体は悲鳴を上げていた。美和に伝えるのが億劫だった。

 渉は天井に視線を戻し、「虫食い」と呼ばれるジプトーンの天井を凝視した。伊賀上野城にある天井の大色紙を思い浮かべたが、疲れが抜けず集中力も低下しているせいか、虫がうじゃうじゃいるただの天井にしか見えなかった。次第に虫たちが踊っているように見えてきて、愉しくなって思わず笑みがこぼれた。

 病室のドアをノックする音が聞こえ、スライドして翔が入って来た。

 渉はてっきり美和だと思ったが、美和ならノックすらせずに入って来るはずだ。

「渉、大丈夫か」

「お母さんは?」

「――帰らせた」

 美和がすんなり帰るはずがないと渉は思ったが、翔のぎこちない態度から、二人の間で何かあったことを悟った。

「三日ほど検査入院になったから……ゆっくり身体を休めたらいいよ」

「ここにいていいの?」

「ああ……」

 看護師が入って来て、渉の終わった点滴の翼状針を外してくれたので、上半身を起こしてヘッドボードに寄り掛かった。

「安静にしてくださいね」

 看護師は出て行った。

 渉がうつむいたままでいると、翔が言った。

「今、渉が元気になるものが来るから」

――そんなものがあるのか?

 十三歳から自由を奪われた渉は、時折この苦痛(世界)から逃れたいとさえ思うようになっていた。

 ノックの音がした。

「おっ、来たな」

 翔は笑顔でドアを開けた。

 渉は冷ややかな目を向けたが、すぐに表情が明るくなった。

「渉、元気か」

 剛が照れながら病室に入って来た。

「剛!」

 渉は嬉しくて、思わず大声を出した。

 続いて大地も入って来た。

「お父さん!」

 渉はベッドから抜け出そうとしたが、翔に止められた。

 剛と大地はベッドの横に並んで腰を下ろした。

「二人ともどうしてここに?」

「翔くんが連絡をくれたんだ」

 剛が言った。

「翔くんが……」

 渉は翔を見た。

 翔はまた「くん」付けで呼ばれたので、少し照れて顔を伏せてから、「一時間したら戻る」と言って、三人を気遣いながら病室を出て行った。


 美和から渉が意識を失ったと連絡を受けた翔は、すぐに病院へ駆けつけた。

 医師から渉は「自律神経失調症」と診断され、十四歳の身体に対して不規則な生活が続いたため、生活リズムの乱れからくるストレスが原因で意識を失ったと説明された。

 今後、身体的な疾患があれば適切な治療を行うが、渉の場合、可能な限り環境を整えることが大切だと、医師は美和と翔に忠告した。

「十分な睡眠と休息を与え、中学生らしい生活リズムを取り戻せるようにしてください」

「そんな、来月から映画が公開されるのに休ませるなんて……」

「お母さん、俺が渉の代わりに取材を受けるから――」

「あなたには無理よ! あなたは渉の代わりにはなれない! 主役は渉なのよ!」

「あんた、最低な母親だな……」

 美和は翔の頬を引っ叩いて怒鳴った。

「母親に向かって何て口のきき方をするの!」

 すぐに医師が二人の間に割って入った。

「ここは病院です。喧嘩は困ります。――申し訳ありませんが、お母さんはお引き取り願います」

 美和は医師に促されて、仕方なく病院を出ていった。


 渉は二人に話したいことがたくさんあったが、会えた喜びで何から話せばいいのか分からなかった。

「剛、あれを渉くんに渡してやって」

「あっ、そうだ」

 剛はバッグから小さな青い箱を取り出し、渉に手渡した。

 渉はワクワクしながら箱を開けた。中には、伊賀鉄道が平成二十二年(2010年)二月二十八日から三月十五日まで、200系の営業運転開始を記念して限定二百枚製作した、伊賀焼の直径十八センチの『お皿きっぷ』が入っていた。

「わあ、『お皿きっぷ』だ!」

 渉は両手でお皿を掲げて喜んだ。

「俺とお揃いだ」

「ありがとう、剛!」

 渉と剛は一緒に、お皿に書かれた駅名を読み始めた。

「伊賀《いが》神戸《かんべ》→比土《ひど》→上林《うえばやし》→丸山《まるやま》→依那《いな》古《こ》→市部《いちべ》→猪田《いだ》道《みち》→桑《くわ》町《まち》→茅《かや》町《まち》→広小路《ひろこうじ》→上野市《うえのし》→西大手《にしおおて》→新居《にい》→伊賀《いが》上野《うえの》」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「早く忍者列車に乗りたい」

「乗れるさ。――それからこれも」

 剛は続けてバッグから、A4サイズのリーフレットを取り出して渉に渡した。それは九月三十日に限定千部、1シート千二百円で販売された伊賀鉄道・創業三周年記念切手『忍者列車』の切手だった。

「わあー『忍者列車』の切手だ!」

「この間お父さんが買いに行ってくれたんだ」

「お父さんが」

「平日に販売だったからね。しかも販売する地域も限られていた」

「ありがとう、お父さん。――これで剛に手紙を書くよ」

「俺の手紙、届いていなかった? 返事ないからお父さんと心配してたんだ?」

「えっ?」

「渉から引っ越したって手紙が来て、俺、すぐに返事を出したんだ。届いてなかった?」

 渉はやっと、美和が剛からの手紙を隠していたことに気づいた。

「忙しくて返事が書けなかったんだ。――ごめん、剛」

「まあ、別にいいいよ。――こうして久しぶりに渉に会えて、俺、本当に嬉しいんだ」

「俺も嬉しい」

「来月公開される渉の映画、俺もクラスの皆も楽しみにしているよ」

「えっ?」

 渉は驚いた。

「渉くん、もう嫌なことはしなくていいんだよ……。芸能活動は、子供が身体を壊してまでやるものじゃないから」

 大地は少し前のめりになって、ため息交じりで伝えた。

「うん……」

 渉は翔や美和に頼まれて嫌々演じていたあの映画が、剛をはじめクラスの皆が楽しみにしていると知って、なんだか嬉しくなった。

「さっき、渉くんのお父さんにもそのことを伝えたから」

「ありがとう、お父さん。――この映画を楽しみにしてくれる人がいるなら、もう少し頑張ってみようと思う」

「そうか……」

「俺が渉の一番のファンだからな」

 剛は二人の間に割り込んで、笑って言った。

「渉くんの一番のファンは俺だぞ」

 大地も続けて微笑んだ。

 応援してくれるファンがいると分かり、渉は素直に嬉しかった。

 映画の撮影が始まる前に分かっていたら、もっと楽しんで撮影に取り組めたかもしれない。

 母親が息子の応援者の一人として支えてくれていたら、どんなによかっただろう……。翔にも同じことが言えたが、兄は何が何でも弟を役者として認めるのを拒んでいるようだった。

 それでも……剛と大地をここに連れて来てくれたことには感謝していた。

 三人でいろんな話を楽しんでいると、あっという間に一時間が過ぎた。

 翔が徹を連れて病室に入って来た。

 渉が寂しそうに剛と大地を見送ると、翔は優しく「また会いに来てくれるから……」と言った。

「うん、そうだね……」

「看護師さんが、横のベッドで寝ていいって」

「ほんと!」

「同じ部屋で寝るのは久しぶりだな」

「二段ベッドじゃないけど……」

 渉は笑いながら言った。

「そうだな」

「お父さんもここで寝ようか」

「ベッドがないから、お父さんは床に布団を敷いて寝ないとね」

「酷いなー、渉は」

 久しぶりに懐かしい空気が病室に流れた。

 徹が電気を消して出て行った後、渉はベッドに横たわる翔に感謝を伝えた。

「翔くん、今日はありがとう」

「明日は朝から検査があるから、早く寝ろ」

 翔は照れくさそうに言った。

 仰向けに両目を細めて天井を見上げると、ジプトーンの模様が虫ではなく、横山大観の『満月』に見えてきた。満月を見つめながら、応援してくれている大切なファンの剛と大地のために、映画が公開されるまで楽しみながら頑張ろうと思った。

 両目を閉じると、翔の寝息が聞こえてきた。





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