第5章 牽攣乖隔 10
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渉が目を覚ますと、ジプトーンの天井が目に入った。
左手に少し痛みを感じて視線を移すと、血管に翼状針が刺さり点滴がされているのが分かった。
病院のベッドに横たわっているのだと安堵したが、中学生の頃に味わった光景と重なり、時間がリープしたかのように感じた。
上半身を起こして周囲を確認すると、中学生ではなく二十七歳の翔がいた。
「あー、よかった!」
「俺は……一体……」
「渉、お前突然気を失ったから驚いたぞ!」
渉は頭の中を整理してから、思い出すように呟いた。
「そうだ、紙袋……」
「紙袋ならそこに置いたぞ」
翔はサイドテーブルを指差した。
渉はとっさに紙袋を手に取って中身を確認した。ミラーマットを剥ぎ取って抹茶椀が壊れていないか確かめると、破損は免れていた。
「あー、よかったー」
安堵の息を漏らしながら愛おしそうに抹茶碗を抱きしめた。
「なあ、さっきの話だが……」
翔が話しかけようとしたが、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します」
女性看護師がドアを開け、上機嫌で入って来た。
「針を抜きますね」
看護師は渉の顔をまじまじと見つめながら翼状針を抜き、小さな絆創膏を丁寧に貼った。
「ありがとうございます……」
絆創膏を見つめた。
「安静にしてくださいね」
看護師は出て行った。
「あの子、お前のファンだな」
「俺のスマホは?」
「ああ、俺が持っている」
翔はジーンズの後ろポケットからスマートフォンを取り出して渡した。
本当の気持ちを志野に伝えたくて一秒でも早く陶犬茶房に電話をかけたかったが、画面を確認すると圏外になっていた。
「俺、もう帰るから」
渉は焦りながらベッドから出た。
「ちょっと待てよ。俺の話を聞いてくれ――」
「西野って人と芸能事務所を開業するんだろ」
「ああ……。渉、頼むからもう少し芸能活動を続けてくれないか?」
「悪いけど興味ない」
抹茶碗を手にして出て行こうとしたが翔が制止した。
「頼む! 渉!」
突然、翔は土下座をした。
渉は唖然としたが、この光景もどこかで見たことがあった。中学生の時、徹が渉のギャラをあてにして借金した時と同じだった。
「もしかして西野って人に借金した?」
翔は黙っていたので、図星だと思った。あの時と同じように酷い耳鳴りが始まった。
「一年だけでいい……」
頭を下げたままだった。
目の前にいる翔が本当に兄なのか疑念を抱いた。
「俺……『駒鳥』の審査の時に、兄貴に……翔に認められたくて、それだけでオーディションを受けたんだ……」
ゆっくり顔を上げて渉を見つめた。
「いつか兄貴みたいになりたいと思って……そんな純粋な気持ちでいたのに……今の翔は……俺が追いかけていた翔とは違う……」
「お前、何言っているんだ?」
翔は睨みつけた。
「俺にはもう……追いかける背中がない……」
激昂して立ち上がり、渉の胸ぐらを掴んだ。
「俺はお前を一度も認めたことはない! 俺はな! お前を『駒鳥』のオーディションに出したことをずっと後悔しているんだよ!」
渉の耳鳴りが絶叫した。
「だったらもう俺を解放してもいいだろ」
胸ぐらを掴む翔の手を払いのけた。
翔の怒りが爆発した。
「こんな物!」
渉から抹茶碗を取り上げ、床に向かって勢いよく投げつけた。
鈍い音とともに抹茶碗は五つに割れて破片が床に散らばった。
「あっ!」
渉は床に這いつくばって破片を集めながら「金継ぎしないと……」と呟いた。
翔は傲然たる態度で見降ろしながら嘲笑した。
「情けない姿だな」
その言葉を聞いて、渉は自分の何がいけないのか悲しくなった。
四つん這いのままドア付近に落ちていた最後の破片を拾い上げた時、廊下から看護師たちの話し声が聞こえてきた。
「えー、ここに岸部渉がいるんですか!」
「私、岸部渉に点滴をしたのよ。間近で顔を見たけどカッコよかったー」
「いいなー。私も岸部渉の顔が好きです」
看護師たちの会話を聞いた渉は顔に手をやった。
――顔……。そうか、顔か……。
何がいけないのかを悟った。
「渉、カッとなって悪かった……。俺……どうやって借金を返したらいいのか分からなくて……駄目な兄貴だよな……」
翔はため息交じりに呟いた。
渉は四つん這いの姿勢から正座になった。そして……右手に握った破片を左頬に押し当て、力任せに引いた。
激痛が走ったせいか、響いていた耳鳴りが収まった。
と同時に、微かに「ゴンさん……」と志野の声が聞こえた気がした。
「志野……」
微笑みを浮かべて両目を閉じた。
「聞いているか……」
翔は渉を覗き込んだが、次の瞬間「渉!」と叫んだ。
渉の左頬からどくどくと血が流れていた。
翔は周章しながら病室のドアを乱暴に開けて、廊下にいる看護師に向かって助けを求めた。
「誰か! 誰か!」
志野の愛情を感じ取った破片をしっかり両手に握り締めたまま、意識を失って床に崩れ落ちた。
流れ出る真っ赤な血液は渉を温かく包み込んでいた。




