エピローグ
昼下がり、閉店中の陶犬茶房のカウンターで、スウェット姿の祐太がコーヒーを飲んでいた。
夕刊を配るバイクの音が聞こえると、カップを置いて小走りでドアに向かった。
――来た!
バイクが通り過ぎるのを待ってから、ドアを開けて新聞受けから夕刊を取り出した。
ドアを背に新聞を開いてお目当ての記事を確認すると、カウンターに戻ってそのページだけを抜き取り、軽く折り畳んでスライドペダルのゴミ箱へ捨てた。
何事もなかったかのようにコーヒーを味わっていると、階段を降りてくる麻矢の姿が目に入り、祐太は微笑んだ。
「あー、やっと寝てくれたわ」
九月に三人目を出産したばかりの麻矢は、授乳に追われていた。
茶房の仕事はできるだけ祐太に任せていたが、落ち着くまでは午前中のみの営業にしていた。
「崇も雅人も彩ちゃんに優しくしてくれて……三人で仲良くお昼寝している姿を見たらもう一人ほしくなったりして……」
「じゃあ、今から頑張ろうか」
祐太は麻矢の首筋にキスをした。
「えー、本当にー」
嬉しそうに言いながら、「志野は一人で大丈夫かしら?」と心配そうに付け加えた。
「サフラもいるし、俺もいるから大丈夫」
「もー祐太ったら……ほんと、腹が立つ……」
「ごめん、ごめん。――先に寝室にいるから、茶房の戸締りを宜しく」
「うん、分かった」
階段を上って行く祐太を見送ってから、ゴミ箱に捨てられた新聞紙を取り出して確認した。
『岸部渉 そのまま引退か?!』
麻矢は深いため息をついた。
泰斗が七月に心筋梗塞で亡くなり、九月に麻矢が女の子を出産するまで、この聖域は目まぐるしい日々が続いていた。
ようやく落ち着いた頃、渉の消息がワイドショーで取り上げられていた。
志野がワイドショーに興味がないことを知っていたが、祐太は陶房で使う古新聞に渉の記事が載っているのを危惧した。
中学生の時、祐太は少しでも志野のそばにいたくて陶房で泰斗の仕事を手伝っていた。
作業台の上に敷く古新聞を広げた時、映画欄が泰斗の目に入った。
「おっ、面白そうな映画が公開されているなー。今夜は三人で映画でも観に行くか!」
映画館で、大好きな志野の隣に座っていられるだけで祐太は幸せだった。
純粋な青春時代を思い出しながら、大人になった今も彼女を守りたい気持ちは強かった。
「祐太らしいけど……なんかヤキモチ……」
麻矢は新聞をゴミ箱に戻し、コーヒーを淹れて一口啜った。
八月に渉が熱中症で病院へ運ばれ、院内で自傷行為をしたという噂が流れた。
祐太から「志野には絶対に言うな」と口止めをされたが、麻矢は自死した両親と重なって不安に駆られた。
報道が取り沙汰される中、内緒で渉のスマートフォンに連絡を入れたが、電話が解約されたガイダンスが流れるだけだった。
渉に「志野は待たない人」と伝えたことを後悔していた。この一言で自暴自棄になったのではないかと自分を責め続けたが、麻矢は志野の気持ちが分からなかった。
志野から祐太を奪った時も、彼女は自分の気持ちを決して表さなかった。
会えない月日が経つのは恐ろしいもので、志野の口から渉の話題が出なくなった。
それから渉の悲報が出て、所属事務所から「自傷行為はなかった」と声明が出されたが、一週間後、「体調不良による芸能活動の休止」と報道が流れた。
現在は、映画『Noah's Ark』が予定通り正月に公開されると話題になる一方で、一部では渉が精神科病院に入院しているのではないかと噂されていた。
「ゴンさん、大丈夫かしら……」
入口のベルが鳴った。
「あっ、すみません……。今日はもう閉店なんですが……」
麻矢はドアの方を見てから、「あっ、いらっしゃい」と相手に微笑んだ。
陶房の庭先で、志野は干した洗濯物を取り込んでいた。
白いシーツが強風に揺れて両目を閉じた瞬間、サフラが嬉しそうに鳴き出した。
「サフラ、どうしたの?」
背中を丸くしてシーツをかき分けると――目の前に渉が立っていた。
――ここは何も変わっていなかった……。
渉は志野の姿を眺めた。
――変わっていたのは……。
彼女は臨月に入っていた。
一時間ほど前、陶犬茶房で麻矢と祐太からいろんな話を聞いたが、妊娠のことは聞かされていなかった。
粋なはからいをしてくれた二人に感謝しつつ、感極まった渉は志野に歩み寄り、大きくなったお腹に両手を添えた。
「おかえりなさい、渉さん……」
志野は渉に微笑んだ。
その微笑みは、中学生の時に祐太が撮った写真よりも秀でていた。と同時に、愛する人から名前を呼ばれてやっと心安らいだ。
「ただいま、志野……」
志野は右手を伸ばして、渉の左頬の傷痕に優しく触れた。
渉も左手を伸ばして彼女の愛おしい痣に触れた。
傷口と痣が引き寄せられるようにして、二人はキスをした。
見つめ合いながらキスを交わしている二人の周りを、サフラが鳴きながら嬉しそうにぐるぐると回っていた。
<了>
<あとがき>
2020年7月、友人の死を知らされ、本当に辛い思いをしました。
亡くなった友人は、いつも私の脚本を読んで感想をくれる人でした。
その頃、私はルナちゃんという女の子に夢中になっていました。ルナちゃんは先天性巨大色素性母斑を持って生まれ、将来的に皮膚がんのリスクがあるため治療が必要な子です。痣がバットマンのシンボルのように見えることから、両親はルナちゃんと一緒にバットマンに扮し、その様子をインスタに投稿していました。その写真に心を打たれた私は、「痣の話を書きたい」という気持ちになっていました。
同時に、コロナ禍で「習い事がしたい病」にかかり、金継ぎ教室に通うことも決めていました。
ルナちゃんの写真を見た瞬間、私の頭の中に一つの物語が浮かびました。それは金継ぎができる陶芸家の娘に恋する男性の話です。娘に痣があるけど、本人は全く気にしていないという設定です。
物語を考えているうちに、亡くなった友人のご主人から樹木葬の話を改めて聞き、そこから『陶犬瓦鶏』のプロットが一気にまとまりました。
友人のためにも、初めての長編小説を完成させたい――そんな気持ちが強く湧いていました。
金継ぎ教室と陶芸教室に通いながら、伊賀焼や伊賀上野城について学び、伊賀市に何度も足を運び、楽しみながら作品を仕上げることができました。
この作品を仕上げるにあたり、伊賀焼のプロの陶芸作家さんとそのご家族には大変お世話になりました。今でも親しくしていただき、感謝の気持ちで一杯です。
伊賀市に一緒に通ってくれた友人達はもちろん、冗長な文章にも関わらず、最後まで読んで支えてくれた別の友人にも心から感謝しています。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
天国の友人も喜んでいると思います。




