第5章 牽攣乖隔 8
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石田から電話が入り、事務所からは引退を公表せずに芸能活動を休止する方向で話を進めたいと言われた。
「休止ですか……。俺、もう芸能界に未練はありませんが……」
「お正月に公開予定の映画もありますので、事務所としては世間には活動休止と発表しながら渉さんはそのまま戻らない形を取りたいそうです。ですが八月いっぱいで今の事務所と契約を解除したほうがいいと思います」
「分かりました……」
「書類を作成しておきますので、今月末に一緒に事務所へ足を運びましょう」
「それで……終わりなんですね」
渉は不安になって確認した。
「はい。それで渉さんの芸能活動は終わりです」
電話越しの石田の声は力強かった。
後日、中川から「渉くん、また演じたくなったら、いつでも戻ってきてね」と留守番電話が入っていた。
解散した人気バンドが十年後にニューアルバムを出して復帰するのはワクワクするが、俳優はどうなのだろう。
「俺なんて、数年後には世間から忘れられる存在だろうな……」
カレンダーに目をやると、失踪して一年が経っていることに気づいた。
いろいろな報告も兼ねて陶犬茶房に電話をしようとスマートフォンを取り出したが、なぜか躊躇した。
渋い顔で画面を見つめながら、こちらから連絡をしても返事がないならもう待つのを止めてもいいのではないか……そう感じ始めていたからである。
約七か月の間、伊賀の山麓で自分を見つめ直すきっかけをくれた泰斗、志野、麻矢、祐太には感謝していた。
伊賀に戻った志野は二度と出ることはないだろう。
彼女が待たない人間なら、自分も同じように待たない人間でいいのかもしれない……。
「これも愛かな……」
渉はフッと笑った。
今まで心の支えにしていた志野のメッセージを削除してから、陶犬茶房の電話番号をアドレス帳から削除した。
暗記していた電話番号だったが、自分の意思で削除したことで伊賀への……志野への未練を断ち切ることができたかもしれない……。
「結局、忍者列車に乗れなかったな……」
そう呟いてから、渉は新たな一歩を踏み出した。
八月はあっという間に過ぎた。
石田のお陰で芸能事務所との契約解除手続きも無事に終わり、渉は晴れて一般人の仲間入りとなった。晴れやかな気持ちのまま、京都にある漆工芸専門学校への入学手続きを始めていた。
渉同様に無職になった翔は不貞腐れていた。
「別に京都じゃなくても漆の学校は東京にもあるだろ」
「東京を離れたいんだ……」
「このマンションを引き払うのか?」
「そのつもりだけど……」
「じゃあ、俺は何処に住めばいい?」
「それは……」
渉は言葉を探した。
「勝手にしろ!」
翔は怒りながら出て行った。
小百合にフラれてから翔は酒に入り浸る生活を続けていたが、最近アルコールの匂いがしなくなっていた。出かけて帰らない日もあったので彼女でもできたのかと思ったが、マンションを出て行く気配もなく困ってしまった。
石田に相談すると、賃貸契約の名義を変更し、三か月分の家賃を渉が負担する間に翔が新しい仕事を探すよう助言された。
「渉、ここの家賃を俺が一人で払えると思っているのか!」
「じゃあ俺はどうしたらいいんだ?」
「知るか!」
翔は怒鳴った。
渉は小学六年生の時に見た中学生の翔を思い出した。兄の姿は凛々しく弟は金魚のフンのように毎日その背中を追った。正反対になった今、やっと中学生の翔の気持ちが分かる気がした。
「翔くん、しんどい……」
思わず渉は口にした。
「はあ? 翔くんだって? お前、俺をバカにしているのか」
渉は苛立つ翔にこれ以上話を続けるのは無理だと思い、スマートフォンと財布を手に「ちょっと出てくる」と部屋を出た。
「クソッ!」
翔はカウチにドスンと腰を落とした。
渉は子供の頃、剛と一緒にJR東日本の山手線に乗り、車窓を眺める遊びをしていた。途中下車して二駅ほど歩き、また山手線に乗る――二人だけの冒険だった。
車窓から眺める二人だけの目印にもなっていた建物が解体された時は複雑な気持ちになったが、その場所に新たな建物が完成すると嬉しくて、二人で途中下車をして建物の目の前まで足を運んだ。
建物の中から女性が現れて「こんにちは」と声をかけられた時は、二人は満面の笑顔で「こんにちは」と答えた。その建物がまだあることにホッとした。
ぼんやりと内回りの車窓を眺めていると五反田駅から大崎駅に到着する寸前、白猫が薄っすらと通り過ぎるのが視界に入った。
――あっ、あの白猫!
渉はハッとして大崎駅で途中下車した。
白猫がいた場所へ駆けつけたが姿はなかった。
――東京でも幻を見るなんて……。
「久しぶりに散策でもするか……」
遮断機が下り、鉄道が通り過ぎる振動を身体に染み込ませながら散策を楽しんでいると、小ぢんまりとした陶磁器店を発見した。
開店しているか分からなかったが、渉は引き寄せられるように店に入った。




