第5章 牽攣乖隔 7
7
一週間後、小百合と若手俳優の熱愛報道がスクープされた。二人は結婚前提だと互いの所属事務所が認めたため、渉は「小百合に捨てられたダサい男」として騒ぎ立てられた。
渉自身どこかで果報者になれたと感じていたが、翔は違った。
スマートフォンで小百合の熱愛報道を寂しげに見つめる翔を見て、渉は声をかけた。
「小百合のことだ。今回の熱愛報道も虚偽かもしれないぞ」
「もう会わないって小百合から言われた。今度は本気だろう……」
「それでいいのか?」
「小百合が幸せなら……それでいい……」
小百合を想う翔の姿はかつて祐太を想っていた志野と重なった。
祐太が麻矢と身体の関係を持った時――志野はどんな思いで高校生活をやり過ごしたのだろうか。
「渉、お前はどうするんだ?」
「えっ?」
渉は小百合が志野のことを翔に話したのではないかと、一瞬ドキッとした。
「事務所から八月で引退するって聞いたけど、本当なのか?」
「ああ……それは……」
「今の事務所が嫌なら俺が個人事務所でも立ち上げようか? お前なら一生安泰だろ」
翔の言葉に渉は閉口した。
「羽田さんの新しい熱愛報道が出た後ですから、今引退宣言をすると渉さんがフラれた腹いせに引退するみたいになりますね」
石田は電話越しに言った。
「俺もマスコミにそう書かれるんじゃないかと感じています」
「――それでも引退するお気持ちは変わりませんか?」
渉は芸能界に未練はなかった。
志野からプロポーズを断られても、彼女への気持ちは変わることはないだろう。志野のそばにいられなくても金継ぎに魅せられた今、本格的に漆を学びたい気持ちになっていた。
「はい、変わりません」
渉は自分の意思を石田に伝えた。
「分かりました。――ではこちらから事務所に伝えて、改めてご連絡します」
石田は電話を切った。
渉はすぐに陶犬茶房に電話を掛けたが、呼び出し音が鳴り響くだけだった。
「祐太の奴、俺の着信を拒否設定にしたか?」
渉は電話を切った。
ベッドに横たわり、志野の留守電メッセージを何度も聞き返してから「志野に会いたい……」とぼやいた。
「漆の勉強? どうして?」
翔が怪訝そうに渉に尋ねた。
「渉、お母さんは大賛成よ」
そばにいた美和が二人に言った。
「お父さんにも電話で報告したら賛成してくれたよ」
「そうでしょうね」
美和は頷きながら答えた。
「どうして漆なんだ?」
翔は納得できない様子だった。
「ただ、金継ぎに魅せられたから……」
「お前、自分のファンのことを考えたことがあるのか?」
「えっ?」
「失踪したお前をずっと待ってくれたファンの人たちだ。復帰して突然引退するなんて……自分のファンに対して申し訳ない気持ちにならないのか?」
「それは……」
「渉のファンなら渉の気持ちを分かってくれるわ」
美和が慌ててフォローした。
「漆なんて……」
翔は自分の部屋へ入って行った。
「金継ぎの魅力は漆を手にして初めて分かるのかも? 渉、翔にも金継ぎを教えなさい」
「そうだな……」
「――でも、お母さんは木賊よりもサンドペーパーの方が使いやすいから、翔に教える時はサンドペーパーにしてあげて」
「確かに」
渉は笑いながら答えた。
美和が帰った後、自分のファンのことを思い返した。今まで芸能活動が続けられたのは支えてくれるファンのお陰だと重々承知していた――。
でも……自己犠牲をしてまで芸能活動を続けられる身体ではなくなっていた。
――ファンの皆、ごめん……。
渉は自分を不甲斐無く感じた。
映画の撮影が無事に終了し、八月に入ると渉の仕事は雑誌のモデルが中心になった。撮影の合間、渉は徹とランチをとった。
「翔はいないのか?」
「誘ったけど……友達とランチするって……」
渉は苦笑しながら答えたが、少し気掛かりなことがあった。小百合の熱愛報道が出てから翔は家を空けることが増えていた。昼間から酒の匂いをさせるようになり、マネージャーとしての仕事にも手を抜くようになっていた。
――お父さんに相談するべきか……。
「好きな物を食べろ。お父さんのおごりだ」
楽しい時間を壊したくなかった渉は、翔のことは黙っておこうと決めた。
徹も美和と同様、渉が失踪したのは自分のせいだと責め続けていた。株に手を出さなければ高校をきちんと卒業できたはずだ。
「お父さん、俺、漆の勉強をしながら通信制高校を受けようと思っているんだ」
オーダーを済ませた渉が言った。
「本当か!」
「もう二十六歳になったけど……今漢字の勉強をしているんだ。特に四字熟語を……」
「四字熟語か。お父さんも少しは知ってるぞ」
徹は考えながら「昼想夜夢」と付け加えた。
「意味は?」
「昼に考えていたことが、夜になって夢になる」
「ふーん」
渉は毎日志野のことを考えているのに、彼女の夢を全く見ないのはなぜだろうと思った。
「渉の好きな四字熟語は何だ?」
「俺は……『春宵一刻』かな」
「春が一刻も早く来てほしいって意味か?」
「意味は……『美しい春の夜の心地よさ』」
日本では春の夜の素晴らしさを表す句として使われるが、中国では男女の恋情を表す時にも用いられる。渉は両方を好んだ。
「美しい四字熟語だな」
渉は六月、徹と一緒に大地と剛のお墓参りに行った。数年ぶりの再会ということもあって二人は終始緊張していたが、その後、メールを重ねるうちに打ち解けていった。
こうして徹や美和と円満な関係を築けているのは、母親の面影を知らない志野や両親を一度に亡くした麻矢の存在が大きかったのかもしれない。
渉は志野に両親の話をしたことがあった。
「お互いに生きていたら、喧嘩も仲直りもできるでしょう。ステキじゃない」
彼女の言葉に、渉は笑った。




