第5章 牽攣乖隔 4
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映画の撮影は順調に進んでいた。
渉の所属事務所は石田から労基法違反を指摘されたため、最低でも週に一度の休養日を設けるようになった。
渉は休みのほとんどを金継ぎの独学に費やしていた。
美和も金継ぎを習いたいと言って月に一、二度渉のもとを訪れたが、それは口実にすぎず、ただ息子に会いたかっただけである。
「お母さん……ずっと後悔しているの……」
「何を?」
「お母さんのせいで……渉は……」
美和は渉が失踪した時、自分が息子を追い詰めてしまったことを悔やんでいた。
「渉、ごめんね……」
涙を流しながら言った。
「お母さん……漆に気をつけないと……」
渉は美和が手にした弁柄漆のついた筆を優しく取り上げ「俺、今は幸せなんだ……」と付け加えた。
美和は驚いて渉を見た。
「こうやってお母さんと金継ぎができるのも、今までの俺があったからで……何て言うか……子役の時は辛かったけど、それがあって今の俺がいるから……」
渉は心の中で志野を思い浮かべながら言った。
「ありがとう、渉……」
美和は小さくほつれた皿に錆漆を塗りながら涙をこぼした。
「お母さん、蒔くのは次にしようか?」
美和は以前から本格的に金継ぎを習いたいと思っていたため、簡易金継ぎセットを持っていた。その中に本物の金粉の代用として真鍮粉が入っていて使いたかった。
「ううん。お母さん、今日は蒔いてみたい」
笑顔を取り戻して答えた。
渉は東京へ戻ってから金継ぎの本を濫読した。いろんな工程があり、志野の言う通り千差万別だと思った。
漆を使わない手法が幾つかあり、渉のお気に入りは両端の曲がった釘を使う中国人の特技として知られる『鎹継ぎ』と呼ばれる金継ぎである。陶器の割れ目に沿って左右に小孔を穿つ鎹で繋ぐ手法で、陶器にホチキスの景色が現れる一風変わった金継ぎである。
日本人の「勿体ない」精神が生んだ『焼継ぎ』は、江戸時代後期に流行した金継ぎ方法だ。釉薬に使われる鉛ガラス粉を溶かして割れた磁器を継ぐ手法で、漆で継ぐよりも手ごろな価格で修復できた。
焼継ぎ屋は家々を回り手軽に修復していたが、明治時代になると磁器の大量生産が普及し、やがて姿を消した。
現代では漆を使わない簡易金継ぎも存在するが、注意すべき点がある。合成樹脂を使用した塗料を漆と偽って販売する製品があり、食品衛生法に適合しているかを確認したうえで、自分の判断で楽しむことが求められる。
「真綿と毛棒、どっちで蒔きたい?」
「こっち」
美和は毛棒を選び、弁柄漆がついた部分にそれを使って真鍮粉を蒔いた。
「きれいね……」
美和は蒔かれた箇所を見つめながら言った。
「丸粉はもっときれいに仕上がるから、次は丸粉で蒔いてみたら?」
「本物の金は真綿で蒔いたほうがいいのかな?」
「毛棒でもきれいに蒔けるけど、真綿も練習だと思って使ったらいいよ」
「真綿で首を絞める」
「えっ?」
渉は驚いて美和を見た。
「ただの諺よ」
「首を絞めるなんて、怖い諺だな……。意味は何?」
「確か、じわじわと遠まわしに責めたり、痛めつけたりすること」
真綿はくず繭を煮て綿状に引き伸ばしたもので丈夫で軽い。ふわふわと柔らかい真綿だが、引っ張れば千切れないほど強く、その性質から真綿のようにやんわりと遠回しに責めるという例えに使われる。
「お母さん、そんな怖い諺、よく知ってるね」
「――渉と会えなくなってから、渉は忍者が好きだったなーって思い出して……それで自分なりに忍者を調べたら真綿に辿り着いたの。忍者は足袋の底に真綿を詰め込んで足音が出にくいようにしたり……」
「へえー」
「あと真綿で蜘蛛の巣を作って、忍者が逃げる時の偽装術として使われていたって」
「本当だ。真綿は広げると蜘蛛の巣みたいだ」
渉は感心した。
「実際には蚕の繭から作られているけど……蚕って……天の虫なのよね……」
「――ああ漢字が天の虫で蚕だね」
渉は頭の中で考えながら言った。
「昔、お婆ちゃんから聞いた話なんだけど、お婆ちゃんが子供の頃、学校のクラスに養蚕業をしている友達がいて、両親に内緒で繭を一匹貰って蛹から羽化に成功させたんだけど……蚕蛾って何も口にしないまま一週間ほどしか生きられないのよね……」
「蝉みたいだね……」
「それなら絹糸になったほうがよかったかもしれないってお婆ちゃんから聞いて……尊い命だな……と感じたことがあったの」
伝統ある美しい物には幾つもの命が宿っている。
金継ぎに使う漆も同じで、殺し掻きと呼ばれる漆の採取方法は木を傷付けて漆液を採る。一度の採取量を増やすために多くの傷を付けるが、その木はもう再生しない。
「一本の木から採れる漆の量は年間わずか二百グラムで、牛乳瓶一本分よ」
渉は志野が言っていた言葉を思い出しながら「その尊い命を無駄にしないように、次は真綿で蒔いてあげよう」と美和に優しく言った。




