第5章 牽攣乖隔 1
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七か月ぶりに東京に戻った渉は所属事務所の勧告を受け、すぐに総合病院の特別個室に入院させられ身体の隅々まで検査を受けることになった。
渉が生存していたという報道は島田によって週刊誌に伝えられ、瞬く間に世間へ広まった。過重労働が原因で行方をくらましたとする記事は同情を集め(自死という言葉はあえて避けられ)、さらに犬に命を救われたという報道は渉を知らない愛犬家層からも支持を得た。
野村は事務所を通して島田に多額の口止め料を支払った。事務所にとっては痛い出費だったが世間からの同情を受け、SNSでは「#岸部渉を救え!」というハッシュタグが広まり、違約金が発生したCM商品の購入を呼びかける運動へと発展した。その結果、後に違約金は減額されることとなった。
入院から一週間後、渉は石田を病室に呼び寄せた。
「またお会いできて安心しました。お身体は大丈夫なんですか?」
「はい、大丈夫です。石田さん、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「――それで、私に相談とは……」
石田は弁護士の顔付きになった。
「違約金が必要なんです」
「分かりました。では、事務所との手続きはこちらでします」
「ありがとうございます。――それから、今からお話しすることは内密にしていただきたいのですが……」
渉は自分の考えを石田に打ち明けた。
「俳優を辞めて漆や陶芸関係の仕事に就きたいということですね」
「はい」
「――すぐに辞めると、帯谷さんや喫茶店のご家族に迷惑がかかる恐れがあります。世間は今、渉さんが生きていたことを大々的に報じています。公表するのは落ち着いてからの方がベストだと思います」
石田は事務所へ連絡を入れ、違約金の支払いとともに渉が芸能界からの引退を希望している旨を伝えた。
事務所側は当初難色を示したが、渉が失踪前に過重労働で精神的に追い詰められていた経緯を踏まえ、石田はそれを交渉材料として示唆しながら話を進めた。最終的に半年後の引退という条件で合意に至った。
但し、渉の意思が変わる可能性もあると見て、石田はその点も考慮した。
退院後、石田から直接報告を受けた渉は、八月いっぱいで引退できることに感謝した。
「中川も心配していましたよ。今、日本にいるので、渉さんに会いたいと言っていました」
「俺も中川さんに会いたいです。――それじゃあ、三人で会いませんか?」
石田は苦笑しながら「また今度」と言った。
渉は弁護士ではない一人の男としての石田を見た気がした。
野村は渉のマネージャーを解職させられ、新たに翔が職に就いた。そのせいで翔は新居にまで住み着き、金魚の糞のように渉に付きまとった。
――子供の頃ずっと翔の背中を追いかけていたが、もしかしたらあの頃の翔は今の俺と同じ気持ちだったのかもしれない……。
「俺は一人暮らしをしたい」
渉はリビングでくつろいでいる翔に言った。
「お前、俺が邪魔なのか?」
渉は本格的に金継ぎの勉強を自宅でするつもりでいたが、漆を扱う時、誰かがそばにいるとどうしても気が散るため、翔に自分の時間がほしいと伝えた。
「お前、半年も喫茶店の二階で身を潜めて、もう十分に自分の時間を取っただろ」
翔は悪びれもせずに言ったので、渉は黙って睨み付けた。
「いや、そんなつもりで言ったんじゃない。――俺だって一人暮らしをしたいがそんな金もなくて……」
「島田から何を言われた?」
「――お前が伊賀市にいるってことだけだ」
「嘘が下手だな。それでも役者か?」
「俺はもう役者じゃない」
翔はムッとした。
「島田から聞いたことを全部話してくれ」
「――お前が喫茶店の麓にある、陶芸家の先生のところに潜んでいるんじゃないかと言っていた」
島田はやっぱり志野のことを探っていたのではないかと不安に駆られた。
「でも喫茶店のバイトに探りを入れたら、あの祐太って奴と奥さんが二階に誰かをかくまっている気がすると言われて、それで島田さんはお前がそこにいると確信したらしい……」
穴窯焼成の間、志野に会えない寂しさはあったが、二階に潜んでいたお陰で島田から彼女を遠ざけることができたようだ。
「ここに住んでもいいが週に一度金を渡すから、どこかホテルにでも泊まってほしい」
渉は安堵したせいもあって翔を受け入れた。
「ありがとう、渉……」
渉は翔がまだ島田と繋がっている気がしたため、兄弟でも安易に志野や泰斗の話をしてはならないと慎重を期した。
伊賀を離れてから三週間が経過していた。
三月下旬の東京は桜の開花宣言が報じられていた。今年は志野と泰斗と三人で花見ができないが来年は可能である。まだプロポーズの返事を聞いていない渉は、芸能界を引退する報告も兼ねて志野に連絡を取りたかったが、祐太から「お前はもうここには戻って来ない」と言われたことがずっと心に引っかかっていた。
――志野は俺を待っていてくれるのだろうか……。
愛する人と離れていても気持ちが同じなら辛いことも乗り越えられるが、まだ彼女の気持ちが分からないので不安で仕方なかった。
桜が満開のニュースが報じられた日に、渉は都心の高級ホテルにある会員制ラウンジで中川と再会を果たした。
「お久しぶりです、中川さん」
「あー、元気そうでよかった!」
中川は渉を抱き締めた。
「石田から話を聞いたわ」
「石田さんも誘いましたが――」
「彼は私に会いたがらないわ」
「どうしてですか?」
「もう石田とは、十年以上会っていないの」
中川は苦笑しながら言った。その言い方は石田が渉に「また今度……」と断った時と同じだった。
「でも、お二人は親友なんですよね」
渉は半信半疑で尋ねた。
「ええ、ずっと親友。――彼は日本で仕事をしていて、私はアメリカで……そんな関係よ」
渉には石田は日本を選び、中川はアメリカを選んだという言い方に聞こえた。
「もしかして……お二人は付き合っていました?」
渉の問いに、中川は驚いたように顔を上げた。
中川と石田はLAにいた時、恋人同士だった。
石田の家族が日本へ帰国することが決まった時、石田自身LAに留まることができたが、日本の司法も学びたいと家族と共に帰国し、そのまま日本に住んでいる。
LAにいた中川は一度石田を追いかけて日本へ渡ったが、そこでプロポーズをされて戸惑った。
「ちょうどその頃、ハリウッド映画のプロデューサーに抜擢されて……。私は石田のプロポーズを受ける代わりに一緒にLAに来てほしいってお願いしたの。もちろん断られたわ」
その時に二人は別れたが、撮影後、石田はLAまで中川に会いに来た。
だが、彼女は仕事を選んだ。
「その時、次に会っても結ばれなかったらもう二度と会わないって約束したの」
「それで石田さんは中川さんに会うのを拒んだんですね」
「変な関係でしょう」
「遠く離れていても心は互いに惹かれ合っているなんて……羨ましいです」
「ありがとう、渉くん」
中川は少し照れながら見せたことのない女らしい表情で言った。
「実は……好きな人ができました」
渉は中川になら志野の話ができると思い、これまでのプロポーズに至る経緯を語った。
「それで役者を辞めようと思ったのね」
「彼女と出会う前から演じることに疲れていたのは事実です。――ただ世間は俺が自殺をしたと思っているようですが、それは違って……ただ……何となく……」
言葉を探したが先に中川が言った。
「発作的に『消えたい……』と感じたのね」
「それです」
渉は中川も同じような気持ちになったことがあるのかもしれないとハッとした。
「志野さんを愛しているのね」
「はい……。まだプロポーズの返事を聞けていないので不安ですが……」
「彼女なら絶対にOKよ」
中川の言葉に励まされ、渉は笑みを浮かべた。




