第4章 脱同一視 14
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麻矢は渉を連れて現れた。
「渉! 生きていたか!」
翔と野村は大喜びで渉に駆け寄って強く抱擁した。
「祐太、彼がここにいることをどうして内緒にしていた?」
「おっさん、渉は大人だろ。本人が警察に通報しないでくれって言うんだから、俺は渉の意思を尊重しただけだ」
祐太は巡査に言い返したが、記者の存在を知った時、行方不明者届のことを調べていた。
渉は祐太が自分の名前を口にしたので、ゴンではなくなったのだと切なくなった。
「岸部渉さんはいつからここに?」
記者が祐太に尋ねた。
「夏頃だ。――渉は身を潜めたいって言うから、ここの二階に住まわせた」
祐太は記者ではなく、巡査を見て言った。
「そうか、そうか……。人助けをするなんて祐太は立派な大人になったな……。麻矢さん、すまんが水を一杯くれんか」
巡査は椅子に腰掛けて言った。
「あっ、はい。すぐに皆さんに飲み物を――」
「おっさんに水だけでいい」
祐太は麻矢を遮って言った。
記者は麻矢が巡査に水を渡すのを確認してから「岸部渉さんが俳優だとご存じでしたか?」と尋ねた。
「知りませんでした。先月本人から芸能界にいたと聞きました」
「芸能人の岸部渉さんをご存知でしたか?」
「いいえ。私達はその方面には疎いので……」
ワイドショー好きの麻矢が澄ました顔で答えたので、渉は目を伏せた。
「ここを上がると帯谷泰斗先生の陶房があると聞いたのですが……今から行けますか?」
記者が麻矢に尋ねた瞬間、渉の鼓動が激しくなった。
「先生は作陶中は人に会わない主義ですので、申し訳ありませんがいきなり陶房へ行くことはできません」
「わしなんか無断で陶房へ行って、帯谷さんに怒鳴られたことがあったからな……」
巡査のお陰で記者は諦めたようだったが、続けて麻矢に尋ねた。
「帯谷先生に娘さんがいると聞いたのですが……」
渉の手に汗握る瞬間だった。
「ああ、あの子は高校を卒業してから伊賀を出て行ったよ。――確か、もうすぐ結婚するんじゃなかったかな」
志野の婚約解消は巡査にまだ伝わっておらず、その場はなんとかごまかせた。
何より、祐太も麻矢も突然現れた男たちに対して(座らせることすらさせずに)従容たる態度を崩さなかった。渉は二人の落ち着きにただ驚くばかりだった。
「渉、東京へ帰ろう」
翔は渉の肩に手を回した。
渉はこの聖域で一番苦手な祐太を見つめて助けを求めた。
「渉、東京へ帰れるのか?」
見たことのない祐太の優しげな表情に、こいつは俳優の素質があるかもしれないと思った。桜が散るまで伊賀にとどまるつもりでいたが、物色している記者を見て今すぐ伊賀を離れるしかないと思った。
志野のために祐太以上の演技をしなければならないと感じた渉は、弱々しくうつむき「うーん……」と呟いた。
皆の視線を受けながら顔を上げ、真っすぐ祐太を見て答えた。
「俺……東京に帰ります……」
「そっか……」
祐太も視線を逸らさず、渉を見返した。
喜ぶ野村に向かって祐太は喧嘩腰に言った。
「あんた、渉が行方をくらました理由分かってるのか?」
「それは……」
「渉は心も身体も壊れてたぞ」
野村は一瞬ムッとしたが、これまで支えてくれたことへの感謝もあって黙って受け止めた。
「お世話になりました」
陶犬茶房の入口で、渉は祐太と麻矢に頭を下げた。
「元気でな」
祐太が握手を求めてきたので渉は手を取った。祐太の手は力強く、恋敵ではなく友情の証のような温もりがあった。渉は思わず剛を思い出した。
麻矢は二人の握手を見つめ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
野村が運転する乗用車の後部座席に、渉は記者と並んで座った。
「お母さんとお父さんにも連絡しないとな」
助手席の翔がシートベルトをしながら渉に言った。
「ああ……」
渉が後ろを振り向くと、祐太と麻矢が並んで見送りをしていた。
野村が運転を始めると、麻矢は悲しげに手を振った。
しばらく二人を眺めていると、突然サフラが現れて鳴きながら車に向かって走って来た。
渉が身を乗り出した時――サフラは志野に入れ替わった。
「し……」
思わず名前を口に出しそうになったが、記者の視線を感じて言葉を飲み込んだ。それはこの聖域で感じた最後の幻だった。
志野の姿はすぐにサフラに戻り、駆け寄った祐太と麻矢になだめられた。
「あの犬は?」
記者が尋ねた。
「俺を窮地から救ってくれた……」
「そうなんですか。――犬の名前は?」
「――あんた、一体何者だ?」
渉は馴れ馴れしい記者を睨んだ。
「ああ、渉。自己紹介がまだだったな。雑誌記者の島田さんだ」
翔が振り返って言った。
「どうも、島田です」
島田は内ポケットから名刺を取り出して差し出した。
渉は受け取らずフッと笑った。
「俺を救ってくれた家族を記事にしたらお前を許さないからな」
「それは野村さんの判断に委ねます」
島田は不気味な笑みを浮かべ、名刺を内ポケットに戻した。
車が高速道路に入ったと同時に、渉は現実の世界に引き戻された生ぬるい感触を味わった。
――俺は伊賀に戻れるのだろうか?
一気にいろんな不安が押し寄せて慌てて志野を思い浮かべたが、不安の方が大きくなって彼女の姿は頭の中で何度もかき消された。
渉は諦めて何も考えずに、高速道路のトンネルの照明が次々と過ぎていくのをぼんやりと眺めた。




