第4章 脱同一視 13
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「おい、ゴン! お巡りが、お前の兄貴を連れて今から来るぞ!」
朝食後、渉がサフラと縁側でくつろいでいると、祐太が乱暴な運転で現れて言った。
渉は一気に血の気が引いた。
祐太の大声に、陶房から志野と泰斗が現れた。
「祐太、何かあったの?」
「説明している時間はない! ゴンを今から茶房へ連れて行く!」
「私も行く!」
志野が駆け寄った。
「志野は来るな!」
祐太は声を荒げ、渉に向かって「ゴン、行くぞ!」と迫った。
渉は志野の顔に両手を添え、引き寄せてキスをした。
「志野、愛している」
志野は驚いて渉を見た。
「ここへ戻ったら俺と結婚してほしい」
渉は真剣な眼差しで言ったが、祐太は強引に腕を引いて二人を引き離した。
「時間がない! 行くぞ!」
泰斗は不安げな志野の肩に手を置き、二人と一匹は車に乗り込む祐太と渉を見送った。
「プロポーズの返事ぐらい、聞かせてくれてもよかっただろ」
助手席の渉は腹を立てながら、運転する祐太に言った。
祐太は返事を聞きたくなかった。ただの嫉妬ではない。これから志野がまた辛い日々を過ごすのではないかと思うと耐えられなかった。
「お前、何も分かってないな」
「祐太、お前に前から言いたかったが、その偉そうな話し方が気に入らない」
「前から? 『最後』の間違いじゃないか」
祐太は渉を一瞥した。
「『最後』ってどういう意味だ」
「――お前はもうここには戻って来ないって意味だ」
「俺はすぐに戻って来る。好きな人もできたし、何ならもうここに住むって――」
「アホか!」
祐太は急ブレーキを踏んだ。
「そんなことをしたら志野とお父さんに迷惑がかかるだろ!」
「えっ?」
「お前はここではゴンかもしれないが、ここを出れば世界でも活躍したエンターテイナーだ。仕事から逃げ、世間で死んだと思われていた岸部渉がここにいたと知れ渡ったらどうなる? しばらくこの場所はマスコミのネタにされ、興味本位の連中が押し寄せる。お父さんの仕事の邪魔になって、志野のことまで取り上げられて――」
祐太は口をつぐんだ。
「――まだ志野が好きなのか?」
「ずっと好きだ。お前よりもな」
祐太は渉を睨みつけて言った。
渉は祐太の気持ちが少なからず分かった。今はこの聖域を汚さないようにしなければならない。
「俺はどうしたらいいんだ……」
「お前は俺と麻矢に保護されて、茶房の二階に潜んで暮らしていたという設定だ。――お前、役者してたんだから、俺に合わせて演じられるだろ」
「ああ……」
「志野のことは絶対に話すな」
「分かった……」
祐太は渉から目を逸らして言った。
「もしもここに戻る気があるなら……岸部渉を捨ててから戻って来い」
渉は黙って祐太を見た。
「お前の演技力のお手並み拝見だな」
祐太は車を走らせた。と同時に、カチンコが鳴った。
「駐在さん、大の大人三人も引き連れて、一体ここに何の用ですか? 俺、もう悪いことはしていないですよ」
茶房のカウンター席で麻矢と並んでいた祐太が、翔、野村と見知らぬ男を連れて入ってきた駐在所の中年巡査に言った。
「分かっとるよ、祐太。いや、ここに岸部渉さんという方がいるんじゃないかって、渉さんのお兄さんが相談に来られてな……」
麻矢は見知らぬ男に目をやり、祐太の手を軽く握って合図を送った。
男は美術品を扱う雑誌の記者だった。記者は泰斗の知り合いの陶芸家を取材していた時、偶然テレビに映った渉の姿を見て「この人、帯谷先生のところにいる人に似てるな」と陶芸家が妻に漏らしたのを耳にした。妻は慌てて夫の肘を突いて黙らせたが、二人のやり取りから岸部渉という人物に興味を持った。
金になるかもしれないと考えた記者は、客を装って陶犬茶房へ足を運んだ。
その日はアルバイトの女子学生がいた。
「この人を知っていますか?」
記者は渉の写真が載った雑誌を見せた。
「岸部渉ですよね! 私、ファンなんです!」
「この辺りで彼を見かけたことはありますか?」
「えっ? 生きているんですか?」
彼女の反応から、渉を見ていないと判断した。
そこへ、麻矢が崇と雅人を連れて戻ってきた。
「いらっしゃいませ」
麻矢は記者に会釈してそのまま二人を二階へ連れて行こうとしたが、崇が雑誌を指差した。
「ゴンさん」
「坊や、この人を知っているの?」
記者が驚いて尋ねると麻矢は間に割って入った。
「すみません、お邪魔します」
麻矢は崇を包み隠すようにして二階へ連れて行った。
「あの男、ゴンさんに気づいたかも……」
陶犬茶房で、麻矢は不安気に泰斗と祐太へ報告した。
記者に情報を漏らした陶芸家夫婦は連絡なしに陶房を訪れた時、一瞬だけ渉の姿を見かけていた。泰斗はその時「事情があって知り合いの子供を預かっているから内緒にしてほしい」と二人に頼んでいた。
泰斗は難しい顔をして祐太と麻矢に告げた。
「このことは志野とゴンさんには秘密にしてくれ」
翔は渉のクレジットカードで生活していたが、残高が尽きて生活が出来なくなっていた。そんな中、記者から連絡が入り、渉の居場所を突き止めるため野村を連れて陶犬茶房へ行くことになった。巡査を同行させたのは、三人だけでは面会を断られる可能性があると判断したためである。
去年、渉が名古屋で行方をくらました後、野村は親族である翔に頭を下げて警察に「行方不明者届」を提出してもらった。行方不明者届は原則として保護者や配偶者、または親族に限って提出できる。翔は両親にも報告したが、徹も美和も新しい家庭を築いていたので、翔が手続きを担う形となった。
『行方不明者発見活動に関する規則』第二十六条には次のように定められている。――行方不明者が発見された時、またはその死亡が確認された時は、速やかに届出人へ発見または死亡確認の日時、場所、状況その他必要な事項を通知しなければならない。但し、本人の意思その他の事情を考慮し、適当と認める場合には通知を行わない、または通知内容を制限することができる。
担当者の説明によれば、仮に渉が見つかっても事件性がなければ「誰にも会いたくない」と望めば尊重するしかないという。陶犬茶房で発見された場合でも「帰りたくない」と言われれば警察は強制できない。
記者はその点を事前に調べ、近くの交番へ相談という形で赴き、巡査に陶犬茶房へ連絡を入れさせた。一種の賭けだったが、祐太と麻矢もいずれ誰かが渉を訪ねて来ると予想しており、三人を茶房に迎え入れた。
「俺は渉の兄、岸部翔と言います。――弟がここにいるなら会わせてもらえませんか」
翔は祐太と麻矢に頭を下げた。
二人は顔を見合わせた。
「少々お待ちください」
麻矢は二階へ上がって行った。
翔と野村は期待に顔を見合わせていたが、祐太は茶房を物色している記者が気に入らなかった。




