第4章 脱同一視 10
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五日目の夕方、渉は麻矢に誘われ、一階の茶房で夕食を共にすることになった。
「生徒さんの焼成係は今日で終わりみたい。さっき皆ここを去って行ったわ。――明日は先生の知り合いの陶芸家ご夫妻も帰るみたいだから、ゴンさんは明後日の午後には向こうに戻れるかもね。――でも、完全に火が消えてから戻った方がいいかも。焼成の邪魔をすると先生が怖いから」
麻矢は夕食の支度をしながら、カウンターに座る渉に言った。
泰斗の背中は穏やかさを感じさせる一方で、作陶に没頭している姿はどこか近寄りがたい。戻るなら火が完全に消えてからにしようと渉は思った。
「美味しいです」
麻矢のパエリアは百点満点だった。陶房での食事は和食ばかりなので、渉は週に二、三度でいいから彼女の手料理が食べられたらと、無職で居候のくせに贅沢なことを願った。
「そう言ってくれると励みになるわ。私が志野に勝てるのは料理だけだから。――新婚旅行はスペインだったの。だから思い出として時々パエリアを作りたくなるの」
「ああ、それでサフラはサフラなんですね」
渉は中川の映画の撮影でパリにいた時、好きな鉄道を利用してヨーロッパ各地を巡ったことがあり、スペインの街・サフラ(Zafra)を覚えていた。
「ゴンさん、さすがね。確か映画の撮影でヨーロッパに――」
言いかけてハッとして口をつぐんだ。
「ごめんなさい。ここではゴンさんだったわね」
麻矢は渉の素性を知ってから慎重に言葉を選ぶようになっていた。今回の焼成も彼女の忠告がなければ参加していたかもしれない。
志野から祐太を奪ってくれたことも含めて、麻矢に対して感謝の気持ちを抱いていた。
夕食後、麻矢はコーヒーとケーキを用意してくれた。スナックセットは前回と同じオールドノリタケだったので渉はフッと笑った。
店内に流れるクラシック音楽に心癒されながらコーヒーとケーキを味わっていると、不意に麻矢が言った。
「私の両親は自殺したの……」
渉はどう反応すればいいのか分からず、ケーキを口に運ぶ手を止めた。
「あっ、ごめんなさい……。でも、ゴンさんには話しておこうと思って……」
「聞かせてください」
渉はフォークを置いた。
「父は今で言う過重労働が原因だったの。――会社の仕事を一人で背負って、毎日残業を強いられて……」
当時、高校二年生だった麻矢は、父親の帰宅が遅いのはいつものことだと思っていた。
ある朝、父親に「麻矢、少し話をしないか」と声を掛けられたが、学校へ行く時間だったため「また今度」と軽く返した。
「それが父と交わした最後の会話だったの。あの時、父は一体私に何を話したかったのか……。どうして話を聞いてあげなかったのか……。今でも後悔が消えないの」
麻矢の母は父の自死について親族から責められ、会社からは過重労働が原因ではないと反発され、精神的に追い詰められていった。
父の死から一か月後、母も後を追うように亡くなった。
独りぼっちになった麻矢は近くに住む遠縁の親戚に引き取られたが、立て続けに両親を失った現実を受け止めきれずにいた。
志野は麻矢が高校を休んでいる間も連絡を取り続けていた。
親戚の家まで足を運んだ志野に、麻矢は「祐太に会いたい……」と願った。
「分かった……」
二日後、志野は嫌がる祐太を連れて麻矢に会わせた。
そして二人は結ばれた。
「今の私があるのは志野のお陰……。志野はいつも自分を犠牲にするの……」
渉はようやく祐太が高校を中退した理由を理解した。麻矢と関係を持った後、志野との接し方がぎこちなくなったのだろう。志野が東京へ行き、恋人と同棲していると知った祐太は踏ん切りをつけて麻矢と結婚したのかもしれない。
「ゴンさんも気を付けてね」
「えっ?」
「ゴンさんがここを出て行ったら、志野は身を引くから……」
渉は一番理解していた。
「もう死にたいなんて思わないでね」
――麻矢さんは何か誤解している。俺は自死を試みたのではなく剛と大地に会いたかっただけだ。あの日、疲労困憊で……消えてしまいたいと思っただけだ。世間から見れば俺が死を選んだと勘違いされたのかもしれない……。俺は死を選んだわけじゃない……。
渉は麻矢を見つめながら「死にたい」と「消えたい」は紙一重なのかもしれないと思った。
裏口のドアが開き、祐太が入って来た。
「あっ、ゴン! うちの大事な嫁に手を出してないだろうな!」
祐太の雑音で渉は現実の世界に引き戻された。
「もー、祐太。大声出さないで」
「悪い……」
渉は続けて志野が入って来るかと覗いたが、祐太が鍵を閉めたのでガッカリした。
「ゴン、お前は明日の午後には陶房へ帰れるからな」
祐太の尊大な言い方にムッとした。
――こいつのどこがいいんだ? 志野も麻矢さんも奴のどこに惚れたんだ?
渉は祐太の長所を考えているうちに、この世界で堂々と生きているという結論に至った。要するに自分は祐太よりも劣っているのだと思い知らされた。
落ち込んでいる渉の目の前で、祐太は麻矢の腰に手を回していちゃつき始めた。
「もう、ゴンさんがいるでしょう?」
麻矢は嬉しそうだった。
「ご馳走様でした」
渉は席を離れた。
ベッドに横たわりながらこの聖域をいつ出て行こうかと考え始めたが、いちゃつく二人を目の当たりにして、志野が恋しくなった。




