第4章 脱同一視 9
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浴室から出て部屋に戻ると、ベッドの上に志野のアルバムが一冊置かれていた。
渉は顔を輝かせ、すぐにその中身を確かめ始めた。
一枚一枚、目を凝らして写真を追っていくと、中学校の制服を着た志野がいた。誰もいない教室で、カメラに向かってとびきりの笑顔を見せていた。
「可愛いな……」
渉の心に強く響いた。
祐太と一緒に写っている写真があるかと思ったが、ほとんど泰斗と一緒に作陶している写真だった。
きっと祐太が麻矢と付き合い始めた頃に、志野は写真を整理したのだろう――そう思ったが、すぐに麻矢が処分したのだと気づいた。
アルバムの最後に成人式用の台紙式アルバムが挟まれていた。ファンデーションのせいで志野の痣が分からないのが残念だが、振袖姿は華やかで、渉は息を呑んで写真に触れた。
麻矢が教えてくれた「万緑一紅」という四字熟語を思い浮かべた。
真っ白な画用紙の上に緑色の水彩絵の具が垂らされると、牛乳に濃い抹茶を混ぜたように緑色が画用紙全体に広がり始めた。
突然、真っ赤な絵の具がポトンと落ちて一輪の花が開くように、赤色が緑色の上でじんわりと滲んだ。
渉が赤色の中を覗き込むと、現実の世界が浮かび上がり、真っ赤な裾広がりのワンピースを着た志野が現れた。
彼女の周りには祐太をはじめとする男たちが群がっていた。
その中に自分もいることに気づいた渉は、慌てて割り込もうとしたが、何度手を伸ばして男たちをかき分けても彼女に辿り着けなかった。
「クソッ……」
呟いた瞬間、騒がしかった空間が嘘のように静まり返り、男たちは一斉にうっそうと茂るオオアレチノギクへと変わった。
静けさの中に虫の音だけが響いた。
背丈を超えるオオアレチノギクをかき分けながら、遠くにぼんやりと見える赤色を目指して進んだ。距離は縮まらず、次第に息切れが激しくなった。
それでも足を止めずに進むと、やがて屋根瓦が並ぶ二階建ての木造校舎の正門にたどり着いた。
膝に手をついて息を整えながら校舎を見上げると、二階の窓から赤色がはっきりと浮かび上がった。
「志野……」
寂れた校舎の中へ足を踏み入れた。
人の気配は全く感じられなかった。
辺りを見回しながら二階へ上がると、長い木造の廊下が伸びていた。
手前には『2-A』、『2-B』、『2-C』の室名札が掲げられ、志野の笑い声が2-Bの教室から聞こえてきた。
渉は駆け足で向かった。
教室のガラス付き引き戸越しに、写真で見た中学生の志野の姿が見えた。
引き戸を開けて中に入ろうとしたが、扉は重く、拒まれているように動かなかった。
教室と廊下を仕切る窓から中を覗くと、志野と祐太が二人きりでいた。
祐太は「志野」と呼びながら、一眼レフカメラを彼女に向けた。
「何、祐太?」
志野が微笑みながらカメラを見つめると――パシャッ、とシャッター音が響いた。
その微笑みは、アルバムで見たあの一枚と同じだった。
祐太は志野に歩み寄って抱き締めた。
渉は二人を見つめながら、自分の鼓動が速くなっていることに気づいた。
「志野……キスしてもいいか?」
「うん……」
志野は頬を赤らめ、恥ずかしそうに答えると、目を閉じた。
祐太の顔が彼女に近づいた。
「止めろ!」
渉は呆然としながらも、その光景から目を逸らすことができなかった。
廊下全体にオオアレチノギクが地響きを立てながら、不気味な勢いで生え出し、あっという間に渉の背丈を超えた。
「わぁーっ!」
逃れようとしたが、伸びてきた蔦に絡め取られ、渉の身体は瞬く間に飲み込まれていった。
志野の成人式用の台紙式アルバムが傍らに落ちて、渉はハッとして目を覚ました。
「夢か……」
ゆっくりと上半身を起こしてアルバムを開き、祐太が撮ったであろう志野の写真を見つめた。
祐太に向けられた笑顔に、無性に苛立ちが込み上げた。写真を切り刻んでやりたいと思う一方で、踏み絵よりもしてはならない行為だと分かっていた。
幼い頃から志野を見守り続けてきた祐太が憎らしく、羨ましい……。
「いつか俺にも……この笑顔を見せてほしい……」
写真を見つめたまま、渉は呟いた。




