第4章 脱同一視 5
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深夜、サフラの嬉しそうな鳴き声で渉は目を覚ました。
渉は志野が帰って来たと思い陶房へ向かうと、浮かない表情で土を両手に持ったまま立っていた。
「志野、戻ってたんだ」
「あっ、ゴンさん……。起こした?」
「元気ないけど……何かあった?」
「何も……」
「もしかして祐太に何かされた?」
渉は冗談交じりに尋ねた。
「キスされそうになった……」
「えっ?」
渉は驚いたが、心の中は「はあ?」と激怒していた。
志野は祐太との昔の関係を思い出し、土を練る手が止まるほど気落ちしていた。
「祐太は私の初恋の人で……ファーストキスの相手……」
つい余計なことまで口走った。
小百合と翔が浮気をした時も、ミシェルが婚約者を紹介した時も、渉の心が動くことはなかった。だが、祐太は駄目だ。祐太だけは――絶対に駄目だ!
渉は怒髪天を衝く勢いで大股に志野に近づくと、両手で彼女の顔を引き寄せ、強引にキスをした。いつもより激しく、感情がこもっていた。陶房が聖なる場所だと分かっていたが、唇が離れたその瞬間、抑えきれずに言った。
「ここでしたい……」
「ここは駄目……。先に布団を温めて待ってて……。ここを片付けてすぐに行くから……」
「分かった……」
渉は素直に陶房を離れた。
「ゴンさん、息ができない……」
薄暗い寝室で、渉の激しいキスを受けていた志野が、唇が離れたタイミングを計らって囁いた。
渉の中で祐太への嫉妬が膨れ上がっていた。志野が寝室に入ってきた途端、彼女を布団の上に押し倒して唇を奪った。ファーストキスの相手が祐太だと知り、唇を「洗い流したい」という一心で乱暴に押し付けた。
「ゴンさん、苦しい……」
嫉妬に駆られた渉は、受け入れる準備ができていない志野に、そのまま身を沈めた。
「痛い……」
志野は渉を押して離れようとしたが、両手を押さえ込まれた。
「もう、止めて!」
強引な渉に恐怖を感じた志野は、必死に抵抗して膝蹴りを入れ、その隙を逃さず強く押し離した。
上半身を起こした志野は、右手でシーツを掴んで身体を隠し、後ずさりした。
「ゴンさん、どうしたの?」
戸惑いながら尋ねた。
渉は呆気に取られていたが、ゆっくりと上半身を起こし、顔を伏せて弱々しく言った。
「ごめん、志野……」
祐太への嫉妬だけではなかった。志野と離れたくない――一緒にいたい――という気持ちが膨らむ一方で、ここに留まっていいのか不安に駆られていた。
「俺、どうしたらいいのか分からなくて……毎日、不安で……ごめん……」
「ゴンさん……」
落ち着きを取り戻した志野は、泣いている渉に膝を進めて、「泣かないで……」と優しく抱き締めた。
渉は感情が抑えられなくなり、彼女の胸の中で声を殺して泣き始めた。
「大丈夫よ……不安な気持ちの間はここに身を潜めて、身体を休めたらいいわ……」
志野は子供をあやすように渉の頭を優しく撫でた。
志野自身も泣きたい気持ちを抱えていた。
これまで彼女は常に相手を尊重して生きてきた。恋愛においても同じだった。麻矢を傷つけたくなくて祐太には想いを伝えられず、婚約者の時も結局は自分から身を引いた。
渉もいつか自分のもとを離れていく――そう思えてならなかった。
「ゴンさん、力を抜いて……」
志野は優しく渉にキスをすると、布団の上に仰向けに寝かせた。両手でそっと触れながら、首筋から全身へとゆっくり愛撫を重ねた。
渉は心地よさに抗えず、声を漏らして目を閉じた。
愛撫を続ける志野の髪が音もなく伸び始めた。その髪はまるで繭の糸のように渉の身体へ絡みつき、ゆっくりと彼を包み込んでいった。
渉は細めた目で下半身に視線を向けると、志野の頭部が見えた。彼女の頭を撫でようとしたが、繭の糸が全身に絡みつき、指一本動かすこともできなかった。
――その時、微かに何かを飲み込むような音が聞こえた。
渉は身体から不純物が吸い取られていくような感覚に包まれ、心地よさに深い眠りへと落ちていった。
翌朝、渉は志野の胸の中で爽やかな気分で目を覚ましたが、彼女に口で愛撫されたことを思い出し、気恥しそうに呟いた。
「しばらくお父さんの顔をまともに見られないな……」
渉は眠っている志野の頭を優しく撫でた。
「ん……」
志野は目を覚ました。
「おはよう、志野……」
「おはよう。ゴンさん……」
――そうだ、俺はゴンだった。
俳優の岸部渉を知らない志野にとって、目の前の男はただのゴンでしかない。
ふと、聖書の一節を思い出した。
『あなたは潤された園のようになり、水の枯れない源のようになる』
この場所ですでに潤いに満たされたことに気づいた渉は、志野を抱き起してキスをした。
「志野……」
「ん……」
渉は彼女を見つめた。「愛している」と言葉にしたかったが、まだできなかった。
代わりに強く抱きしめ、心の中で何度も『愛している』と繰り返した。
「なんでもない……」
耳元でそっと囁いた。
「私も……」
志野も渉を抱きしめ返した。




