第4章 脱同一視 1
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「あー! あー! あー! あー!」
麻矢は渉を指差しながら叫んだ。
「おい、麻矢! 崇と雅人が起きるだろ!」
「だって、祐太。俳優の岸部渉がここにいるのよ! 驚いて何が悪いの!」
「麻矢、お前、三か月もゴンと一緒に過ごして、今まで気づいてなかっただろ」
「まあ、落ち着いてコーヒーでも飲もうや」
泰斗はカウンター席に腰を下ろした。
祐太と麻矢は、渉が陶犬茶房を訪れる時は、外から店内が見えないようにしてほしいと泰斗から言われていた。今夜は特に念を押されていた。
まさかゴンが俳優の岸部渉だなんて……。麻矢の興奮は収まらなかった。
渉と志野は窓際の席に向かい合って座り、見つめ合いながらクスッと笑った。
祐太は二人の様子から、すでに契った関係であることに気づき、肩を落とした。
志野と結ばれた翌日、渉は自分の素性を泰斗に打ち明けた。もちろん、志野も泰斗も俳優としての渉を知らなかった。
「祐太と麻矢にはきちんと伝えんとな……」
泰斗は渉に言った。
麻矢は二人のテーブルにコーヒーを運ぶと、まじまじと渉の顔を見つめた。
「ゴンさん、オーラが全然ないから」
渉は肩をすくめ、コーヒーを一口啜った。
「知っているのはここにいる者だけだ。ここではゴンさんとして過ごしている。二人とも配慮してくれ」
泰斗は祐太と麻矢に言った。
「正体がばれないように気をつけないとね」
麻矢はなぜか張り切っていた。
泰斗はコーヒーを飲み干すと、席を立って言った。
「志野、俺は先に帰るからな」
「あっ、ごめん、お父さん。明日の準備、まだしてなかった」
志野は慌てて立ち上がった。
「出張の荷造りぐらい、一人でできる」
泰斗は出て行った。
麻矢の興奮は収まりつつあった。
「デートで祐太と一緒に『アンジャスト』を観に行ったわ」
「ああ、あの美人女優の羽田小百合が出てた映画か!」
祐太はわざと小百合を強調して言った。
「ゴンさんは当時、羽田小百合と同棲していたってニュースになっていたけど、それって本当だったの?」
麻矢はワイドショー好きの顔付きで渉に尋ねた。
「はい、同棲していました」
「お前あの羽田小百合と付き合っていたのか?」
祐太は驚いた様子で尋ねた。
「はい、付き合っていました。――結婚も考えていました」
渉が先に「結婚」という言葉を出したのは、後で必ず質問されるだろうと思ったからだ。
「キャーッ」
麻矢は赤面をしながら小さく叫んだ。
「なんで結婚しなかった?」
「彼女にフラれました」
「あんな美人だからなー。フラれるわなー」
そう言う祐太の顔は、満足そうだった。
渉は志野の反応が気になったが、祐太の表情から何も反応していないと読み取れた。
「もしかしてミシェル・グリントとも付き合ってた?」
ミシェルは渉の童貞を奪い、一番身体を重ねた女性だった。
「彼女とは……付き合っていません……」
渉は麻矢に答えた。
「ミシェル・グリントがゴンを相手にする訳ないだろ。世界で活躍する大女優だぞ」
「そうね……。でも、岸部渉が目の前にいるなんて」
「ファンでもない芸能人が目の前にいるだけで、何で興奮するんだ?」
祐太は呆れながら麻矢に言ったが、ふと真顔になって聞いた。
「ゴン、お前――何で伊賀にいるんだ?」
「それは……」
「岸部渉の話はおしまい。――美味しいケーキがあるのよ!」
麻矢は返答に困った渉に助け船を出した。
「ゴンさん、大丈夫?」
帰りの夜道で志野が聞いた。
「うん、大丈夫だよ」
渉は志野の手を取って答えた。
今夜は満月だった。渉は立ち止まって、満月を見上げた。
「今夜の満月は……横山大観の『満月』みたいだ」
「ゴンさんは、伊賀上野城に行ったことあるんだ」
「うん、中学生の時に親友の家族と……」
渉は志野の腰に両手を回し、キスをした。
「もー、ゴンさんったら……こんな所で恥ずかしいでしょう」
「誰も見てないよ」
「満月が見ているでしょう」
志野はクスッと笑った。
二人が身体を重ねてから一週間が経っていた。
十一月中旬に大阪の百貨店で泰斗の個展が開催されることになり、志野は同伴を希望したが、泰斗は「ゴンさんと留守番をしてくれ」と告げた。
翌早朝、泰斗は旅立ち、家の中で渉は志野と初めて二人きりになった。(サフラもいるが)
渉は喜びを噛みしめながらすぐに彼女の身体を求めたが、上手に躱された。
「ゴンさん、まだ朝よ」
精神的に参っていた頃の渉は、一年以上も性欲に関心がなかったが、志野と関係を持ってからは、些細なことでも身体が反応するようになっていた。
「志野、一回だけ……」
渉は彼女を押し倒してお願いをした。
「駄目。私もお父さんみたいに個展をやりたいの。来月穴窯を焚く時に、自分の作品も入れたいの」
「俺は志野にいれたい……」
渉は冗談が言えるほど元気を取り戻していたが、この聖域にいるゴンだからであって、俳優の岸部渉では無理だった。
志野は渉の首に両手を回し、引き寄せて熱いキスをした。
「今夜、一緒にお風呂に入ろう。――だから今は我慢して」
「分かった……」
渉はため息をついて諦めた。




