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陶犬瓦鶏  作者: 猫田たい子
第一章
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第1章 呼牛呼馬 2

2


 渉は久しぶりに剛と大地と三人で小旅行に出かけた。

 早朝から大地が運転する車で約六時間かけて、三重県《みえけん》伊賀市《いがし》にある伊賀上野城《いがうえのじょう》へ向かった。

 オーディションという苦痛から解放された渉は、車内で剛と大はしゃぎした。

 伊賀上野城は筒井《つつい》定次《さだつぐ》によって築かれたが、定次の改易《かいえき》後、徳川《とくがわ》家康《いえやす》の命令で藤堂《とうどう》高虎《たかとら》が入封した。高さ約三十メートルの内堀の石垣は日本有数の規模を誇り、現在の天守閣は昭和十年(1935年)に川崎《かわさき》克《かつ》によって復興された。

 天守閣内の一階には甲冑《かっちゅう》や武具、現代作家の伊賀焼《いがやき》の作品が展示されている。

 渉はある現代作家の『花器』という作品の前で足を止めた。陶芸には無頓着だったが、その作品からなぜか惹きつけられるものを感じた。花は生けられていなかったが、着物姿の女性が生け花を楽しむ姿が脳裏に浮かんだ。

「これは伊賀焼だよ、渉くん」

 大地が背後から優しく声をかけた。

「伊賀焼ってなあに?」

「伊賀焼は……三重県伊賀市で作られている陶芸品のことだよ」

 大地が言葉を選ぶように説明していると、剛が渉の腕を引っ張った。

「おい、渉! 上の階に行こうぜ!」

「うん!」

 渉は元気よく、剛と一緒に階段を上っていった。

「伊賀焼を勉強しないとなー」

 大地は渉が足を止めていた陶芸作家の名前を確認しながら呟いた。

 二階には藤堂家ゆかりの史料や武家の調度品、芭蕉《ばしょう》旅笠《たびがさ》などが展示されていたが、渉と剛はあまり関心を示さずぐるりと一周見て回ると、三階へと続く急な階段を上っていった。

 三階の天井には、天守閣の復興を祝う著名人による書画が四十六枚飾られていた。

「わあー、漢字ばっかりだ」

 剛が天井を見上げながら言った。

「絵もあるね」

 剛に続いて、渉も天井を見上げて言った。

 四十六枚のうち、二十七枚が文字で書かれたもので、残りの十九枚は絵画だった。

 渉の目が天井の中央にある一枚の絵に留まった。それは満月が群雲を払い、冴え冴えとした青白い光を地上へ注いでいる情景だった。

 仰ぎ見すぎて、渉はふわっと後ろに倒れそうになったが、大地が両手でそっと肩を支えてくれた。

「危ないよ、渉くん……」

「お父さん、あの絵、誰が描いたの?」

 渉は大地を「お父さん」と呼ぶのが好きだった。剛も受け入れていた。

「あれはね、横山《よこやま》大観《たいかん》の『満月《まんげつ》』だよ」

「『満月』……きれい……」

 横山大観の『満月』は、見る人がちょうど天頂の月を見上げるように設計されていると言われている。


 三人で伊賀上野城を見物した後、少し離れた場所にある「伊賀流忍者博物館《いがりゅうにんじゃはくぶつかん》」へと足を運んだ。

 忍者の装束をまとった案内人にからくり忍者屋敷を案内してもらい、忍者資料館では実際に使われていた忍術書や忍具を見学した。渉と剛は、目を輝かせながら展示に見入っていた。

 その後、伊賀忍者特殊軍団・阿修羅《あしゅら》による忍者実演ショーを観劇した。スピード感あふれるアクションと迫力ある演出に、二人はすっかり忍者の虜になった。

 帰りの車内の後部座席で、渉と剛は手裏剣打ちの物真似をしながら盛り上がっていた。

「もうすぐ、伊賀線に『忍者列車』が走るらしいぞー」

 運転席の大地が、バックミラー越しに二人に言った。

「えっ! 忍者列車だって!」

 二人は声をそろえて叫んだ。

「車両には、『銀河鉄道《ぎんがてつどう》999』の松本《まつもと》零士《れいじ》先生による忍者デザインが描かれるんだって」

「ギャー!」

 渉と剛は狭い車内で、足をドタバタとさせながら大喜びした。

 こうして毎回、車の中がにぎやかになるのが分かっているからこそ、大地は小旅行に車を選んでいた。

 伊賀電鉄は大正五年に伊賀上野《いがうえの》から上野市《うえのし》間で開業し、その後変遷を経ながらも九十年以上にわたり伊賀地域の主要な輸送機関として発展を支えてきた。昭和四十年代には年間414万人もの利用者を誇り最盛期を迎えたが、自動車など道路交通の普及により現在の乗客数は半分以下にまで減少している。こうした状況を受け、鉄道を持続させるために利用者・地元自治体・鉄道会社の三者が一体となって運営を支えることなり、平成十九年十月一日に伊賀鉄道が新たに発足した。伊賀線は単なる輸送機関にとどまらず、地域の『背骨』として人や物の交流を促し、大切な地域資産となっている。

「渉、絶対、一緒に忍者列車に乗ろうな!」

「うん! 剛、約束な!」

 二人は指切りげんまんをした。新喜劇《しんきげき》の酒井藍《さかいあい》座長が披露する少し変わったメロディの指切りげんまんで、翔たちがまだ小学生の頃に、みんなで大阪のなんばグランド花月で『よしもと新喜劇』を観に行った際に覚えたものだった。(※なお、酒井藍氏がよしもと新喜劇の座長に選ばれたのは2017年、指切りげんまんが披露されたのは2019年頃のため、時系列が厳密には異なる)

 バックミラー越しに、大地は温かい眼差しで二人を見守った。


 翌日から、渉と剛は団地内の公園で忍者ごっこをして遊ぶようになった。どちらかが伊賀流の忍者を演じたり、二人そろって甲賀流《こうがりゅう》の忍者になったりしていた。

「渉、俺、バク転できるようになったぞ!」

「すげーな、剛! 俺にもやり方教えてよ!」

「うん!」

 剛は忍者さながらにバク転を披露し、やり方を教えた。

 渉はすぐにコツをつかんで、華麗にバク転ができるようになった。いつか本当に忍者になりたいと思うほど、忍者ごっこが楽しくて仕方がなかった。

 剛と遊び終え、泥だらけで帰宅した渉を、美和が優しく迎えた。

「おかえりなさい、渉。毎日楽しそうね」

「ただいま、お母さん。今日も剛と忍者ごっこしたんだ!」

「そう、よかったわね。――翔が帰ってくる前に、先にお風呂に入りなさい」

「うん、分かった」

 渉が湯船に浸かっていると、翔が入ってきた。

「渉、一緒に入らせてもらうぞ」

「うん」

 翔はバスチェアに腰掛け、身体を洗い始めた。渉はその様子をじっと眺めた。

「何だ、渉。俺の身体に何か付いてるか?」

「翔くん、肩を怪我してる」

 渉は翔の左肩にできた青痣を指しながら言った。

「ああ、これか……ダンスの練習中にぶつけたんだ」

 翔は肩の怪我を見下ろしながら答えた。

「ダンス?」

「最終審査は決められた音楽で、自分を表現するんだ。――俺はダンスを取り入れることにした」

「そうなんだ……」

 他人事のように呟いたが、翔が就寝時につけているワイヤレスイヤホンから、同じ音楽が何度も漏れていることを思い出した。二段ベッドの下で眠る渉の身体には、すでにその音楽が染みついていた。

「悪かったな……。無理やりオーディションに付き合わせて……」

 渉は翔の謝罪の言葉が嬉しかった。やっぱり世界一カッコいい自慢の兄だと思った。

「翔くん、背中を洗ってあげる」

 渉は浴槽から上がり、隣のバスチェアに腰掛けて言った。

「ああ、ありがとう」

 タオルを受け取り、背中を洗い始めた。たった一つ違いなのに、翔の背中は渉よりずっと大きかった。

「一緒にお風呂に入るのは何年ぶりだ?」

 翔が尋ねた。

「――小学生の時かな。覚えてないけど」

 本当は覚えていた。

「渉……俺、俳優になりたいんだ。どうしても最終審査に合格したい」

「翔くんならなれるよ。カッコいいから」

「ありがとう。――渉、お前は何になりたい?」

「僕は……忍者になりたい」

 渉の本心だった。

「忍者か……カッコいいな」

「今日、バク転ができるようになったんだ」

「すごいな!」

「はい、終わり」

 渉は照れながらタオルを返した。

「次はお前の背中を洗ってやる」

 渉は美和から「湯船に入る前に先に身体を洗いなさい」と言われていたので、すでに洗っていたが、翔に背中を向けた。

――翔くんは僕の背中をどう思うかな?

 少し恥ずかしさを感じながらも、もしかしたら一年後には兄みたいに、立派な背中になっているかもしれないと渉は思った。



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