第3章 暗黒沈静 1
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「お殿様、献上品でございます」
家来の一人が城郭の殿様に、伊賀焼の花器を上納した。
「この花器、見覚えがあるぞ」
殿様が家来に言った。
「さようでございますか」
「うむ、伊賀上野城で見た花器であるぞ!」
「こちらは伊賀焼の陶芸家――」
家来が説明を続けようとしたその時、場面が真っ暗に切り替わった。
くノ一が天井から殿様の頭の上に降り立ち、囁いた。
「お殿様、お呼びでしょうか?」
「こんなに夜遅くに何の用だ。お前を呼んだ覚えはない。わしを起こさないでくれ」
「もうすぐ終わるから……」
女性の声が聞こえ、画面がまた切り替わった。
――ん? 夢か?
渉が目を覚ますと、くノ一ではなく、長い黒髪を結った女性がそばに座っていた。
「あっ、目が覚めた?」
女性は渉に微笑んだ。
渉はゆっくりと上半身を起こそうとしたが、身体が思うように動かなかった。
「まだ無理をしないで……」
女性の手を借りて、渉は上半身をゆっくりと起こした。
家の中を見渡すとお城ではなく、八畳の和室だった。壁際にはいくつものビードロの焼き物が飾られ、夢の中で見た花器に生け花が飾られていた。
「あの花器……」
渉は弱々しく指を差して呟いた。
「ああ、あれはお父さんが作った花器よ」
襖が開き、中年男性が入って来た。
「おっ、起きたか」
「あっ、お父さん」
続けて茶色の雑種犬が、「ワン」と尻尾を振りながら入って来た。
渉は二人と一匹の微笑ましい光景にイラついて、無愛想な顔で女性を見た。
「あっ、ごめんなさい。騒がしかったわね」
女性は中年男性と犬を先に追い出し、「後で重湯を持ってくるから」と渉に言って、襖を閉めた。
渉は花器に目を向けた。中学生の時に剛と大地と一緒に伊賀上野城で見た花器に似ていた。
「目が覚めたのか!」
大声で乱暴に襖を開けた男を、渉は睨みつけた。
「駄目よ、疲れているのよ」
女性は男を注意して腕を引っ張った。渉に「ごめんね……」と言って、襖を閉めた。
隣の会話は丸聞こえだった。
「お客さんに失礼でしょう」
「あいつ、俺を睨みつけたぞ! 俺がここまで運んだのに! しかも俺のパジャマを着て!」
「静かにしなさい」
「はい、お父さん……」
男は沈黙した。
渉は布団の中から三人の関係性を考えていたが、興味がなかったので再び眠りについた。
一時間後、目が覚めると、そばに小さな土鍋に入った温かい重湯が置いてあった。
渉は片隅に畳まれた洗濯されたスウェット上下と、ビニール袋に入った二万数千円に目を向けた。
女性が庭で物干し台に洗濯物を干していると、スウェット姿の渉がのっそりと現れた。
「まだ寝ていた方が……」
「お世話になりました」
渉は女性と視線を合わせず、冷ややかな口調で言った。
「でも……五日間も寝たきりだったのよ」
「独りになりたいんです」
中年男性が現れて、女性に言った。
「あそこの道から帰ってもらえ」
「あの道は……」
女性は難色を示した。
「いいんだ」
中年男性は屋内へ戻って行った。
渉は女性に連れられて、『立入禁止』の看板が掲げられた小さな鉄門を抜けて、整備されていない山道へと足を踏み入れた。しばらく彼女の後を歩くと、朽ちかけた桟道に辿り着いた。
「足元に気をつけて」
女性は声をかけたが、渉は気にも留めずズカズカと桟道を渡りきった。
「この先を真っすぐ行けば車道に出られるけど、その身体じゃ、たぶん半日以上かかると思うわ。体力が戻るまでうちにいてもいいのよ……」
道を指さして呼びかける彼女を、渉は無視して歩き続けた。
背後に犬が現れ、女性は屈んで犬の頭を撫でた。
「きちんと山を下りられるか、あの人を見守ってくれる?」
犬は小さく鳴くと、渉の後を追って山道を登っていった。
――もう東京には戻れない……。
渉は行く当てもないまま黙々と山道を歩き続けた。
誰かにつけられている気配を感じ、足を止めて振り返ると、犬がちょこんと座っていた。
「お前、あの家の犬……」
渉が呟くと、犬は「ワン」と短く鳴いた。
憔悴しきった渉は不意に立ちくらみに襲われ、その場にゆっくりと座り込んだ。
力尽きるように横たわり両目を閉じると、犬が立ち上がって「ワン」と鳴いた。
渉は薄目を開け、犬を睨んだ。
犬はまるで「こっちへ来い」と促しているかのようだった。
渉はゆっくりと身体を起こし、犬の後を追った。
桜木とクロガネモチの木の間に、土で出来た手作りの洞穴があった。入口が狭く、渉は四つん這いになったが身体を支える力がなく、匍匐しながら中へと入りこんだ。
中は一メートルほどの高さがあり、大人一人が寝そべられるほどの空間になっていた。地面に手をつくと不思議と座り心地がよく、常に誰かが手入れしているのが感じられた。
「秘密基地みたいだな……」
渉が呟いたと同時に、犬の鳴き声が拍子木を打つ音へと切り替わった。
「渉くん、また遊びに来たの?」
生け花をしている美しい着物の女性が、閑雅な庭園に呆然と立ち尽くしている中学生の渉に声をかけた。
渉が生け花の花器を眺めていると、「あれは伊賀焼で出来た花器だよ」と、背後から大地の声が聞こえた。
拍子木を打つ音が聞こえて、画面が切り替わった。
中学生の渉は、剛と大地と一緒に伊賀上野城にいた。現代作家の花器を目の前に、大地から「渉くん、これは帯谷泰斗という陶芸作家の作品だよ」と教えてもらった。
拍子木を打つ音が聞こえて、画面が切り替わった。
中学生の剛が渉の腕を引っ張って、「渉、上の階に行こうぜ!」と言った。
伊賀上野城の三階にある天井画を見上げている渉に、「あれは横山大観の『満月』だよ」と大地が言った。仰ぎ見てそのまま背後に倒れそうになった時、大地が両手で背中を支えてくれたが、女性の声で「危ないわよ、渉くん」と囁かれた。
拍子木を打つ音が聞こえて、画面が切り替わった。
生け花をしていた着物の女性が、倒れそうになった渉を背後から優しく抱き締めていた。
渉は女性の両手をつかみ、「くすぐったい」と笑いながら言った。
拍子木を打つ音で渉は目を覚ました。洞穴の中は薄暗くなっていて、白猫が渉の頬を舐めていた。
「猫か……」
渉は白猫を触ろうとすると、洞穴から華麗に出て行った。猫に舐められた頬はまだザラザラした感触が残っていた。
渉は猫背のまま上半身を起こし、あぐらを組んで夢の中の出来事を思い返した。
「剛……お父さん……」
久しぶりに二人の夢を見た。仕事に没頭していたせいか不眠症になって、夢を見ることがほとんどなかった。二人の死を知ってからは片頭痛と耳鳴りが酷くなり、よく分からない毎日を過ごしていた。夢の中で二人に出会えて、嬉しくて涙がこぼれた。と同時に、片頭痛と耳鳴りが消えていることに気づいた。
洞穴から外を確認すると、いつの間にか夕暮れ時になっていた。
渉が四つん這いで外へ出ると、犬が洞穴の前に座っていた。
「お前、ずっとそこにいたのか?」
犬は尻尾を振りながら、渉を見て「ワン」と小さく鳴いた。
渉はゆっくりと立ち上がり、身体の汚れを払い落した。
「さてと……これからどうしようか……」
犬はそばに置いていた束ねた丸ひもリードを口に加え、立ち尽くしている渉に「どうぞ」と差し出した。
「散歩に行きたいのか?」
犬はリードを口に加えたまま、ちょこんと座って渉を見つめた。
熱い眼差しに惹きつけられて、渉はリードを取って犬の首輪にナスカンをカチッと繋げた。と同時に、拍子木を打った音のように犬は「ワン」と鳴いた。
渉は洞穴まで来た道のりを全く覚えていなかったので、犬に引っ張られながら下山した。
老朽化した桟道に辿り着いた時、犬はリードを渉の手元から外させ、口に加えて先に桟道を渡り始めた。
渉も続けて渡ろうとしたが、足元がぐらつき、冷や汗が出た。
――行きは余裕で渡れたのに……。
バランスを保ちながら慎重に桟道を渡り終えると、地面にしっかりと足がついた感覚がして「はあー」と深く息を吐いた。
犬はリードを口に加え、渉に差し出した。
「お前、偉そうだな」
辺りは暗闇に覆われていたが、渉は犬に導かれながら明かりの灯る平屋の木造住宅の庭先に辿り着いた。
庭先にいた中年男性が渉と犬に気づいた。
「おっ、お帰り」
渉は何事もなかったように出迎えられて困惑したが、犬は嬉しそうに尻尾を振りながら「ワン! ワン!」と喜んで鳴いた。
鳴き声に反応したかのように女性が姿を現した。
「あっ、お帰りなさい。もうすぐ夕食だから」
女性は中年男性と渉に言った。
渉は女性の右頬に、赤い痣があることに気づいた。




