第2章 自壊作用 9
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小百合の芸能事務所を退職した渉は、しばらく身体を休め、好きなことをしようと考えた。
剛のスマートフォンに電話をかけたが、繋がらなかった。続けて大地の自宅へ電話をかけると、利用停止を知らせる音声ガイダンスが流れた。
「剛とお父さん、どうしたんだろう……」
不安が過ったが、渉は小百合との同棲を始めて以来、二人だけの世界に浸っていたので、剛と大地との連絡が途絶えたのも無理はないと考えた。
電話が鳴った。スマートフォンを確認すると、大手芸能事務所からだった。ここ数日、移籍の勧誘の電話が何度もかかってきていた。電話に出ると、相手はいつものように野村と名乗った。
「岸部さんの好きな俳優、石丸一之介さんと散策するテレビ企画を検討中です」
石丸一之介は昭和を代表するアクションスターで、還暦を過ぎた今もなお現役で活躍する俳優の中の俳優だ。
渉が石丸を知ったのは大地が熱心なファンだったからだ。
中学生の頃、渉が剛と忍者ごっこをしていると、大地は石丸が忍者役で出演する映画を何本も観せてくれた。当時の楽しかった思い出がよみがえった。
「石丸一之介さんは、岸部さんが出演した海外ドラマの忍者役をご覧になり、ぜひお会いしたいとおっしゃっています」
「えっ、石丸さんが」
渉は嬉しさのあまり反応したが、野村に心を読まれないよう必死に冷静さを保った。
石丸一之介と共演すれば剛と大地が連絡をくれるかもしれない。移籍の条件は他の俳優に比べれば悪くない。返事は五日後の満月を眺めてからにしようと考えた。
「一週間後に返事をします」
渉は電話を切った。
渉が大手芸能事務所に移籍し、専属マネジメント契約を結んでから約二か月が経過した。
仕事は順調で、ファッション雑誌のモデルの仕事も小百合と重ならないように配慮してもらえた。
渉が二十四歳の誕生日に写真集を発売することになり、事務所からの指示を受け、三か月間身体を鍛え上げた。鍛え抜かれた身体を大胆にアピールした渉のセミヌード写真集は十万部を超える売り上げを記録し、異例のヒットとなった。その頃、同じ事務所に所属する女優と交際を始めた。
テレビドラマ、映画、CM、モデルと、渉はほとんど休みなく多忙な日々を送っていた。毎日、右も左も分からなくなるほどだったが、一旦仕事のスイッチが入るときちんとこなせていた。
疲労が蓄積されるといつも唇を結んだだけの同じ笑顔になった。
長年渉を知り尽くす中川は作り笑顔に危険信号を感じ、LAから心配の連絡を入れてくれた。中川の助言もあり、渉は野村に「身体を休ませたい」と催促した。大事な稼ぎ頭が倒れれば元も子もないと、野村はすぐに上司に相談し、渉は半年ぶりに一か月の休息を与えられた。
渉は久しぶりに自宅のベッドでぼんやりと過ごしていた。交際している女優から会いたいと言われたが、一週間は誰にも会いたくなかったので断った。スマートフォンでこれまで振り込まれたギャラを確認すると数億円になっていた。半分は税金で取られるので使わないように自分に言い聞かせたが、残りの半分を何に使いたいかは分からなかった。
石田に徹の借金を全額返済したいと申し出たが、まだしない方がいいと言われた。大金を持つこと自体が煩わしく感じられ、ギャラの管理は改めて石田に任せることにした。
今の事務所は数年以内に辞めるつもりでいたので、信頼できる石田に預けるのが最善だと考えた。最近、無理に仕事を詰め込もうとする野村に、次第に嫌悪感を抱くようになっていた。
五日目にインターフォンが鳴った。
渉は交際相手が勝手に訪ねて来たのかと思ったが、翔だった。
「久しぶりだな、渉? お前がLAにいた時ぶりか?」
尊大な口ぶりで言い、キッチンの椅子に腰掛けた。
「何しに来た?」
「兄貴に冷たい態度だな」
「人の彼女を寝取ったくせに……」
「お前と小百合が付き合う前に、俺が先に彼女と――別に仲直りしに来たわけじゃない……」
「彼女が来るから、要件だけ言って帰ってくれ」
渉は翔を追い返したくて嘘をついた。
「彼女か……。相変わらず渉はモテモテだな」
翔はテーブルの上にあるシュリンク梱包された渉の写真集を手にして、「いい身体になったな……。見てもいいか?」と尋ねたが、渉は奪い取った。
「何の用だ?」
「金を貸してくれ」
「小百合の事務所に籍を置いているんだろ。彼女から借りたらいいだろ」
「小百合とは別れた……。というよりも最初から付き合ってもいない……。仕事もぱっとしないから、事務所から追い出されたよ……」
目にはしたくはないが、時々街角で見かける広告の中の美しい小百合は、渉の知る小百合ではなく、作られた美女にすぎなかった。芸能界で美しさを保つために美容整形が自然なことだと、渉はようやく理解した。
翔はLAを離れた時に中川の手元から旅立ったと聞いていたので、今どうやって生活してるのか気になった。
「いくら必要だ?」
「十万あると助かる」
渉は財布を確認すると、六万円しか入っていなかった。
「今は五万円しか貸せない……」
「ありがとう、助かるよ」
翔はお金を受け取り出て行こうとしたが、思い出したように「あっ、剛とお父さん、可哀想だったな……」と言った。
「剛とお父さんがどうしたって?」
渉の胸に不安が過った。
「お前、知らなかったのか? まあ、毎日仕事で忙しそうだったから、ニュースなんて見ないだろうな。――死んだよ、二人とも……」
翔は部屋を出て行った。
渉は頭の中が真っ白になった。と同時に酷い耳鳴りが始まった。頭を抱えながら、スマートフォンで二人の名前を検索すると、一年前に交通事故で亡くなっていたことが分かった。高速道路で安全運転をしていた大地の車に、暴走したスポーツカーが激突し、二人は即死だった――。
ネットで初めて知り合いの名前を検索して死亡記事がヒットするとは……こんなにも後味の悪いものだとは思わなかった。
「剛……お父さん……」
渉はスマートフォンを両手に持ったままその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。




