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陶犬瓦鶏  作者: 猫田たい子
第二章
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第2章 自壊作用 7

7


「お母さんと分籍ですか」

「三か月後、俺は二十歳になります」

 喫茶店で、渉は向かい合って座っている石田に言った。

「昨日、渉さんのお母さんが突然訪れたのも、戸籍から調べたんでしょうね」

「そうだと思います」

「羽田小百合さんの映画にご出演されるのですか?」

「――検討中です」

「そうですか……」

 石田はコーヒーを啜って、深いため息をついた。

「……石田さん、お父さんはきちんと借金を返済していますか?」

「ええ。――その件で、渉さんにお話したいことがあります」

 石田は冴えない表情で言った。

 渉が二年前にLAに旅立った後、徹は石田と共に就職活動をした。一か月後、寮がある工場での仕事が決まり、少ない荷物で中川のマンションから寮へ引っ越した。毎月の給料の半分は借金返済に消えるが、贅沢を控えれば何とか生活は成り立った。

 数か月前、徹は職場にいる同年齢の女性と再婚したいと石田に相談した。女性は徹の借金に理解を示し、一緒に返済しようと笑って言った。中学生の子供も徹に懐いており、寮を出て三人で暮らしているという。再婚にあたっては渉の了承を得たいという話だった。

 渉は再婚相手の子供が徹に懐いているのが気に入らなかった。

「……なんで俺の了承が必要なんだよ。勝手に再婚すればいいだろ。お父さんのせいで、俺は休学までしたのに……」

「――それです。徹さんはそれを気にして再婚をためらっています」

 徹は腰痛を患ってから仕事が激減し、美和はパートに出るようになった。

――生活は苦しかったけど、団地に住んでいた頃が一番楽しかった……。

「石田さん……俺が俳優になったせいで、家族が壊れてしまったと思いますか?」

「それは違います。――宝くじが当たった時の心理と同じです。当たったお金を貯金するか、使ってしまうかの違いです。渉さんが高校を卒業して俳優になっていたとしても、ご両親の結果は変わらなかったと思います。――お金は人を変えるものです。徹さんは大金を目の前にして一時的に変わってしまいましたが、今は猛省しています。だからこそ、私に再婚の相談をされたのです」

 石田はまるで口頭弁論のように話した。

「少し……考える時間をください……」

 考える時間は必要なかった。徹は自己破産も選べたが、息子たちの将来のためにそれを選択しなかった。一生働いても返せない借金を背負った徹と再婚をして、一緒に借金を返済したいなんて……。そんな女性がいることに渉は驚いていた。


「昨日、ハウスクリーニングをしてもらったのよ。――今、電気を点けるわね」

 小百合は真っ暗なリビングルームで渉に言った。

「点けなくていい」

 視界が暗闇に慣れて、渉は座り心地抜群のカウチに身体を沈めて天窓を見上げた。もうすぐあの場所に横山大観の『満月』が現れる。満月を眺めたら明日、徹の再婚を認める連絡を石田に入れようと考えていた。

「鍵は郵便受けに入れておいてね」

 出て行こうとする小百合の背中に向かって、渉は「ありがとう、小百合……」とお礼を言った。

 名前を呼ばれたことのなかった小百合は驚いて振り返り、カウチに身を沈めた渉を見つめた。見慣れない表情に、なぜかドキドキした。

「私もここにいようかな?」

 小百合は冗談めかして思わず口にした。

 渉は何も答えなかったが、穏やかな表情で彼女を一瞥した。

 小百合はゆっくりと渉に近づき、天窓の真下にあるガラステーブルに腰を下ろした。長いウェーブのかかった髪が、天窓から差し込む満月の光を受けて輝いて見えた。まるで海辺の岩に腰掛ける人魚姫のようだった。

 目の前の人魚姫に、渉は「きれいだ……」と呟いた。

 小百合は胸の高鳴りを覚えた。

 初めて渉と出会ったのはお互い中学生の時だった。一緒に共演したドラマ『恋恋』では恋人役を演じて何度もキスを交わしたが、カットが入る度にお互いすぐに口を拭っていた。『駒鳥』の撮影からいつも生意気な態度で自分に接する渉に苛立ちを感じながらも、今目の前にいる彼は――いつの間にか魅力的な男性へと成長し、それが腹立たしくもあった。

――翔はすぐに口説き落とせたのに……。

 ドラマの撮影期間中、面白半分で渉を振り向かせようと何度か誘惑をしたが叶わなかった。

 敗北を認めた小百合は思わず、「ねぇ、キスしてもいい?」と口にしてしまい、ハッとして「違うの」と慌てて弁解した。

 渉は何も答えずに、小百合を見て微笑んだ。

 微笑みに惹きつけられるように、小百合は心臓をドキドキさせながら、ゆっくりと前屈みになって顔を近づけた。


 渉と小百合が恋人同士で出演した映画『アンジャスト』は、アカデミズム賞を獲得するまでの大成功を収めた。結婚を間近に迎える大樹《だいき》扮する渉と、愛奈《あいな》扮する小百合の悲しいラブストーリーである。物語は、愛奈の昔の男が刑期を終えて刑務所から出所するところから始まる。男は大樹の知らない愛奈の弱みを口実に、嫌がる彼女を無理矢理襲う。乱暴された愛奈を目の当たりにした大樹は、その場で男を撲殺する。大樹は警察に出頭すると言うが、愛奈はそれを拒み、二人の逃避行が始まるが――追い詰められた二人は最後に一緒に命を絶つ。

 映画の撮影が始まる前から私生活でも恋人同士だった二人にとって、大胆なベッドシーンの撮影も難しくなかった。

 まだ仲睦まじい二人だったが、二十二歳の誕生日を迎えた渉は、中川が初監督をする映画に出演するために、フランスのパリへ旅立つことになっていた。

「私も一緒にパリに行きたい……」

 ベッドの中で、小百合は寂しそうに渉に言った。

「小百合が来たら、演技に集中できないだろ」

「八か月も離れ離れになるなんて、寂しい……」

「俺も寂しいけど、仕方ないだろ」

「毎日連絡をくれる?」

「毎日は無理かもしれない……」

 渉は演技に集中すると役に成り切ってしまうため、撮影中は我を忘れてしまうことがあった。小百合は理解していたが、「連絡をくれないなら浮気してやるから」と意地悪っぽく言った。

「じゃあ、『アンジャスト』みたいに、浮気相手を殺さないといけないな」

 渉は笑いながら言い、小百合を優しく抱き締めてキスをした。

「渉、愛している」

「俺も……愛している」

 二人はベッドの中で愛し合った。



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