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陶犬瓦鶏  作者: 猫田たい子
第二章
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15/56

第2章 自壊作用 6

6


「ふーん、もっと広い部屋に住んでいると思ったけど……」

 小百合は部屋を見渡しながら言った。

「俺の居場所、翔に聞いたのか?」

 渉は不愛想に聞いた。

「そうよ」

 小百合は洋菓子が入った紙袋をキッチンに置いた。

「何の用?」

「先に手を洗わせて」

 小百合は手を洗い、手際よく紙袋から紙プレートとプラスチックフォークを取り出した。

「用意周到だな」

 小百合はプレートの上に洋菓子をきれいに並べながら、「このケーキ、覚えてる? 渉くんが私の家に初めて来た時に、美味しいと言って平らげたケーキなの。――はい、どうぞ」と笑顔で差し出した。

「いらない」

「そう……」

 小百合はケーキをキッチンに置いてから、紙袋から缶コーヒーを取り出したが、彼女のスマートフォンが何度も振動しているのが渉にも分かった。

「出たら?」

「いいのよ、別に……」

 振動が鳴り止まないので、渉は「スマホの振動音って耳障りなんだ」と言って寝室へ行った。

「信じられない。事務所にまで押し掛けたの。――うん、それで」

 小百合はひそひそと電話に応じていたが、会話は丸聞こえだった。別れた男がしつこく言い寄っているのかと思ったが、どうやら母親の話をしているようだった。

「ごめんなさい、取り乱してしまって……」

 小百合は電話を切ってから、隣の部屋にいる渉に言った。

 渉はキッチンに戻り、置いてあった缶コーヒーを開けて、椅子に腰掛けて飲んだ。

「鬱陶しい母親から逃れたくて、二十歳になった時に独立戸籍にして、自分で事務所を立ち上げたの。こんな話、どうでもいいわね……」

「いや聞きたい」

 渉が興味を示したので、小百合は驚いた。

 小百合は三歳から芸能活動をしていた。

 物心がついた頃、なぜ自分だけが周りと違うのかと母親に問いかけたが、「小百合ちゃんがかわいいから、しょうがないでしょう」としか答えなかった。

 好きでもない習い事を強いられ、毎日の生活は次第に息苦しく感じられるようになっていた。小百合の様子を見かねた父親が、芸能活動を自粛させるよう由紀子に注意すると、夫婦は激しく言い争った。

 父親は小百合を引き取り、離婚すると主張したが、由紀子は腕利きの弁護士を雇い、親権は最終的に母親である由紀子に渡った。

 渉はどこかで聞いた話だと思いながらも、芸歴こそ違えど、小百合もまた自分と似たような生い立ちを歩んできたのではないかと感じた。

「二十歳になったら戸籍の分籍ができるって、弁護士に言われて……」

 渉は一つしかないキッチンの椅子に腰掛け、壁に寄り掛かって横座りをしている小百合を見つめた。今さら椅子を譲るのもどうかと思いながら、フリルのロングスカートのせいで、次第に彼女が美しい人魚姫のように見えてきた。

「それで?」

 渉は見せたことのない優しい表情で、前のめりになって尋ねた。

 小百合は渉の様子に戸惑いながらも、話を続けた。

「分籍をしても親子関係は変えられないから、引っ越しをしても母親に住所が筒抜けなのよ」

 渉は美和がこの場所を知り得た理由を理解した。

 総務省は平成二十四年(2012年)から、家庭内の児童虐待に関して、市町村が住民基本台帳の閲覧を拒否できるように制度を拡大していた。小百合は母親と分籍した後、住民基本台帳事務における支援措置を申請していた。

 手続きは複雑で、当時役所の職員もあまり制度を理解していなかった。小百合は、警察署か女性相談センターに足を運び、今までの虐待について口頭で説明し、申請の許可をもらうように言われた。

 小百合は小学生の頃、ファンを名乗る男に襲われそうになったことがあった。由紀子に連れられ警察署へ被害届を出しに行ったが、警察官の横柄な態度に恐怖を感じた。その経験から、同じ場所で由紀子から受けた数々の虐待について話す勇気がなかった。

 女性相談センターではきちんと伝えられるかもしれないと思ったが、「今は虐待されていないのでしょう。だったら申請は無理です」と、担当者の女性から冷たくあしらわれた。

「生まれて初めて心が折れた日だった……。担当者は私が羽田小百合だと分かると、怪訝な表情になったの。――芸能人としての私が嫌いだったんでしょうね。終始傲慢な態度で私の話を聞いていたわ……。彼女の目……一生忘れられない……」

「それで、どうなったの?」

 渉は少し小百合に同情しながら聞いた。

「警察署へ行く勇気がなくてほとんど諦めかけた時に、違う市町村へ引っ越しをしたの」

「天窓がある豪邸から?」

「ええ。――弁護士に女性相談センターでのことを愚痴ったら、越した場所の相談員なら態度が違うかもって言われたの」

 弁護士の助言通り、小百合は転居先で支援措置を受けることができた。担当の女性は終始、真剣にメモを取りながら話を聞き、「もう大丈夫ですよ」と小百合に言った。

「彼女の言葉に胸が熱くなって、涙が出たわ……」

 小百合の話を聞いて、渉は石田に分籍の相談しようと思った。

「ごめんなさい。変な話をしてしまったわね」

「いや、別に……」

 渉には興味深い話だった。と同時に、少しだけ同じ境遇の小百合が愛おしいと感じるまでになっていた。

「肝心なことを忘れていたわ。一緒に映画に出てほしいの」

 小百合はバッグから台本を取り出して、渉に渡した。

「どんな映画」

「恋愛ものよ」

「ふーん」

 渉は満更でもなさそうに台本をめくった。

「それじゃあ……」

 小百合は立ち上がった。

「お母さんは、まだあの豪邸にいるの?」

「もう出て行ったわ」

「今は誰が住んでいるの?」

「――あの家はお父さん名義だから、今は誰も住んでいないけど……」

「来週、一晩だけ貸してほしい」

「別にいいけど……何に使うの?」

 渉はフッと笑って「内緒」と答えた。



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