第2章 自壊作用 4
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喫茶店で渉がコーヒーを睨みつけていると、前の席に石田が腰掛けた。
「お待たせしました」
「はい……」
渉は背筋を伸ばした。
石田は手つかずのコーヒーに目をやった。
「冷めますよ」
「あっ、はい……」
慌ててカップに口をつけた。
ウエイターがコーヒーを運んできた。石田は一口飲むと深いため息をついた。
渉は呆れられたのかと思って顔を伏せた。
「ああ、違いますよ。私はコーヒーを啜ると自然とため息が出てしまうのです」
「そうですか……」
渉は苦笑した。
石田はATMで引き出した現金を入れた二つの封筒を差し出した。
「こちらはお母さんの三十万円。――こちらが渉さんの十万円です」
「俺の……? 三十万円だっていつ返せるか分からないのに。十万円まで借りるなんて無理です……」
「それは中川からです。次に渉さんが出演する映画のギャラですので、両方とも返さなくて結構です。――支払い金額はもっとありますが、先に四十万円を支払うよう、先ほど中川から連絡を受けました」
「――中川さんは一体何者なんですか? どうして俺を助けてくれるのですか?」
「中川は渉さんの演技に惚れ込んでいます。――今は映画のプロデューサーをしていますが、いつか自分の書いた脚本で監督をしたいと言っています。その主役に渉さんを抜擢したいそうです」
「俺を抜擢だなんて……中川さんは俺を買いかぶり過ぎです」
「――私は公開当時『駒鳥』を観に行きました。この主役の男の子は今後どんな役者に成長するのだろうと、映画を観ながらワクワクしたのを覚えています。――渉さん、自分の才能に気づいてください。あなたには役者としての素質が十分にあります」
渉は石田が弁護士だけあって口が達者だと感じた。
「石田さんと中川さんとはどういう関係なんですか?」
「親友です。――私は両親の仕事の都合で小学生の時にLAに引っ越しましたが、英語が下手だという理由でいじめに遭いました。それを救ってくれたのがカレンでした。――渉さんにも親友はいますか?」
「はい。俺にも親友がいます」
剛を思い浮かべ、満面の笑みで答えた。
「それはよかったです」
石田は微笑みかけてからコーヒーを啜り、ため息をついた。
「彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない」
ミシェルがベッドの上で、裸で横たわる渉の耳元で囁いた。
「何かの映画の台詞?」
ミシェルは透き通った細長い両手で渉を抱きしめて「『聖書』の御言葉よ」と言った。
「『潤った園』か……」
「渉は私のヤシの木になれる?」
ミシェルはキスをして尋ねたが、渉は何も答えられなかった。
十九歳になった渉は、中川が運転する車でLA空港へ向かっていた。途中、何度も目にするミシェルが広告モデルを務める化粧品のビルボードを愛おしそうに眺めては、数日前の彼女との長い夜を思い出していた。
渉はビルボードを見上げながら中川に尋ねた。
「LAのヤシの木は、聖書と何か関係がありますか?」
「確か聖書に『潤った園』という言葉があって、多分それをヤシの木に表したのかも。――ヤシの木には水分が含まれていて、乾いたLAの街を潤している、そんな意味合いかな」
渉はミシェルの言葉を思い出して今の自分では彼女のヤシの木になれないと感じた。アメリカで自然に使われる「好き」や「愛している」の言葉をお互いに決して口にしないまま、何度も身体を重ね合わせたのが不思議だった。
「渉くんが二年前にLAに来た時も、ビルボードはミシェル一色だったわね」
「そうですね……」
「彼女は二十歳を超えてから美しくなったわ……。誰かに恋でもしているのかしら?」
――中川さんは意地悪だ。
二年前、渉は徹の借金のせいでLAに降り立った。
二か月後、中川がプロデュースする映画『変身』に出演することになっていたが、急遽、彼女の知り合いから忍者役を演じてくれるアジア人を探していると聞かされた。
翔は最後に殺される役だから嫌だと断っていたが、渉は悪役でも忍者になれるなんて最高だと引き受けた。
これが大当たりだった。
渉はアクション指導がいらないほど完璧な忍者を演じ、ドラマの主人公から殺されない悪役として脚本が変更された。悪者の忍者は主人公に逮捕されるが、その後、脱走してドラマは終了。後に視聴者を楽しませるオマケとして放送されると、すぐに「あの忍者は誰?」とSNSで騒がれ、ドラマは動画配信サービスで高視聴率を獲得した。
ドラマが放送された数日後の真夜中、渉が滞在するコテージにミシェルが現れた。カメラ付きインターフォン越しに「ハロー、忍者さん」と囁くミシェルの声を確認した渉は、扉を開けた瞬間、彼女の身体を引き寄せてキスをした。
ミシェルはくすくす笑いながら「強引な忍者さんね」と言って受け入れた。
二人が最後に身体の関係を持ったのは、日本で行われた映画『駒鳥』のプレミアム試写会の後だった。ベッドの上で渉はミシェルの身体が一回りも二回りも小さくなったように感じたが、彼女に身体を愛撫されながら「大人になったのね……」と言われ、自分自身が成長していることに気づいた。
セックスのテクニックもそれなりに身につけていたので「今まで何人のレディーを相手にしたの?」と艶っぽく彼女に聞かれたが、「ミシェルだけだよ」と答えた。
「嘘が下手ね。それでも役者なの?」
まるで映画のワンシーンのようにミシェルは微笑んだ。
「俺がここに住んでいるの誰に聞いたの?」
「カレンよ。――彼女がプロデュースする映画の撮影が始まるみたいね」
「今度は翔が主役で俺は脇役」
「渉は脇役でも映える演技ができるから翔がヤキモチを焼かないといいけど……」
「LAで翔に連絡を取ったりした?」
「彼に興味はないわ。私は渉の成長を観察するのが楽しみなのよ」
渉はからかわれている気がしたが、それでも嬉しかった。
「二年もLAに引き留めてごめんなさい。――石田に高校の再開手続きをしてもらっているから……」
空港で、中川は渉にさよならのハグをした。
「ありがとうございます」
「高校を卒業したらパリに来てくれる?」
「もちろん。――中川さんが初監督をする映画に出演できるなんて光栄です」
渉は中川に会釈をしてから搭乗口へ入って行った。
「翔ったら……弟の見送りくらいしてあげたらいいのに……」
中川は見送りながら呟いた。




