第2章 自壊作用 3
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夏休みは中川の勧めで、渉は翔がいるLAで一か月を過ごした。時々海辺でサンセットを眺めながら、ミシェルを思い出した。彼女は『駒鳥』の前に撮影した映画が評価されて、ハリウッドで引っ張りだこの女優になっていた。
ミシェル扮する学生のエミーが、二十歳以上年上の男性教師に恋をする話だが、最後はドロドロした結末を迎える。彼女は初めてセミヌードを披露し、公開されるとたちまち話題の人となった。
渉はLA滞在中に映画を観て彼女に会いたくなったが、願いは叶わなかった。
LAから戻って、渉は小百合と共演するドラマ、『恋恋』の撮影が開始した。ドラマの中で渉と小百合は幼馴染でお互い好き同士だが、なかなか二人がくっつかないもどかしい話である。
渉は小百合ファンの剛のために、役を楽しみながら演じた。その甲斐あって撮影は順調に進み、ドラマは同世代の若者から支持を集める大ヒットとなった。二人が私生活でも恋人同士なのではないかと、SNSを中心に噂が広まるほどだった。
騒ぎが収まる頃、渉は高校一年生になり、スマートフォンを持ち、同学年の恋人もできていた。
渉は高校一年の夏休みを、北海道の剛のもとで過ごした。反抗期のせいか剛は大地を遠ざけており、二人で函館本線の旅を楽しんだ。
三人で伊賀市に行き、忍者列車に乗ろうと渉が夕食時に話題にしたが、「札幌から伊賀は遠いぞ」と剛に笑ってあしらわれた。
剛は著しく大人に成長していた。渉が東京へ戻ると、互いの連絡は徐々に減っていくのが分かった。それでも、剛は渉にとってかけがえのない親友だった。
高校二年生になったある日、渉の目の前に美和が現れた。久しぶりの再会には感動はなく、面影はあるものの、母親の顔が別人のようになっていることに驚いた。
話がしたいと言われ、二人で近くの喫茶店に入った。
席に着くと同時に、美和は渉に三十万円を貸してほしいと言った。渉は少し幻滅しながら、何に使うのか尋ねると、鼻のプロテーゼを抜去する手術費用だと答えた。
「恥ずかしい話、鼻にプロテーゼを入れてから、笑うと不自然な顔になっちゃうの」
鼻を凝視する渉に、「そんなに見ないで」と美和は顔を伏せた。
ギャラは徹が管理しているため、渉は三十万円もの大金をすぐに用意できるか分からないと伝えた。もし三十万円を用意したら、二度と整形手術はしないと約束してほしいとお願いした。
「俺は整形前のお母さんの顔の方が好き」
渉の言葉に美和は目を潤ませながら、「もう整形はしない……」と言って、息子に不自然な笑顔を見せた。
自宅に戻った渉は、徹にどうやって三十万円を出してもらうか思案した。いろいろあったとはいえ、美和は母親だ。なんとかして金を用立てたいと思った。
「すまない、渉!」
徹が土下座をした瞬間、渉の頭の中が真っ白になった。
「ドラマのギャラが入った頃、職場の同僚から融資の話を持ち掛けられて……つい……」
「いくら使ったの?」
徹は黙ったままだったので、全額使ったのだとすぐに理解した。
徹は今年納めるはずだった税金を滞納していた。渉は家に届く郵便物をほとんど気に掛けていなかったので、役所からの督促状にも気づかずにいた。
「俺、自分のギャラで北海道の大学に行くつもりだったのに……」
呟いた瞬間、酷い耳鳴りが鳴り響いた。
「すまない、渉……」
徹は頭を下げたまま、動くことはなかった。
渉のスマートフォンが鳴った。確認すると、メッセンジャーアプリに、美和から「お金の都合はできた?」と届いていた。
同じ日に、母親と父親からお金のことで頭を下げられるなんて――。
徹が融資に失敗してできた借金は、一億円にまで膨れ上がっていた。一度は融資で二億円を稼いだことで、仕事を退職していた。
――そういえば、お父さん、いつも家にいたな……。一億円の借金を抱えた無職の男か……。
渉は映画のタイトルのようだと思って苦笑した。すぐにLAの翔に助けを求めたが、借金の金額があまりにも大きすぎて、助言をもらうことはできなかった。
「中川さんに相談してみるから……明日電話する」
「ありがとう、兄貴……」
「渉、お前は大丈夫か?」
「うん……」
渉は翔の優しい言葉に、耳鳴りが少し収まった気がした。
翌朝、中川から連絡が入った。一時間後、学生時代からの友人だと名乗る弁護士の男が現れた。
「カレン・中川から依頼を受けました。弁護士の石田です」
石田は名刺を差し出した。
渉と徹の心配をよそに、石田は手続きを着実に進めていた。
徹は自己破産も検討していたが、渉と翔の今後の芸能活動に支障が出る恐れがあるとして、石田に止められた。
中川の提案を石田経由で聞いた時、渉の顔は曇った。
一億円もの借金を背負うことが、これまでの生活を一変させるのは当然だ――十七歳の渉にも理解できた。
「渉、すまない!」
徹は何度も頭を下げたが、渉の胸には届かなかった。
中川の条件は、渉が高校を休学してLAで彼女がプロデュースする映画に出演することだった。
翔が主役を務める映画は『変身』というタイトルで、『ジキル博士とハイド氏』を思わせる作品だった。鏡に映る自分の分身に悩まされる男の話で、無名の監督による作品だったが、脚本を気に入った中川が監督をバックアップし、映画の撮影にこぎつけた。
渉の体格が翔とほとんど変わらなくなっていたため、兄弟で演じる方がリアリティが増すだろうと中川は考え、鏡に映る分身役を渉に演じてもらいたいと申し出た。
条件として、徹が滞納している税金を中川が立て替えることになった。もちろん、徹には職に就いてもらい、毎月の借金返済をきちんと行うことが求められる。
石田は二人に分かりやすく説明した後、『契約書』を差し出した。
「納得いただけましたら、徹さんはこちらにサインをお願いします」
「はい、分かりました」
徹は『契約書』の内容をほとんど確認せずに、すぐにサインをして捺印を押した。
「渉さんの『契約書』はこちらです」
石田が契約書を示したが、渉はすぐにサインできなかった。ドラマ『恋恋』の契約とは違い、身体が拒絶反応を示したからである。
「早くサインしろ」
徹は他人事のように、渉を肘で突いて急かした。
――この場から消えてしまいたい……。
渉の気持ちを察した石田が言った。
「サインは後日でも構いません。今日一日、気持ちを整理してください。――中川の条件は悪くないと思いますよ」
「いえ、大丈夫です。サインをします……」
渉はゆっくりと自分の名前を書き、捺印を押した。
「ありがとう、渉……」
渉は徹から顔を背けた。
石田は二人の様子を観察しながら、契約書をビジネスバッグにしまった。
「それでは後日、改めてご連絡いたします」
石田は部屋を出て行った。
渉のスマートフォンが鳴った。内容を確認してから、慌てて石田を追いかけた。
マンションの正面玄関を出た石田の背中に向かって、渉は声を掛けた。
「石田さん!」
石田は立ち止まり、振り返った。
「どうしました、渉さん?」
「すみませんが……お金を貸して下さい」
渉は戸惑いながらお願いした。




