血濡れた決意
チヨを探さないと。だがどこを探せばいい?
店のどこにもいない。彼女は――攫われた。
なぜ? 理由なんてこんな街じゃいくらでもある。
脳裏に過るのは野たれ死んだ亡骸ばかりだ。臓物と眼も抜かれた者。生きていても薬によって廃人同然になった者。
利己的な悪意があまりにも渦巻いているのだから。最上層では考えもしなかったことが、よくあることで済まされてしまうのだから。
では? どうする。どうするのだ。諦めるのか? 親父はチヨを任せると俺に言ったのに。
だが――――どうやって彼女を探せばいい。
視界が狭くなるのが分かった。焦りのため、鼓動が早鐘を打ちはじめる。
息が上がり、えもいわれぬ不安で胸が締め付けられる。
頭を振った。こんなときだけブシドーは何も言ってはくれない。いや、彼も苦しんでいた。二重の思考が巡り、氾濫し、渦を巻いていた。
最中、見慣れない蟲が不意に視界を横切った。
――蜻蛉だ。上層の、空が塞がっていない街にしかいない蟲が目の前で、ピタリと止まった。
白く透けた翅が僅かに震えている。どうしてか、こんな事態だというのに嫌に目に焼き付いた。
「戻りたまえ。【陽炎蜻蛉】」
戸を開ける音はしなかった。響き渡る凛とした声。視線を向けると、四人の人影があった。いつ入ってきたのか分からない。
戸は閉じたまま、血溜まりにも足跡ひとつ残っていなかった。
先頭に立つ壱尾の女は深く菅笠を被り、片手を刀へ添えていた。伸ばされたもう一方の手へ、先ほどの蜻蛉が吸い寄せられるように舞い戻る。指に触れた途端、蜻蛉は陽炎のように揺らめいて、跡形もなく消えた。
彼らは誰だ? あの蟲はなんだ?
アキツグは何一つ状況を理解できなかったがゆっくりと腰を落とした。刀はない。それでも深く身構える。
女の後ろには、白髪から狐耳を覗かせた女がいる。小柄な身体とは不釣り合いなほど大きな六本もの尾が背後に重なり、血と臓物の散らばった店内を前にしても、その眼差しには僅かな動揺もなかった。
その隣には狐面を被った七尾の男。獣の尾とも炎ともつかない黒い力の根源が墨を垂らしたように揺蕩っている。
一番端の男だけは、この場に似つかわしくないほど気怠げだった。
着崩した衣に瓢箪を提げ、長い煙管を指に挟んでいる。薄く吐かれた煙が、店にこびりついた鉄臭さへ混じった。
四人とも、死体には目もくれない。
視線はただ一つ。アキツグへ向けられていた。
『……おい。アキツグ。こいつらは……魂の底から血の臭いがするぜえ』
ブシドーの声が頭の奥で低くなる。キリキリと軋むような痛みに顔を歪めると、菅笠の女だけが歩み寄ってくる。
僅かに笠を持ち上げ、その下からアキツグを見据えた。
値踏みするようでも敵意を向けるようでもない。ただ探していたものをようやく見つけたような、静かな眼差しだった。
「君がクズノハアキツグであってるかな? 九尾になるはずだった……零尾、ワタシ達は君を探しに来たのだよ……。だけど、……あまり状況は良くないようだね?」
――――彼らはだれだ? いや、今は誰だっていい。少なくとも尾のない自分を敵意はなく、軽蔑もせず、殺しもしない。
そして広がる躯と血だまりにも動じない実力者。高位の尾までいる。
アキツグは迷うことなく膝をついた。途方もない理不尽を前に、失いたくない者を前に、疑念もプライドも必要はない。ただ縋るように頭を地面に押し付けた。
「誰でもいい。どうか手を貸してください。どんな対価でも受け入れます。俺の恩人が! チヨ殿が! まだ生きているかもしれません。どこにもいないんです。攫われたかもしれないんです。それならまだ可能性はあります」
血だまりが広がっていたが気にすることもなく頭を床に押し付けた。
尾も刀もない自分はあまりに非力だから。この都市の、普通の住民が……助けてくれるはずもないから。
彼らはじっとアキツグを見つめていた。涙と鼻水と血に濡れた顔を。怒りと無力さに振るえる拳を。見開いた瞳、その奥に確かに存在するブシドーを。
「≪殺生石≫を目的とした辻斬りだろうね。尾付きが死ぬと、尾の数だけ石が出る。尾の儀式のための石が。だからこうやって、どうでもいい人間を殺すのだよ。彼らはね」
――どうでもいい人間。そんな言葉が酷く頭を揺らした。憎悪に歯を軋ませて、抑え込んでいた感情が体を突き動かす。
怒りのままに彼女の首根っこを掴もうとしたが、身を焦がすような衝動さえも抑え込んで、深く自分の頭を地面に打ち付けた。
視界が眩む。自分の血がだらだらと垂れていく。
「俺にとってはどうでもいい人間じゃない。彼女は殺されたのか? なぜ彼女だけ連れていかれた? 参尾だからか?」
「彼らからすれば壱尾も参尾も変わらないさ。生かして連れてかれたなら石に変える以外の使い道があったのだろう。例えば……」
リーダー格と思われる壱尾の女が、カウンターに置かれた写真立てを手に取って呟く。
「……容姿がいいとか」
全身を巡る憎悪が、血管からどろどろと滲み出てくる。怒りが、頭を埋め尽くしていく。
「……君さ。どんなことでもするって言ったよね。ワタシ達も君に用があったんのだよ。だから――」
「だから、どんなことだってするって言ってるだろう! こんな無礼な言い方で申し訳ないが! 生かされているならば時間がない!! 俺はチヨを任されたんだ! 任されてなくたって、俺はチヨがこれ以上不幸な目に合うのを黙ってみていたくはないんだよ!!」
墨色に鬼気が染まる。誰かもしれぬ者へ向けた憎悪を必死になって理性的な言葉に変換していく。
女は小さくうなずくと、指先を伸ばした。白い陽炎がぽっと周囲を照らすと、先ほどの蜻蛉へと姿を変えて外へ飛び出していく。
「【陽炎蜻蛉】は探し人の元へ向かう。君はそこで待っていていい。ワタシ達が犯人を殺してくる。それがワタシ達の選んだ道だから。罪のない人を殺し、攫い、石に変え、弄ぶ獣を殺して、チヨさんを助けてあげる」
菅笠の女がそう言うと、全員がその場から踵を返していく。
――異常な連中だ。
壱尾の女の一言で六尾も七尾も動く。人を殺すと言い切った声には、怒りも気負いもない。
まして≪殺生石≫の製造に関わる者を殺すということは、都市を支配する瑞獣夜社に刃を向けているのと変わりない。
……彼らは父上の敵だ。都市の秩序を乱すものだ。
――関わるべきではない。ほんのひと月前までの自分なら、そう断じていたはずだ。けれど、遠ざかる四人の背を見つめたまま、足はもう動いていた。
『おいおい。オレは忠告したぜぇ。そいつらはやべえ。死の臭いがするぜってよお。お前はここで待ってりゃ、あいつらがチヨを取り戻してくれるんだぜ?』
「けど、あの蜻蛉はチヨのもとにまで向かう」
それだけで十分だった。彼らが善人である必要もない。何者なのかも、何人殺してきたのかも今はどうでもいい。
「待ってくれ! 尻尾を振って待つような尾もないんだ。……俺も行く」
彼女は待っていたかのように刀を投げ渡してくれた。……握ると懐かしいぐらい手に馴染む。彼らは、これがクズノハ・アキツグの所有物であると知っていたらしい。
――【九重狐月】。
必要ないと思っていたはずの刀を、二度と手離すまいと強く握り締めた。
肩で息をしながら、膿み腐った都市の最下層を訳も分からず駆け抜けていく。
イラストは自作です。




