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終末のモフモフは俺に無い  作者: 終乃スェーシャ(N号)
二章:尻尾を振るしかないときに
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甘い穢れ

 貰った衣服に泥が跳ねた。今更だ。とっくに血の染みが滲んでいる。


 どこに向かっているかもわからないまま、ドブの臭いも淫靡なネオンライトも何もかもを置き去りにして、建物に押し潰されたような狭い路地を必死になって走り続ける。


「君は……我々が何者であるかは気にならないのかね?」


「今はチヨさえ助けられればそれでいい……!」


 即答した。彼らが何者であるかについて予想はついていたが今はそんな問答をしているつもりもない。


 答えを聞いた彼女は、獰猛な期待がこみ上げるように、牙をあらわに笑みを浮かべた。


 長い階段を駆け上がった先で【陽炎蜻蛉】が速度を落とした。


 行く手を塞ぐように、巨大な建造物が聳えていた。


 最下層から見えるのは基部だけだ。黒ずんだ外壁は無数の鉄骨と配管を纏ったまま、街層を貫いて遥か頭上まで伸びている。


 窓はない。正面玄関らしいものもなく、並んでいるのは荷物用の昇降機と大きな鉄扉。そして酷い腐臭と蠅を帯びた幾つもの死体だった。


 どれも破れた着物や汚れた布を纏った女の屍だ。


 痩せ細った者。手足のない者。薬に焼かれたように肌を荒らした者。古い傷を幾つも残した者。どれもここへ捨てられる以前から、とうに壊れていたように見えた。壱尾、壱尾、弐尾、参尾、弐尾、壱尾……。


 その周囲では死体漁り共が体をひっくり返し、まだ使える衣服や内臓を勝手に剥ぎ取っている。施設の人間が処理している様子はない。捨てておけば、こうして勝手に片付いていくのだろう。


 白い蜻蛉は、その女たちの間を抜けて鉄扉をすり抜けて奥へと入っていく。


「……ここは」


 最下層の街を初めて見たとき以上の衝撃が頭を真っ白に染めていく。


 ……なぜこんな建物の存在が許されている。


 ――父上はこれを知っているのか?


「輩からすれば少尾なんて家畜と同然だとも。≪殺生石≫のために辻斬りをしてるやつだって人殺しなんて思っちゃいない。屠殺だよ。金儲けのためにそんな仕事をしてるんだから、ターゲットの容姿がいいなら副業もして、いらなくなったら石を回収して、ああだろう? ……実に、反吐が出るな」


 チヨがこの建物に攫われたのに、弐尾の男は達観した様子で説明した。そして、へらへらとした態度に反して苛立つように刀を強く握り締めると、――抜いた。


 目視さえできない居合が分厚い鉄扉を切り裂くと、彼らは躊躇いなく動き出した。


 警備の侍が刀を抜くよりも早く、刃が煌めく。


 リーダー格の壱尾が、絶対的な尾の差などありもしないように機敏に動き、一人、二人と見張りを始末していく。


 関わった者を生かして返すつもりなどないのだろう。逃げ出そうとする者を残りの三人も見逃しはしなかった。


 クナイが心臓を貫き、矢が胴を裂き、居合が頭部を両断する。


 アキツグもまた、躊躇いなど存在しなかった。彼らが容赦なく人を殺す様を見向きもせずに横切って、蜻蛉の後を追って一人奥へ駆けていく。


 待つことなどできなかった。胸に嫌なものが込み上げる。激しい憎悪と衝動が体を突き動かす。


 長い階段を上がり、扉を勢いよく開けた先、――広がっていたのはこの都市の膿そのものであった。


 鼻腔を突き刺す異様に甘ったるい薬の臭い。女達が煙管を咥えて紫煙を燻らせていた。


 ひとりではない。畳敷きの大部屋には何十人もの女がいた。壱尾、弐尾、参尾。


 どれも衣服は乱れ、帯さえまともに締めていない。壁にもたれてへらへらと笑う者。焦点の合わない目で煙管を回し吸いする者。虚空へ向かって何事か呟き続ける者。


 扉が斬り破られ、階下から悲鳴と剣戟が響いているというのに、誰一人として逃げようともしない。


 部屋の隅では男女がその場で行為に及んでいた。不快な息遣いと声が耳に障る。隠そうとする素振りさえない。周囲の者も気に留める様子すらなかった。


「…………なんだ、これは」


 アキツグの顔から血の気が引いた。


 秩序ある都市。強き者が弱き者を守り、それぞれが己の役割を果たすことで成り立つ社会。


 父上から何度も聞かされ、自分も疑うことなく信じていたもの。


 ……先ほど外に捨てられていた女達が頭を過った。


 ――――力ある者として、その力は弱き者のために振るうんだよ。アキツグ。この街を守る力がお前にはあるはずだから。


 父上の言葉を反芻しようとして、酷い吐き気がこみ上げて口元を抑えた。


「…………チヨ」


 嫌な想像が脳裏を過った瞬間、頭のなかで渦巻く思考が何もかもが吹き飛んだ。


「チヨ!! どこにいる!! 俺だ! アキツグだ!!」


 薬の煙が淀む大部屋に、蒼白とした怒号が響き渡った。


「うるせえなあ。さっきからなんだよ」


 部屋の奥から気怠げな声が返ってくる。


 でっぷりと肥え太った男がいた。六尾……だが、尾の権力に溺れた獣だった。


 高そうな着物をだらしなく着崩し、膨れた腹を晒したまま酒を呷っている。傍らには食い散らかされた料理が並び、その腕には一人の女が抱き寄せられていた。


 長い黒髪と三本の尾。見間違えるはずがない。


「チヨ……」


 時間が止まったように絶句した。


 着物は無惨に破られ、白い肌が露わになっている。腕には赤黒い指の痕が幾つも残り、乱れた黒髪の隙間から覗く顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


 そして、縋るように手に握られた煙管。


 震える唇から甘ったるい紫煙が細く漏れた。

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