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終末のモフモフは俺に無い  作者: 終乃スェーシャ(N号)
二章:尻尾を振るしかないときに
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都市の尾

「チヨ!!」


 頭が真っ白になった。男に掴まれていることも、握られた煙管も、破られた衣服も、そのすべてが一度に視界へ飛び込んでくる。


 苦痛に似た、灼熱のような憎悪を前に裂けるぐらいに目を瞠った。


 躊躇いなく【九重狐月】を抜刀し、駆け出していた。


「ひっ……!」


 瞬間、チヨが怯えるように悲鳴を上げた。男ではなく、こちらを見て。


 三本の尾を自分の身体へ巻きつけるように縮こまり、ぼろぼろと涙を零している。


「来ないで。怖い……怖いよ……」


「チヨ、俺だ。アキツグだ。……助けにきたんだ。そいつを殺してここから離れよう」


「知らない……知らないよ。……アキ、ツグ? 誰」


 怯えた瞳がアキツグを見つめている。


 足が止まった。悪夢のような恐怖が膨れ上がっていく。尾が逆立つような悪寒がした。


「…………チヨ?」


「父上……父上、どこにおられるのですか。チヨは、怖いです。ここはどこですか……? 怖いよ……帰りたい……です。父上……」


 ひどく錯乱していた。否、錯乱という言葉では収まらない。薬のせいなのか。それとも、父親を目の前で殺されたことに耐えられなかったのか。


 彼女の双眸はどこも映し出していなくて、ただ虚ろに黒くて……。


 ……嗚呼、心が壊れてしまっていた。


「なんだ。この雌狐の知り合いか?」


 肥え太った男が、泣き続けるチヨの肩を乱暴に抱き寄せた。


「チヨに薄汚い手で触れるな」


「嫌だね。今日入ってきたばっかの新品だぞ。名前なんぞ知らねえが、見ての通り上玉だ。俺が最初に使おうと思ってたんだよ」


 男の手が破れた着物の上を這う。醜い指が白い肌を撫でて、乳房の膨らみを弄ぶ。


「――手を離せと、言ったはずだ」


 怒鳴ることすらなかった。【九重狐月】の切っ先を向け、強く地面を蹴り込んだ。瞬間的に距離を詰めて、ケダモノの太い首筋に剣先を突き出す。


 男はそこでようやくアキツグを見た。背後へ視線をやり、尾が一本もないことに気づくと、鼻で笑い嘲った。


「なんだよ。尾無しじゃねえか。おい、こいつを殺せ」


 命令と同時、アキツグの身体能力を遥かに超えた速度で五つの尾が割って入る。刃が激突すると、激しい金属音が劈いて、アキツグは無力に吹き飛ばされた。壁にたたきつけられ、塵が舞っていく。


「かひゅ……!?」


 肺から空気が絞り出されて醜い喘鳴が溢れ出た。眩暈がする。


 父上に勘当され、家宝を奪われ、恩人を殺され、恩人が穢されようとするなかで、飛び飛びになる意識が憎い。自己嫌悪が体の内側を痛むぐらい燃やしていく。


『そうだ。立て。てめえが修羅の道を選んだんだ。立て。立て。立ちやがれ』


 ブシドーの呼び声が気力を突き動かす。反して理性は、勝てないと警鐘を鳴らしていた。たった一撃で、力が入らない。


「尾も生えなかった落伍者がなぜこんなところにきた? 普通は諦めるものだがな。尾の差は、絶対だ」


 侍は達観した様子で断言すると、アキツグが態勢を取り直す前に深く距離を詰めた。刃を振り上げる。


 ――――動かないと死ぬ。


 直観が考えるより先に反応した。激しくぶつかり合う刃と刃。アキツグは咄嗟に力を打ち流し、防御してみせる。身を翻し、必死になって距離を取る。


 そんな拙い抵抗も、尾の力の前では無力だ。漂う狐火が無数の弾丸となって放たれて、間合いの優位性を削り取っていく。


 魂を燃やすような炎がすぐ背後を掠めるなか、否応なくアキツグは距離を詰めなおした。敵は大振りに刀を薙ぎ払ってくる。


 轟音、刃を受け止めようとも膂力差に弾かれるようにアキツグは転がった。だが斬撃はどこまでも追跡し逃さない。時々混じる拳打も蹴りも、零尾が喰らえば体に穴が開くだろう。


 息が焦げるように痛む。強要される回避が思考を狭める。そうだ。これが尾の力だ。敵の無教養な剣術も稚拙な武術も、全てが致命的。


 同じ人間を相手にするものとは致命的な差があった。


『じゃあ死ぬか? タダノアキツグ』


「死ぬわけねえだろ!! 俺は守ると誓ったんだよ!! 親父に! 父上にさえも!!」


 ――チヨを頼む。


 ――――健全な民を護る都市の尾となる所存です。


 まるで走馬灯のように記憶が巡る。発した言葉が、かけられた言葉が朦朧とする意識を覚醒させ続ける。


 猪突猛進な自我が刃を研ぎ澄ます。しかしそれは付け入られる隙ともなった。振るわれた刃をじっと目で捉えながら回避行動を取った矢先、視界が潰される。――酒を掛けられた?


 理解が追い付くよりも前に服の袖を掴まれ、全身を振るわれるように地面に投げつけられた。背中に激しい衝撃が突き抜ける。


 息さえもできずにチカチカと視界が明滅するなか、遮るように手が伸びた。


 顔を歪めながらなんとか見上げると、一本の銀の尾が毅然として揺れていた。菅笠に隠れた表情。だが、力強く握られた刀には都市への怒りと失望が滲んでいるようだった。


「五尾相手によく頑張ったね。あとは任せて」


 よく頑張ったね?


 違う。ダメだ。俺はチヨを助けるために来たが、ここで彼らに全てを委ねては――俺自身が腐ってしまう。


 プライド? 使命? わからない。ただ己に宿る炎のような激情に、身を投じながらも、死に近づくこの体を鼓舞するブシドーに、反している。


「そいつらは!! 俺が殺す。チヨを害した者を、都市を腐らせる者を、俺が斬る……!!」


「……っ」


「ふむ、ならば見届けようではないか」


 壱尾の女が何かを言う前に、六尾の少女がそれを阻んだ。


 ただ見定めるようにじっと立ち止って、彼らの退路を塞いでくれていた。


「殺す? 零尾が? 頭打って本格的に夢見始めたか?」


「いいや、頭は今が一番冴えているぞ。尻尾を巻いて逃げる機会を逃したな」


 【九重狐月】を正眼に構える。呼吸を整えた。

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