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祖母の遺した「取材ノート」を継いだら、日本中の都市伝説を追う羽目になりました  作者: 青空もち


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第六話 友達の友達

柊野町は、拍子抜けするほど、ふつうの町だった。


駅の改札を出ると、小さなロータリーがあり、コンビニの明かりと不動産屋の看板が並んでいた。客待ちのタクシーが一台、エンジンをかけたまま停まっている。少し歩けば、シャッターの下りていない商店街が続き、夕方には下校中の子どもたちの声が響いた。自転車の鍵をかける金属音、犬を連れた人同士の立ち話、どこかの家から漂う夕餉の匂い。常世谷であれほど身構えた緑の壁も、行く手を阻む尾根もない。ただ、どこにでもありそうな、よく晴れた町だった。


祖母のノートの原本は、実家の書斎に置いたままだ。出発前に、柊野町から先のページだけを、中身に目を落とさないようにしてスキャンした。写すのはいい。読むのは、まだしない。手元にあるのは、そうして持ち出したコピーだけだった。


読もうと思えば、いつでも読めた。それでも、あえて読まずにきた。最初は、まだ心の準備ができていないだけだと思っていた。けれど今は、少し違う気がしている。祖母の答えを先に覗いてしまったら、それはもう私の取材ではなく、ただの答え合わせになってしまう。先に自分の足で聞いて、それから夜、コピーを開く。一つずつだ。


駅前のビジネスホテルに荷物を置き、フロントで一泊分の鍵を受け取る。青森で泊まった民宿の、廊下の軋む音や布団の湿った匂いが懐かしく思い出された。ここでは、エレベーターの案内音がやけに事務的に響いていた。


荷ほどきをしながら、ふと考えた。こんなに何の変哲もない町の、こんなに何の変哲もない商店街のどこかに、二十年以上前、祖母が座って話を聞いた誰かが、今も暮らしている。今日はまだ、その誰かの顔も名前も分からないままだった。




荷物を置くと、その足で商店街に戻った。聞き込みは、端から順に始めるつもりだった。


「マスクをした女の人が出るって話、聞いたことありますか」


そう尋ねると、大抵の人は、驚いた顔をしたあとで、懐かしそうに笑った。


「ああ、あったねえ、そんな話」


青森とは、何もかもが逆だった。常世谷の名を出しただけで表情を消した老婦人も、声の温度を下げた司書も、この町にはいない。誰も口をつぐまない。それどころか、みんな面白がって、あの頃の記憶を掘り起こしてくれた。


けれど、話を聞けば聞くほど、私は妙な手応えのなさを感じるようになった。


「見たのは、私じゃなくて」


「うちの子の、友達が見たって話でね」


「隣のクラスの子が、詳しかったと思うけど」


誰に聞いても、同じところに行き着いた。友達の友達。隣のクラスの誰か。もう一人挟んだ先の、名前も覚えていない誰か。直接見たという人間に、私はまだ一人も出会えていなかった。


拒まれるより、こちらの方が、かえって落ち着かないのかもしれない。そんなことを思った。常世谷では、噂は隠されて残っていた。この町では、噂は忘れられて残っている。誰も本気で怖がっていない代わりに、誰も本当のことを知らない。


駄菓子屋の軒先にいた老人は、煙草の煙をくゆらせながら、笑ってはぐらかした。


「今の子はまた別の話をしてるみたいだけどねえ。マスクの女なんて、もう何十年も前の話だろう」


似た話は、姿形を変えながら、今もこの町のどこかで生き続けているのかもしれない。そう思うと、噂というものの息の長さに、少し薄気味悪くなった。


商店街の中ほどまで来たとき、総菜屋の女将さんが、ふと思いついたように言った。


「それなら、宮下さんとこ聞いてみたら。あそこの奥さん、ちょうどその頃の学年だったはずだから」


指さされた先に、「宮下商店」という古い看板がかかっていた。




品出しをしていた女性に、祖母のノートのコピーを見せながら事情を話すと、彼女は手を止め、私の顔をまじまじと見た。


「――皆瀬さんの、お孫さん?」


思いがけない言葉に、今度は私が驚く番だった。


「祖母をご存じなんですか」


「静さんでしょう。背筋のしゃんとした、物静かな人。うちの店にも来たことがある。もう、二十年以上前かな」


女性は宮下多恵子と名乗った。四十前後だろうか、エプロン姿で、日に焼けた腕をしている。狭い店の奥から丸椅子を持ってきて、私に勧めてくれた。商品箱を脇にどけながら、面倒見のよさそうな仕草で笑う。


「静さんのお孫さんが、まさかうちに来るとはね」


狭い店内には、乾物や日用品が所狭しと並んでいた。棚の上の古いラジオが、小さな音で夕方のニュースを流している。何十年もここに変わらずある、というような匂いのする店だった。


私が事情を話すと、多恵子さんの表情がふっとほどけた。


「マスクの女の話、聞きたいのよね。いいわよ、私、小学五年の頃、ちょうどその騒ぎのど真ん中にいたから」


多恵子さんは、噂の中身を語り始めた。


「下校中に、細い路地とか、人気のない道の途中に、マスクをした女の人が立ってるんですって。それで、通りかかった子に『わたし、きれい?』って聞いてくる。答え方によっては、機嫌を損ねる――そんな尾ひれもついてた」


「実際に見た、という子は」


「いたことになってたけどね」多恵子さんは苦笑した。「いつも『友達の友達が見た』とか、そういう話ばっかりで。直接見た、って子には、結局会えずじまい」


「私も、下校のとき、わざと遠回りしてたもの。細い路地を避けて、大通りばっかり歩いてた」


多恵子さんは、そう言って笑った。子どもだった頃の自分を、今になって少し面白がっているような笑い方だった。


さっき商店街で聞いた話と、そっくり同じ形をしていた。


「町内のいくつかの学校で、時期を同じくして似たような目撃談が出てね。学校側が、一週間くらい集団下校を指導したの。それが過ぎたら、憑き物が落ちたみたいに、誰も口にしなくなった」


「今にして思えば」多恵子さんは、少し遠い目をして続けた。「噂って、そうやって育つのよね。誰も見てないのに、みんなが知ってる。教室で誰かが言い出すと、次の日には隣のクラス、その次には隣の学校。あっという間だった」


その一言が、この日聞いた中で、一番腑に落ちる説明だった。


「静さんは、うちには二回来たのよ」多恵子さんが言った。「最初は取材だって言って、うちの親から話を聞いてた。それからしばらくして、もう一度」


「もう一度、というと」


「二回目は、私に会いに来た。当時まだ子どもだった私に、直接、噂について聞きたいって。それで、私、話したの。さっき話した内容と、大体同じことを」


多恵子さんは、そこで一拍置いた。目の色が、少しだけ変わった気がした。


「それと――うちのおばあちゃんが、静さんに何か言ってたのを覚えてる」


「おばあちゃん、というと」


「私の祖母。もう亡くなったけどね。当時はまだ元気で、店にもよく出てた。静さんが噂の話を私から聞き終わったあと、奥から出てきて、静さんに何か耳打ちしてたの」


「何を話していたか、聞こえましたか」


多恵子さんは、少し首をかしげた。


「はっきりとは。でも、切れ切れに聞こえた言葉はある。『それ、今に始まった話じゃない』とか、『うちらの子どもの時分にも、似た話があった』とか」


心臓の音が、少し速くなった。


「似た話、というのは」


「そこまでは、私も聞いてない。おばあちゃん、それだけ言うと、静さんを連れて奥の部屋に行っちゃったから。子どもは向こう行ってなさい、って」


「それから、祖母は」


「その日の夕方には帰って、それきり。もう一度来るはずだった気もするけど、来なかったんじゃないかな」


多恵子さんは、少し寂しそうに笑った。


「おばあちゃんが何を話したのか、私、結局聞けずじまい。今更だけど、あんな真剣な顔、初めて見た気がする。うちのおばあちゃん、普段はもっと、のんびりした人だったから」


奥の部屋で語られた言葉の中身は、今もどこにもない。多恵子さんの祖母が遺したものが、この店のどこかに残っているのかもしれない。それを確かめる術は、今の私にはまだなかった。


それでも、今日聞いた話の中で、これだけは誰の伝聞でもなかった。友達の友達を何人たどっても届かなかった芯の部分に、思いがけず触れられた気がした。


私は礼を言って、宮下商店を後にした。




宿に戻ったのは、日が完全に落ちてからだった。


狭いシングルルームの机に、祖母のノートのコピーを広げる。今夜まで、あえて読まずにおいた続きに、ようやく目を通すときが来た。


祖母の几帳面な字が、この町で聞いた話を、いつもの調子で積み上げていた。


「マスクをした若い女、下校中の児童の前に現れるとの由――談」


「『わたし、きれい?』と問うてくるとの由。答え方によって危害を加えるとの噂あり――談、詳細不明」


「町内三校で、時期を同じくして類似の目撃談。学校側、集団下校を指導したとの由」


今日、多恵子さんから聞いた話と、ほとんど同じ形をしていた。それだけなら、噂の型が正確に伝わっていた、というだけのことだ。だが、次の一行を読んで、私は手を止めた。


「地元住民M・T氏(女性、当時町内小学校在籍)より聞き取り」


M・T。宮下多恵子。


自分が今日、自分の足でたどり着いた相手が、二十年以上前、祖母が座っていたのと同じ椅子に座っていた人だったのだと、そこでようやく気づいた。狙って辿り着いたわけではない。総菜屋の女将さんの一言と、小学五年の頃の記憶。ただの偶然が、二十数年の時差を挟んで、同じ一人の人物の前に、私を座らせていた。


常世谷にあれだけの分量を割いていた祖母が、この町については、ものの数ページで筆を置いている。そのことに、今さらながら気づいた。まるで、何かに気を取られたまま、筆を急がされたような書きぶりだった。


そして、最後にもう一行。


「M・T氏の祖母、類話の先行存在を示唆――要確認、詳細聞けず」


今日、聞けなかった話と、同じところで止まっていた。二十数年前の祖母も、あの奥の部屋で交わされた言葉の中身までは、たどり着けなかったのだ。「要確認」のまま置き去りにされた一行が、ここにもあった。


祖母が確かめられなかったものを、私は確かめられるかもしれない。そう思うと、指の先が少しだけ熱くなった。


ノートを閉じ、自分の手帳を開く。祖母の記法を真似て、今日聞いたことを書きつけた。


「宮下多恵子氏(祖母のノートのM・T氏本人)より聴取。噂の型、祖母の記録とほぼ一致――談。多恵子氏の祖母(故人)、静への聞き取り後、類話の先行存在を示唆した形跡あり――要確認。詳細は多恵子氏も知らず、静の取材はこの町で中断した可能性」


書き終えて、手帳を閉じる。


窓の外には、何でもない町の灯りが、いくつも灯っていた。二十数年前の噂より、もっと古い「似た話」が、この町のどこかに、まだ眠っているらしい。


本作の地名・人名はすべて架空です。実在の場所や事件を一対一でなぞったものではなく、各地に伝わる「型」だけをお借りしています。あくまでフィクションとしてお楽しみください。(モチーフになった噂の考察は、いずれ「都市伝説ラボ」(toshidensetsu-labo.net)のほうでも触れられたらと思っています)

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