第十九話 ここの人間じゃない
二日目は、足跡の主を探すことから始めた。
宿の女将さんに、社宅街の跡を歩く人に心当たりがあるかを聞いた。ないと言われた。
商店に寄って、同じことを聞いた。ここでも、ないと言われた。
除雪車の運転手にも聞いた。あのあたりは除雪しないので入らない、と言われた。
三人に聞いて、三人とも知らなかった。この町にはあと三百人いるが、その三百人に一人ずつ聞いて回るわけにはいかない。
これまでの取材では、三人聞けば何かが出てきた。柊野町では商店街で総菜屋の女将さんに当たり、波名島では港で名前を呼ばれ、宇津良町では四人目が答えを持っていた。
聞く人数が足りないのではなかった。聞ける人数そのものが、この町では上限に近い。
雪の道を歩きながら、私は自分のやり方の限界を初めて感じていた。歩いて、人に会って、話を聞く。その全部が、人がいることを前提にしている。
昼前に、私は資料館へ戻った。
係の男性は、昨日と同じ場所にいた。私の顔を見て、少し意外そうにした。
「まだおられたんですか」
「もう少しいます」
「珍しいですね。たいてい、一日で帰られます」
その言い方が引っかかって、私は座る前に聞いた。
「よく、どなたか来られるんですか」
「来ますよ」
男性は、事務机の引き出しから、大学ノートを出した。表紙に「来館者名簿」と書いてある。
「書いていただいてます。義務じゃないので、書かない方もいますけど」
私は、そのノートを開かせてもらった。
一年に、五十人ほどだった。
多い月は八月で、少ない月は一月と二月。ほとんど誰も来ない。
住所の欄がある。札幌、旭川、そして東京や神奈川もあった。この町の住所は、ほとんどない。
「地元の方は、あまり来られませんね」
「見飽きていますからね」
男性は、そう言ってから、少し言い直した。
「というより、地元の方には、ここの資料は要らんのですよ。自分の記憶と違うところがあると、かえって落ち着かんそうで」
「違いますか」
「違うそうです。社史は会社の目で書いてありますから。同じ年のことでも、住んどった人の覚えとは、ずれとるらしいです」
その言い方に、宇津良町を思い出した。あの町では、記録が一つもないところで、人の記憶だけが習慣として残っていた。
この町は逆で、記録は山ほどあるのに、住んでいた人の記憶とは重ならない。
男性は、笑った。
「来られるのは、昔ここにいた方が多いです。子どものときに社宅に住んでいて、大人になってから来られる。あとは、そのご家族」
私は、ページを繰った。
一年ぶん、二年ぶん、三年ぶん。名前と住所が並んでいる。
四年ぶんめくったところで、手が止まった。
同じ名前が、あった。
一月の、同じ週。三年続けて、同じ人が来ている。住所は札幌だった。
さらにさかのぼった。五年前にも、六年前にもあった。八年前まで戻って、まだあった。
「この方は」
男性は、覗き込んで、ああ、と言った。
「毎年来られます。私が来る前からだそうで」
「どういう方ですか」
「昔、ここで働いておられた方の、息子さんです」
十年以上、毎年一月に、札幌からこの町へ来ている人がいた。
そして、私が足跡を見たのは、昨日だった。一月の、この週だった。
男性が、電話をかけてくれた。
名簿に電話番号は書いていなかったが、この町の役場に問い合わせれば分かる、と言った。小さい町だからできることだった。
その日の夕方、その人は宿の玄関に来た。
六十くらいの男性だった。ダウンジャケットの上に雪が乗っていて、玄関で丁寧に払ってから入ってきた。
名前は聞いたが、書かないでほしいと言われた。
「東京の方が、あの足跡のことを調べていると聞いて」
「はい。ご迷惑でしたか」
「いや。むしろ、こっちが驚いた」
その人は、宿の帳場の椅子に座って、しばらく手をこすっていた。
「あれ、私です」
私は、頷いた。頷いてから、何と続ければいいのか分からなくなった。
「毎年、一月に来られると伺いました」
「父の命日です」
一言だった。
「父はここの坑夫で、私が中学のときに亡くなりました。事故ではないです。病気で」
「はい」
「社宅にいた頃の道を、毎年一度だけ歩きます。うちがあったあたりから、坑口のほうへ。父が毎朝歩いた道です」
そこで、その人は少し笑った。
「もう建物は何もないので、どこを歩いているのか、正直よく分かりません。だいたいこのへんだろうと思って歩いているだけです」
「町の方は、ご存じないようでした」
「知らんでしょうね」
その人は、湯呑みを両手で持った。女将さんが黙って出したものだった。
「私は、ここの人間じゃないので」
その一言が、この町のかたちだった。
この人は、この町で生まれて、中学まで住んでいた。父親はここで働いて、ここで死んだ。それでも、この人は自分をこの町の人間ではないと言う。
出た人間は、出た時点で外の人になる。
そして、この町を出た人のほうが、圧倒的に多い。最盛期に一万人いて、今は三百人。差の九千七百人は、どこかで暮らしている。
私は、ずっと間違った場所で聞いていた。
足跡のことを知っている人は、この町にいない。この町を出た人たちのほうにいる。噂が人の口を離れて残っていたのではなかった。語る口は、町の外にあった。
「毎年歩かれるのは、いつからですか」
「二十年くらいになりますかね。最初は、父の十三回忌の年でした」
「その前から、足跡の話はあったんでしょうか」
その人は、少し考えた。
「あったと思います。私が子どもの頃にも聞きました。冬に、誰もいないはずのところに足跡がある、と」
「では、当時歩いていたのは」
「別の誰かでしょうね」
あっさり言った。
「この町を出た人間は、たくさんいます。みんな、それぞれの理由で戻ってきますよ。私だけじゃない」
私は、手帳に書く手を止めた。
一人ではなかった。
十年ごと、二十年ごとに、歩く人が入れ替わりながら、ずっと続いている。誰も申し合わせていない。それぞれが、それぞれの命日や記念日に来て、それぞれの覚えている道を歩いて帰る。
町に残った三百人から見れば、毎年、誰かの足跡が雪の上にある。誰の足跡かは分からない。分からないまま、何十年も続いている。
「決まりごとを聞きました。足跡の上を歩くな、と」
「ああ、ありましたね」
その人は、頷いた。
「私は、逆に教わりました。人の足跡は踏むな、と。雪の上は歩きにくいので、つい人の跡を踏むんですが、それをやるとその人の行った先まで持っていかれる、と」
「怖い話として、ですか」
「どうですかね。母が言っていたのは、単に行儀の話だった気もします」
行儀の話。
島根で聞いた「明かりを点ける」も、そうだった。怪異への対処ではなく、暗いと家が分からないから。理由は生活の側にあって、あとから怪談がその上に乗る。
ただ、島根と一つ違うことがあった。
あの町では、対処が続いているから何も起きなかった。この町では、そもそも何も起きていない。誰も帰れなくなっていないし、行方不明にもなっていない。
起きていないのに、話だけが残っている。
私は、そこで一度、手帳を閉じた。
これまで訪ねた土地の噂には、どこかに芯があった。青森には数の合わない墓があり、岐阜には子を亡くした女性がいて、沖縄には追われた一人がいた。京都には一冊の本があり、島根には帰れなくなる夜があった。
この町にあるのは、雪の上の足跡だけだ。
その足跡は、亡くなった人を思って歩く誰かのものだった。怪異でも事件でもない。それが毎年繰り返され、繰り返されるうちに、決まりごとまでついた。
つまりこの町の噂は、人がいなくなったから生まれたのではない。人がいなくなっても、戻ってくる人がいたから続いた。
祖母のノートに何が書いてあるのかを、私は早く読みたくなっていた。
その人は、一時間ほどで帰っていった。
明日の朝の便で札幌へ戻るという。今年の分はもう歩いたので、と言っていた。
見送ってから、部屋に戻って、祖母のノートを開いた。
笹内町のページ。日付が二つ。数行の記述。そして、「足跡、確認。撮影せず」の一行。
その下に、もう一行あった。昨日は読み飛ばしていた。
「一月。来訪者名簿を閲覧」
祖母も、同じ場所を見ていた。
私が二日かけてたどり着いた道を、二十年以上前に、この人は同じ順で歩いている。
そして、そこから先を書いていない。
誰に会ったのかも、何を聞いたのかも、書いていない。書いていないから、私はもう一度自分で会いに行くことになった。
それでいいのだと、今日は思えた。
本作の地名・人名はすべて架空です。実在の場所や事件を一対一でなぞったものではなく、各地に伝わる「型」だけをお借りしています。あくまでフィクションとしてお楽しみください。(モチーフになった噂の考察は、いずれ「都市伝説ラボ」(toshidensetsu-labo.net)のほうでも触れられたらと思っています)
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