3-25 婚約監査人メアリの非日常
貴族にとっての婚約は、恋愛ではない。
莫大な財産を持つ両家――つまり『事業』と『事業』の結婚である。
そのため結婚前に両家の事業を調べ合う制度として、婚約監査が生まれた。
メアリは、不正を暴く辣腕の婚約監査人。
普通なら問題なく帳簿の監査を終え、祝福をして終わり。のはずが、彼女の相手はなぜか問題ばかり。相棒の少女と、ことごとく不正を暴いてしまう。黙っていられない性格もあり、気づけば『婚約を破棄させる女』として嫌われていた。
そんな日常にすっかり擦り切れていたある日、公爵家に対する婚約監査を打診される。
浮いた話など来るはずない――そんな諦めを打ち砕く美貌の青年と共に、偽装夫婦として潜り込んだ公爵家でメアリはいつものように帳簿に潜む事件に巻き込まれる。
他人の幸せを願いながらも、幸せを壊すことが仕事の令嬢による、会計監査 × 婚約 × 貴族社会ミステリ。
嫌な予感がしていた。
相棒の機嫌がよかったからだ。
メアリはため息をついた後、意識して笑みを結び直す。そうでもしないと、余計に陰気な印象を与えてしまうのだ。
長い黒髪を後ろで結い、署名の歪みさえ見逃さないよう大きな眼鏡をかけている。20になったばかりだが、同年代に比べて実務的すぎる見た目をしていることは、メアリの数あるコンプレックスの1つだった。
中指で、その眼鏡を直す。春の日射しに男女が歩いているのが見えた。
「なんといっても、今年のワインは上々なのです」
がっしりした青年は、先ほどから話し続けている。まるで演説。意図してメアリ、そして婚約者に聞かせているのだろう。
名はフランク。広大なブドウ園を持つ貴族の一人息子で、今回、大きな縁談をまとめ上げたばかり。
傍らの婚約者は――なんといったか。娘はうっとりとした表情で何度も頷き、未来の夫に見とれている。2人で寄り道をしたり、足を止めたりするものだから、移動に時間がかかって仕方がない。
メアリの隣から、鈴の転がるような声。
「それは楽しみです! 王国法第4章4条7項2行目により、わたしはまだお酒をいただける年齢ではないのですけど、メアリ様はとってもお好きですから! 2週間も前からこの地のワインを試飲なさるほど!」
フランク青年と婚約者の視線が、メアリに向けられる。
「――お好きで?」
「ま、まぁほどほどには」
ぎこちない笑みで返すと、相棒はちょっと舌を出す。
王立婚約監査局が誇る、計算人形と呼ばれる15ほどの娘だ。実際、高級人形のような少女である。ふわりと膨らんだスカートに、鍔広の帽子。
青年らは笑い合う。
「ふふ」
「ああ、それはそれは! 当家のワインは絶品ですから、頭痛など起こさないようご注意を」
子供の余計なひと言、と微笑ましく受け止めてくれるらしい。
(でも……)
2人は分かっているのだろうか? 小さな相棒ヴィクトリアスと、婚約監査官メアリ。この両名が後ろにぞろぞろついてきている監査局の頭であり、婚約が認められるかを握っているということを。
片方は由緒あるワイン製造の大家、片方は新興の商家。前者には権威があり、後者には勢いがある。
やがて、平屋の倉庫に辿り着いた。
「ここですか」
メアリはいつも以上に事務的に言った。
わざとらしいほど強い、ブドウの香り。木を格子状に組み合わせた棚が延々と続き、ワイン樽が三段積みされている。
フランクが指示すると、使用人が樽からグラスに注いだ。
「どうぞ」
メアリは酔わない程度に含み、頷いた。
帳簿によれば、上等品で倉庫は満杯のはず。数週間前からの試飲は、質を自分の舌でも判断したかったからだ。
しかし――
「朝から、他2カ所の倉庫を拝見しました。そちらでいただいたワインとも、まったく同じ味ですね」
「? ええ、品質は自信を持っています」
使用人らの顔がひきつるのを、メアリは見逃さない。
樽の封蝋印が、午前中に見たものと同じ傷を持っていた。
「今から、午前中の倉庫に戻っても? 運河の反対側でしたね?」
今度は、目に見えて使用人らが慌てだした。
「――っ、それは!?」
「当初の予定にはなかったはずです」
婚約前の監査は、形だけだと思われがちだ。
しかしメアリはしっかり見る。
小さな相棒が、帽子を押さえながら奥を指差していた。口許がにまにまである。
フランクが言った。
「どうされたのです? 婚約監査など、形だけのものでしょう? 我々はこれから大きな事業を行うのです、あまり『ご活躍』なさらない方がよいかと思いますが?」
貴族の強い威光をちらつかせ、フランクは監査の終了を迫る。だからこそ、帳簿の不正を暴く時には、威光をも黙らせる証拠がいる。
それをメアリは待っていた。
「失礼」
奥の暗がりで何かが光る。
ネズミの目だ。
ため息をこらえるのは、今日何度目になるだろうか。
つかつかと奥に進む。
目の端に、今日一番の笑顔となっている相棒――ヴィクトリアスが見える。他人の幸せを壊すのにいつまで経っても良心が痛むメアリと、秘密を暴くのが大好きなヴィクトリアス。
少し足が疲れるほど歩いて、メアリは鼻を鳴らす。
かび臭い。手近な樽を蹴ると、がらんと空虚な音がした。
「空ですね」
フランクは青い顔となり、目をそらす。
「おそらくこの倉庫は、もともと空樽ばかり。移動に長々と歩きましたが、もしかしなくても遠回りをしましたね? 朝に見た倉庫から、この倉庫まで、大急ぎで樽を移さなければなりませんから」
帳簿を過大に、つまり家の資産を多く報告していた場合、現物の倉庫を調べれば不足が出る。
帳簿に100樽とあるのに、現物が半分しかないのだから。その不足を、一度見せた樽を、もう一度見せるというズルで埋めようとしたのだろう。
「婚約者の方をあちこち案内していましたが……あれも時間稼ぎですね?」
「う……」
メアリは窓に近寄り、きらめく運河を見つめた。
「運河を使えば、樽の移動もさほど苦ではないでしょう。すべては移しきれなかったようですが」
眼鏡が輝く。
「ただし、空の倉庫ではワインの香りはしない。だからブドウを潰すなりしてごまかしたのでしょうけれど、ネズミも呼んだようですよ」
本当に高級品の倉庫なら、ネズミが出るなどありえない。
こうした事実があれば他の帳簿も調査できる。
高価なワインは1樽で庶民の年収に匹敵する。その粉飾は重大な利益操作だ。
相棒ヴィクトリアスがやってきて、帳面をぱらぱらとめくっている。
「粉飾です♪」
蒼白になる青年。婚約者が絶叫してメアリに迫る。
あなたが余計なことを言わなければ。玉の輿だと思ったのに! 婚約を壊す死神ってあなたのことだったのね!
▲
かん、と空いた杯をテーブルに叩きつける。行きつけのパブで飲むエールは、こんな時でも美味しかった。
机に置かれっぱなしの新聞が目にとまる。
――由緒ある大貴族、多額の負債で破産寸前!
――原因は旧来事業の失敗……。
あの青年フランクの家だった。なんということはない。歴史はあれど、家の存続が難しいほどの負債を抱えてしまった旧家が、カネと勢いのある新興貴族の娘を娶り富を吸い取ろうとしたのだ。
帳簿に多額の高級ワインが記載されていたのは、優良な資産を多く見せ、『負債はあれども資産もたっぷり』と相手を安心させるためだろうか。
メアリはため息をこらえる。
――あなたが黙っていれば!
その通り。
だが、大貴族とは名ばかりの、大負債を抱えた家に一生閉じ込められる寸前でもあった。
(あの家は、結婚を機に新規事業で資金を集めるつもりだった。発行される株式や債券は、粉飾された帳簿によるものとなる)
貴族の事業、その有価証券は平民にも出回る。カネだけ吸い上げて事業は倒産、平民は泣き寝入り――そんな事例も多い。
メアリの父がそうだった。取引先からの要請もあって多額の株式を買わされ、追って粉飾が発覚。株式は紙切れとなり、損失で父も紙のように痩せた。
結果、メアリは猛勉強して王立監査局に入り、家計を支えることになる。
母は早めの結婚を願って『結婚』と近い名を付けたらしい。が、今のところはキャリア街道を爆走中だ。
(あなた達、貴族でしょ……? 帳簿で嘘ついたら、みんな不幸になるのよ……!?)
口を尖らせて独り言ちた。
「幸せになりたきゃ……嘘つくな」
酔いのせいか、眼鏡の先で景色が揺らいでいる。
嫌われるのが日常なのだけど、他人の幸せを壊してばかりの自分に幸せが来るとも、どうしても思えないのだった。
「邪魔したかな?」
いつしか、グラスの先に誰かが座っている。
「……席は他にも空いていますけれど」
「あなたに用がある。副局長、といえばわかるかな」
ぎょっとして顔をあげる。
若い、澄ました見た目の男性だった。肩口ほどの金髪で、ジャケットを少し気崩している。
青い目と端正な顔。店に合わせた服装だが、本来は上流階級かもしれない。
「……あなたが?」
婚約監査は、もともとは結婚を祝う『箔付け』だったらしい。両家の事業に不自然なところはないと宣言できた方が、どちらも安心できたのだ。
その箔付けを制度にまで昇格させ、婚約時の財産精査につなげた立役者が、現在の副局長である。
「――監査人、あなたの相棒は?」
「いつもの趣味です。ミスの指摘が好きで、図書館で公文書の誤字脱字探しを」
頭の良すぎる相棒の特殊な趣味を、副局長は苦笑で流した。
「わかった。あなたに仕事を。事務所で勘ぐられたくない話でね」
渡された書状は、少し、というかかなり監査の域を飛び越える話だった。
プロイツ公爵家へ第四王女の嫁入りが検討されているらしい。
「かの地は軍事に傾斜しているが、それだけに先進的だ。領邦財政の一部を公開している。それを見た計算人形らは――」
青年は声を落とした。
「花が枯れる、と」
破産状態の隠語である。
「理由は?」
答えは肩をすくめるだけ。
「計算能力に頭脳を特化された彼女らは、時々『結果』だけを先んじる。過程を説明できないことがある。通常の監査ではなく、隣国への内偵に近い」
メアリは目で先を促す。酔いが醒め、いつもの冷たい瞳が戻ってきた。
「それにあたって、ひとつ私と結婚してくれ」
思わぬ発言に胸が跳ね、メアリは残りのエールを吹きこぼした。





