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イラスト、日記、エッセイ系

私が生まれた日

作者:長岡更紗
パパママ誕生企画作品です。
 私の母が、母になった日……それは、私の姉が生まれた日だ。

 ある秋の日、臨月だった母は、家にいる時に破水してしまったらしい。
 私の父というのは当時遊びたい盛りで、一度家を出るとどこに遊びに行ったのか、さっぱりと分からない人だった。
 時刻は夜の十一時。
 臨月の嫁を放って夜遅くまで遊び歩くなど言語道断だと思うのだが、今糾弾してもどうしようもないので、とりあえずそこは突っ込まずに先に進もうと思う。

 当時、携帯電話などは無かった時代。

 困りに困った母は、自身の姉……つまり私にとっての伯母に電話を掛けて迎えに来て貰った。父には置き手紙を残して。
 病院に着いたのは十一時五十分。
 この時間に入ると一日分料金を多く払わなくてはいけないため、病院の前で十分待って、日付が変わってから入ったという……。
 破水してんだからさっさと入ろうよ……と私が突っ込むと、『たった十分で一日分の料金を取られてたまるか』とでも言うように、ケラケラと笑っていた。
 その後は置き手紙を見た父が慌ててやって来て、姉も無事に誕生したらしい。
 ふーやれやれである。

 さて、物語の本題はここから。
 なにせ題名が『私が生まれた日』なのだから、こちらに重点を置いて話していきたいと思う。

 母は、姉を生んだ後でまた妊娠をした。
 が、その子が生まれることは無かった。流産、というやつだ。
 時期を聞くと三ヶ月だったと言うので、ごく初期の流産だったのだろう。
 もしかしたら私にはもう一人姉か兄がいたのかなと言うと、その子が無事に生まれていたとしたら、三人目を作ったかどうか分からないよ、と言われた。複雑な気分だ。

 その次に妊娠した子が、私だった。

 しかし母は、つわりが酷くて動けるような状態じゃなかったらしい。
 買い物にも行けなかったので、姉にお金と何を買うかを書いたメモを渡し、買い物に行かせたというのだ。
 私と姉の年齢差はおよそ四歳。
 つまり妊娠中の三歳と三ヶ月から、三歳と十ヶ月くらいの間の出来事だったと考えられる。
 三歳の子に、買い物!!
 とてもじゃないが、私は自分の子に一人で買い物など行かせられないだろう。しっかりしてないのもあるし。けれども、母は姉を買い物に行かせた。何故なら、頼れる人が他に誰もいなかったからだ。
 私の母の母……つまり私の祖母にあたる人物は、母が二十一歳の時に病気で亡くなっている。そう、母には、出産において最も頼れる実の母親という存在がいなかったのである。
 父の両親は健在だったが、これまた超がつくほどど田舎に住んでいて、母たちが住んでいる所まで出てくるには、当時とても時間の掛かる場所に住んでいた。
 しかも農家のかたわら、その地区で唯一のお店を切り盛りしていたのだ。このお店を休むと皆が困るからと、長くは休めない状態だった。
 母にも父にも兄弟はいたが、皆働いていたため、頼みの綱は三歳の姉だけだったのである。
 頑張れ、姉!

 幸いなことに、八百屋も豆腐屋も魚屋も、全部ご近所にあったらしい。
 姉は『壁を背中にしてカニさん歩きで買い物に行きなさい』という母の言葉をちゃんと守って、ズリズリと怪しい格好で目的地へと向かった。
 というのも道幅が狭かったので、車に轢かれないようにとの配慮でこう言っていたらしい。
 かくして三歳だった姉は怪しい動きをしながらも、見事に母のミッションをクリアー!
 何を買うか書かれたメモとお金をお店の人に渡すだけのミッションだが、三歳でこれはすごい。自分の息子たちを見ていると、本当にそう思う。
 私のためにありがとう、姉。

 しかしそんな姉の頑張りも虚しく、母は五ヶ月の時に入院になってしまった。切迫流産、というやつだろうか。お腹がカチコチに硬くなり、痛くて動けなくなってしまったのである。これは困った、姉をどうすれば良いのか! 流石に一人で留守番なんてさせられない!
 というわけで姉は最初、伯母の所に預けていたらしいのだが、そこで色々と事件があったらしく、姉は行き場を失ってしまったのだ。
 今度は父の弟夫婦の元へ頭を下げてお願いし、姉の面倒を見て貰ったらしい。母が入院していた四十五日間、ずっと。母が叔父夫婦に引け目を感じているのは、そういう経緯があっての事だったと初めて知った。
 いや、本当に私のせいでごめんなさい、母と姉。
 姉もいきなり四十五日も預けられて、さぞ辛かった事だろう。覚えてないだろうけど。

 結局母は入院中に子宮頚管縫縮術というのをやったらしい。
 赤ちゃんが出てこないように子宮口を縫うアレだ。ひいいーー、怖いっ!!
 入院中は糞尿もベッドの上で、歯磨きや食事は介助人が手伝ってくれて、本当にまったくベッドから動かなかったそう。絶対に動いてはいけないと言われていたという事は、相当にヤバイ状況だったんだろう。
 動かないっていうのは結構な苦痛だと思うんだけど、耐えてくれた母に感謝。お陰で今の私がいる。
 入院三十日目で立って良いと言われたのだが、隣でサポートしてくれるはずの介助人を巻き添えて転倒してしまったらしい。三十日も何もしなかったら、筋肉が衰えてしまっていたのかもしれない。
 その時は大騒ぎになって、入院が継続されたそうだ。
 いや、この時に流れてなくて、ほんっと良かった……。

 入院中は何も出来ないので、ひたすら本を読んでいたそうだ。
 読んでいた本は、ミステリー作家、山村美紗先生の小説ばかり。
 ちょっと胎教に良くないんじゃないのと思わないでもないが、過去の事に文句を言っても仕方あるまい。
 何より、その山村美紗先生の『紗』という字を取って私の名前は付けられたのだ。
 もし違う作家さんの本を読んでいたら、別の名前が付けられていたに違いない。それは困る。私はこの名前が気に入っているのだから。

 そうやって入院期間を過ごし終えた母だったが、この後もちょくちょくと流れそうになって入院する事、二回。つまり産むまでに計三回も入院したらしい。
 どんだけ危なかったのか……ああ、私生きてる……嬉しいよ……。
 八ヶ月の頃には、子宮口が開かなくなると困るからと、縫っていた所を抜糸した。

 そんなこんなで七夕がやってきた。
 母は姉と一緒に七夕祭りに行ったようだ。大きなお腹で。
 その時に、『なんかおかしいな?』という感覚があったらしい。
 でも母はそのまま放置!!
 七月九日になって、ようやく『これはおかしい気がする』と重い腰を上げて病院に向かいましたとさ。
 病院に着いた時には痛みが襲っていて、そこから分娩タイム。
 が、これがなっかなか出てこなかったらしい。
 九日の朝八時に病院に行き、その日が終わろうとしてもまーだ出てこない。
 どれだけ引っ込み思案よ、私!!
 誰か私を外に連れ出してッ!!

 母は極限の痛みを何度も迎え、疲れ切っているのと夜遅いのとで、半分眠ってしまいそうになった。
 すると看護士さんに「寝ちゃダメ! 死ぬよっ!」と頬を遠慮容赦なくバシバシ叩かれながら言われたんだとか。
 母は出産の痛みと頬の痛みに耐えながら、どうにかこうにか頑張り抜いてくれた!

 私、長岡更紗の誕生であるっ。

 既に日付は変わって、七月十日の午前一時四十分に私は生まれた。
 出産までに要した時間は約十八時間。
 本当に、ありがとうといくら頭を下げ続けても足りない。

 しかし生まれてすぐ、私と母は対面も出来ずに引き離されてしまった。
 産声は、一度小さく上げだだけですぐ聞こえなくなったのだそうだ。
 私は『新生児メレナ』という病気を持っていたらしい。
 ググってみたけどちょっとどういう病気なのかよく分からなかった。気になる人は各自で調べてもらいたい。

 母が退院となっても、私とは会えないままだったそうだ。母だけが退院して、私はそのまま病院に残されてしまった。
 母は、更紗は死んだんだ、だから会わせて貰えないんだと思い込み、父の前で大泣きしたんだとか。

 初めての対面は、なんと私が生まれてから三週間後の事だった。それもたった一人別室に入れられているのを、ガラス越しに見たのが初めてだったらしい。
 いくつもされていた注射の跡が痛々しくて、母は辛かったようだ。私は全然覚えてないから大丈夫なんだけど。
 それから私は一ヶ月もの間、その個室で育った。予定日ぴったりに生まれたのに、こんなに長く外に出られなかっただなんて。どれだけ引きこもりたかったんだろうか、私。

 しかしそんな引きこもり生活も終わりを迎える時が来る。
 もう少し重症だったら、全身の血を抜き替えなければいけない所だったらしいが、どうにかそれは回避し、退院する事ができた。
 本当に良かった……血の抜き替えをするとなると、医大か赤十字に行かなければいけない所だったようだ。今でこそ三時間弱でいける距離だけど、全く高速のなかった当時を考えるとゾッとする距離である。
 ああ、これ以上母に負担を背負わせずに済んで良かった! 本当に!
 よくやった、赤ちゃんの私! でももうちょっと強く生まれてこいよ、私!

 ちなみに父は、母の出産の少し前に仕事を辞めたらしい。
 ちょっと体の具合が良くなかったのと、母が入院した時に、また姉を誰かに頼んで預けるのは可哀相だという気持ちもあったのだろう。
 ちなみに家事は一切しない、料理の全く出来ない父であるが、この時ばかりは甘い卵焼きを作って姉に食べさせてあげていたようだ。
 証言者は三歳十ヶ月の姉である。他にどんなものを食べさせられていたのかと思うと、いささか不憫だ。
 だが一応は父親らしい事をしていたようなので、これ以上は何も言うまい。姉の出産の時と比べると、父も成長していたという事だろう。

 こうして私たち四人家族は仲良く一緒に暮らせる事となった。
 たまーに母は、あまりに家族と似てない私を見て、「あの時、別の子と入れ替えられたのかもね」と冗談で言ってくる。その時私は決まってこう返すのだ。
「もしそうだとして、全くの赤の他人でも、今の関係が崩れる事はないんでしょ」と。
 母の答えもいつも一緒。
「当然。更紗はお母さんの子供だから」

 実際に、実の親子なのはまず間違いないんだろう。DNA鑑定をしたわけではないのだけれど。
 万が一赤の他人だったとしても、最初はショックを受けるだろうが、この何十年も積み重ねてきた関係が変わる事はないと確信している。
 親とは、子とは、家族の絆とは、血だけで繋がっているものではないのだから。

 これからも私は母に、私の子供である長男と次男を『遊んでやって』と押し付ける事だろう。
 母は早くに祖母を亡くしていたため、『こうやって孫の面倒を見て、貴女たちに楽をさせてあげるのが夢だった』と、いつも言ってくれている。自分が母親にやって欲しかった事を、私たち姉妹にしてくれているのだ。お母さん様様である。
 いつまでも甘えてはいられないが、もう少しだけお母さんに甘えさせて貰おうか。
 だけどいつかはちゃんと交代するつもりでいる事を、ここに記しておこうと思う。

 お母さん大好き。
 いつも本当にありがとう。
 わがままな娘を、これからもよろしくね!

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