第9話 届いていた警告
控えの綴りが、机の上に二冊並んだ。
一冊は、北の監視所の業務綴り。もう一冊は、司令部側の受付簿。どちらも閲覧は、功績の根拠に関わる範囲に限られる。立会い付きで、写しは出ない。
「リディアさんの言う警告を、先に探します。出たなら、送った側に残ります」
ミロが監視所の綴りを開いた。
「この綴りは、功績のために残されたものじゃありません。見張りが当番の間に何を送ったか、後で当番の側が責められないように残す控えです。施設の運用の分類に入っています。だから、英雄譚の検証では誰も開かなかった」
「目的が違うから、残っている」
「はい。竜災当日の頁を出します」
当日の頁には、通報が三件並んでいた。二件は定時の報告だった。三件目だけ、区分の欄が「臨時」になっている。
――発第十八号。午前九時四十分。宛先、司令部。伝令にて発信。中継二か所を経由。要旨、北の稜線に竜の影。谷筋へ向かう公算大。谷内の部隊へ通知を請う。
短い。判断も、原因も、誰の責任とも書かれていない。クラウスは二度読んで、そのまま控えに写した。
「出た、までだ」
「リディアさんの話は、本当だったんですね」
「送信の控えがあった、ということだ。まだ、出したと書いてあるだけで、届いたとは書いていない」
ミロは口を閉じて、頷いた。
「時刻だけ置いておく。竜が斃れたのは午後二時前後。谷の部隊日誌も、急報が谷を出た二時二十分も、そこで合う。この控えの九時四十分は、それより四時間以上前になる。今言えるのは、そこまでだ。次は、届いたかどうか」
「届かなかった形を、先に潰しましょう」
クラウスは指を折った。
「一つ。控えだけ作って、実際には出していない。二つ。出したが、中継のどこかで止まった。三つ。司令部に着いたが、別の件として扱われた。四つ。着いて受け付けられたが、誰にも回らなかった」
「順に、ですね」
「順に。控えは嘘をつくことがある。だが、他人の帳簿までは書けない」
ミロは中継の側を当たった。最初の中継点は、街道の宿駅の通過簿に残っていた。
「ありました。午前十時二十分、監視所発、第十八号。馬を替えて通過」
「発信番号が、控えと合う」
「はい。二か所目の通過簿は……」
ミロの手が止まった。頁を繰る音が、しばらく続いた。
「ありません。その日の頁が、ごっそり別の綴りに移されています。大雪の年に、通過簿の保存が組み替えられたらしくて」
「所在が分からない、までだ。止まったとは書かない」
「でも、ここが空いたままだと、中継で止まった可能性が残ります」
「残る。だから、受ける側から詰める。司令部の受付簿を」
受付簿は、日ごとの連番になっていた。当日の午前の頁を、ミロが一行ずつ追う。クラウスは、その横で時刻の欄だけを見た。
「監視所発の臨時、で探します。……ありません。午前九時四十分から正午まで、監視所からの臨時の件名は、一件もないです」
「届いていなかった、のか」
ミロは答えなかった。指が、紙の上で止まったままだった。
クラウスも、結論を出さなかった。出す材料が、まだ片側にしかない。
「件名で探すのをやめろ。受け付けた側は、中身を読んで件名を付けたとは限らない」
「……そうか」
ミロが顔を上げた。
「受付は、発信元ごとに綴る決まりです。送ってきた相手の区分で綴って、内容の区分は付けません。監視所からは、毎日、定時の報告が来る。臨時も同じ監視所からの報告なら、同じ『監視所報告』の区分に綴られているはずです」
「探すのは、件名ではなく番号だ」
「相手の発信番号を写す欄があります。受け取った側が、時刻と相手を必ず書く決まりですから」
件名を「監視所報告」とした行を、ミロは端から追った。定時報告の行が並ぶなか、一行だけ、発信番号の欄が「十八」だった。
――受付第六三二号。午前十一時十分。発信元、北の監視所。発信番号、十八。受領印。回付先、第二係。要旨の欄に、短く一行。竜影、谷筋へ、通知請う。
「あった」
ミロの声が掠れた。
「通常の報告として、埋もれていました。件名だけ見ていたら、一生、見つかりません」
「照合する」
クラウスは控えと受付簿を、並べて置いた。
「発信元、北の監視所。発信番号、十八。宛先、司令部。要旨は、言い回しは違うが、竜の影、谷筋、通知の請求で一致する。時刻は、発信が九時四十分、受付が十一時十分。差は一時間半」
「一時間半、遅い」
「中継が二か所ある。一か所目の通過が十時二十分。そこまでが四十分。残りの距離を同じ速さで進めば、受付までの時刻に無理はない。竜が斃れた日の急報も、馬を二度替えて、二時間半かかっている」
クラウスは送信の控え、宿駅の通過簿、受付簿の三つを順に指した。
「送信の控えと、宿駅の通過簿と、受付簿。発信元、発信番号、時刻、要旨。それが、別々の目的で付けられた帳簿の上で、つながる。主な根拠は、これだ」
受付簿の端にも、指が動いた。
「この簿冊は連番で、第六三二号の前後も欠けていない。後から足すのも抜くのも、楽ではないだろう。だが、それは補強にすぎない。番号が続いていることだけで、中身が本物だと決まるわけじゃない」
「あくまで、照合が先なんですね」
「ああ。確認できたのは、送信、途中の一か所、受領。二か所目の通過だけが、まだ空いている」
ミロが、息を吐いた。
「届いていたんですね」
「司令部の受付に、警告は届いていた。受領印も押されている。ここまでは言える」
クラウスは、そこで線を引いた。
「だが、ここまでだ。受付は、紙が着いて、受け付けられたことしか示さない。誰が読んだか。読んで何をしたか。それは、この行からは出ない」
「回付先の、第二係は?」
「そこへ回された、までは行に書いてある。第二係が何をする係で、誰がそこで紙を開いたかは、まだ何も分からない。ミロ、当日の指揮当番表を」
当番表は、受付簿と同じ箱に入っていた。ミロが日付を探し、指で行をたどった。
「第二係の当番の名は、この表には載っていません。載っているのは、現場の指揮の席だけです」
その欄に、名が一つあった。
――谷方面、前進部隊。現地指揮、ヴァルター・グレン。
ミロの手が、そこから動かなくなった。
「……この人」
「待て」
クラウスの声が、少しだけ硬くなった。
「この表が言っているのは、当日、谷方面の部隊の現地指揮という席に、この名があった、ということだ。それだけだ。第二係とこの人がどうつながるのかは、この表からは出ない」
「警告が回った先と、この人は、別に確認することなんですね」
「並べて置くだけだ。警告が第二係へ回付されたこと。谷方面の現地指揮の席にヴァルター・グレンの名があったこと。二つは別の事実で、間をつなぐ記録を、まだ見ていない」
「読んだ、ということではないですよね」
「ない。席にいたことと、紙を読んだことは違う。無視した、とも言えない。隠した、とも、まだ言えない。読んだとしても、その後に進軍を続けたのか、止めようとしたのか、止められなかったのか。それも、別の記録で確かめる」
ミロは頷いて、当番表の名を指から外した。
クラウスは控えの末尾に、今日の確認を書き足した。監視所から送信された。司令部で受領処理された。第二係へ回付された。同じ日、谷方面の現地指揮の席にはヴァルター・グレンの名がある。四つを分けて並べ、その下に、確認していないものを書いた。第二係からどこへ渡ったか。閲覧者。ヴァルター本人へ届いたか。その日の判断の記録。進軍維持の命令の経路。
「司令部の回覧簿、当日の指揮の記録、命令の綴り。どれも、受付より上の記録になる」
「軍の、もっと上の書庫ですね。見せてもらえるでしょうか」
「機密を理由に断られるかもしれない。断られたら、別の系統を探す。まず、照会の願いを出す。功績の根拠に関わる範囲として」
クラウスは一枚、新しい紙を引き寄せた。宛先の欄に、軍の名を書いた。
ミロは最後に、受付簿の第六三二号をもう一度見た。小さな字の、短い行だった。
「八年、誰もこの行を、見なかったんですね」
「見る理由がなかった。警告は、なかったことになっていたから」
クラウスは筆を置き、受付簿の頁を閉じる前に、その番号を指で一度だけ押さえた。
警告は、なかったのではない。届いていた。
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次回は明日19:10に更新予定です。
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