第10話 閉じた軍務記録
警告が司令部まで届いていたと確認した日の夕方、オスカーは評議会へ中間報告を出した。翌朝、返ってきた通知は短かった。新たな重大資料の確認が必要なため、任用審査をいったん保留する。就任式は延期し、最終報告の期限も追加調査が終わるまで延長する。ただし、七日ごとに進捗を報告すること。
軍の回答は、それから四日で届いた。
封を切ったのはクラウスで、読んだのは二人だった。紙は二枚。一枚目は挨拶と受理の確認で、用件は二枚目の三行目から始まる。
――照会のうち、司令部の回覧先、閲覧者の記録、当日の判断記録、および命令の経路については、開示できない。
「断られましたね」
ミロが言った。
「最後まで読め」
理由は、その下にあった。照会の対象は、当時の作戦判断、指揮系統、内部回覧に属する。これらは作戦上の記録であり、任用審査を理由とする外部照会には、閲覧権限を認めていない。ただし、受付以前の経路と、すでに閲覧を許可した簿冊については、この回答の対象外とする。
威圧する文面ではなかった。言い訳がましくもない。役所が、決まりの通りに書いた断りだった。
「理由は、成り立ちますね」
「成り立つ。作戦中の判断記録を、外の民間の調査所が見られるほうが、おかしい」
ミロは口を結んだ。腹立たしそうだった。
「調査所には、開示を命じる権限も、押収の権限もない。ここで『見せなければ報告書に書く』と言えば、権限を誇張した脅しになる。それはしない」
「じゃあ、止まりですか」
「まだだ。何を断られて、何を断られていないか。切り分ける」
クラウスは、警告の経路を追ったときの控えの末尾を引き寄せた。自分で書いた行が並んでいる。
「確認できたのは四つ。監視所から送信された。司令部で受領処理された。第二係へ回付された。当日、谷方面の現地指揮の席に、ヴァルター・グレンの名があった。今回断られたのは、その先だ。第二係から後の経路、誰が開いたか、ヴァルター本人へ届いたか、進軍の判断、命令、記録の変更との関係」
「全部、未確認のまま残るんですね」
「残る。それと、もう一つ。断られたことは、何も証明しない」
ミロが顔を上げた。
「閲覧を拒まれたのは、見られて困るからだ、とは言えないんですか」
「言えない。作戦の記録は、困らなくても閉じる。この拒否は、閉じているという事実までだ。警告を無視した証拠にも、誰かを庇った証拠にも、しない」
クラウスは回答書の一行を、指で押さえた。「受付以前の経路と、すでに閲覧を許可した簿冊については対象外」。
「ここだけは、軍も読み直す手間を省いている。軍が出せると考えている線が、ここに引かれている。だが、この線の内側は、もう見た」
「開示できる部分だけで、再照会しますか」
「やれば、回答は来る。だが、返ってくるのは、すでに見た受付までの記録だ。期限の日数を、同じ場所に使うことになる」
「拒否理由の範囲を、確認する手もあります」
「どこまでが作戦判断で、どこからが違うのか、と聞く手だな。聞けば答えるだろう。だが、答えが『全部、作戦判断』なら、一往復を失う。軍の中からは、今は進まないと見ていい」
ミロの手が、机の上の回答書の端を押さえた。
「軍の中からは」
「そうだ。見たかった出来事は、軍の外にも、何か残していないか。残していても、軍の書庫を開けずに探せる系統があるか」
クラウスは、言葉を止めた。ここから先は、彼が考えるより、彼の隣の男のほうが詳しい。
ミロは、しばらく黙っていた。回答書の「内部回覧に属する」という文言を、何度も読み直している。
「文書は、作った組織にだけ残るんじゃないんです」
ゆっくり言った。
「処理の目的ごとに、別の機関へ、別の形で残ります。軍が作った書類でも、軍の中だけで使われるものと、外へ出て使われるものがある。軍の中の回覧や判断記録は、作戦のために、軍の中で閉じています。でも、軍の外の機関が、軍から受け取って使った書類は、受け取った側の目的で保存されます」
「受け取った側の目的」
「兵籍と戦闘詳報で追えなくなった人が、補償の支給簿には残っていたのを覚えていますか。軍は、何があったか、誰が功績を挙げたかを整理するために、記録を作ります。名誉と、作戦と、人事のために、後から整えることもできる。でも、金を払う側は、払う理由を説明できなければ払えません。保存の目的が、そもそも違うんです」
「軍が整理した記録と、支給の根拠として必要になった書類が、別の紙になる」
「はい。支給するには、誰が、公務で、どういう状況で死傷したのかを示す書類が要ります。それは軍が用意して、軍の外へ出します。出した先で、予算の執行と、審査のために残されます。財務庁です。軍とは独立して、補償の原本を保管していると、制度の写しにありました」
クラウスは、机の隅の組織表を見た。財務庁。軍の下にはない。
「軍の閉じた記録を、こじ開けなくていい、ということか」
「そこまでは言えません。軍が外へ出した書類が、そこに残っているかどうかは、見てみないと分からない。でも、残る理由はあります。支給は、人ごとに根拠が要ります。軍の記録で省かれた人でも、金額を処理する都合で、行が必要になることがあります。あの支給簿の行が、まさにそうでした」
「残らない場合もある」
「あります。保存の期間、提出の形、組み替え。何もなかったなら、それも確認結果です」
クラウスは頷いた。ミロは、保存先と請求の経路を示した。その上に、何を請求するかを組むのは、クラウスの仕事だ。
彼は新しい紙に、三つ書いた。
一、竜災当日の公務上の死傷に関する、支給および審査の根拠文書。
二、軍から財務側へ提出された、添付および補足の資料。
三、それらの受領日、受領者、保存形態の情報。原本か写しか。
「三つ目は、中身を見る前に要るんだな、と思って入れました」
ミロが覗き込んだ。
「入れるべきです。受領の情報があれば、軍の側の回覧とは別に、提出された事実だけは確認できます」
「次は範囲だ。ここを広げると、通常の補償と、英雄認定に伴う特別加算が混ざる」
クラウスは、ペン先で二つの語を分けた。
「今回追うのは、公務死傷の処理が、何を根拠に行われたか。そして、軍から何が渡ったか。特別加算は、今は請求しない。英雄の認定が崩れたとき、給付が止まるのか、返すのか、別の制度に移せるのか。それはまだ、制度の上の結論を出さない」
「混ぜると、補償そのものを疑っているように読まれますか」
「読まれる。それに、受取人の氏名や金額の細目も、今回は求めない。遺族の暮らしの数字を、調査員が手にする理由がない。請求するのは、根拠と、提出と、保存だ」
ミロは少し笑った。
「範囲を、削ったんですね」
「削った。広げれば、断る理由を、こちらから渡すことになる」
そこへ、扉が叩かれた。オスカー・ローデン所長が、書類箱を片手に入ってきた。
所長は軍の回答書を取り、一度で読み終えた。
「軍の件は聞いている。処罰も圧力も、こちらの仕事ではない。断られた分は、断られたままで報告書に書く。書き方は、君に任せる」
「はい。財務庁へ、別の系統として照会を出します」
クラウスは三項目の紙を差し出した。所長は、受領情報の項を指で叩いた。
「ここは残せ。範囲は、マティアス・レーマンの任用に関わる、竜災当日の功績の根拠に限る。そう書いておけば、向こうも断るなら理由を書ける。断られても、こちらが傷を負わずに済む」
「そう書きます」
「保留になったからといって、時間が無限にあるわけじゃない。七日ごとの進捗報告は残っているぞ」
所長は箱を置いて、出ていった。権限を振るうでもなく、範囲を絞れと言っただけだった。
クラウスは宛先の欄に、財務庁と書いた。件名は短く。目的の欄に、重要職任用前調査と書き、請求項目を三つ並べる。最後の行で、筆が止まった。
「軍が外へ出した文書までは、同じように閉じられないかもしれない」
クラウスは、口に出してから付け足した。
「閉じられない、ではない。閉じられていない、かもしれない、までだ」
「はい」
ミロは受付簿の写しと、軍の回答書を揃えて、綴りへ入れた。閉じた簿冊のほうへ。
クラウスは封をして、押印した。
「残っているとは限らない。残るなら、この系統だ」
「残ります」
ミロは言った。声は、静かだった。
「軍が、何を整理して、何を外したとしても。支給には、根拠と、処理の跡が要ります。軍は、名誉のために記録を残します。けれど」
封の上に、彼の手が一瞬だけ置かれた。
「金を払った側は残します」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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