第7話 マティアスの沈黙
騎士団棟の応接室は、窓が広く、机が低かった。
マティアス・レーマンは先に来て座っていた。肩幅のある大柄な男で、膝に置いた手は節が太い。クラウスが入ると立ち上がり、ミロにも同じ深さで頭を下げた。
「王都経歴調査所のクラウス・フェインです。副団長任用前の、重要職経歴審査として伺いました。調査所に処罰や任命の権限はありません。ここで言われたことは、事実確認の控えになるだけです。答えたくない問いは、答えなくて構いません」
「承知しています。評議会から聞いています」
ミロは部屋の隅で筆を持った。質問はしない。記録だけだ。
「最初に、こちらが確認できたことを伝えます。あなたに関わる範囲だけです」
クラウスは三枚の紙を、順に机へ置いた。
「一つ。竜が斃れた午後二時前後、あなたは谷にいなかった。当直日誌は、その前後の時刻のあなたの所在を、後方集結所と記しています。命令控えと受付簿は、その間に同じ場所で、あなた名義の命令が処理されたことを示しています。谷との距離は三十キロです」
マティアスは紙を見て、すぐに顔を上げた。
「そのとおりです。私は谷にいませんでした」
即答だった。ミロの筆が一瞬止まった。
「二つ。推薦状の束に、あなたが竜を攻撃したところを見た、という一次証言はありません。三つ。軍の記録の一部は、後から整えられた形跡があります。整理を担当した者の供述もあります。ただし、誰が何のために命じたかは、まだ分かっていません。あなたが関わったとも、考えていません」
「私は記録を整える立場ではありません。ただ、そうですか、とは言えても、驚いたとは言えない」
「それは、あなたの感想として控えます」
クラウスは筆を取った。
「順に聞きます。あなたは、竜を殺したと公言しましたか」
「いいえ。自分の一撃で倒したとも、言ったことはありません」
「《北境の竜殺し》という称号は」
「叙勲のあと、人がそう呼び始めました。私の知る限り、いつからか、布告や式次第にも、その呼び名が載ったそうです。私が名乗ったものではありません」
クラウスは、その部分に「本人の供述」と添えた。
「叙勲の記録と推薦状の束を見た限り、あなた自身の署名の文書に、その語が出るものはありませんでした。束の外のことまでは、私には言えません」
「ないはずです。探していただいて構いません」
言い切りに、力みはなかった。クラウスは頷いて、次を聞いた。
「皆があなたを竜殺しだと理解している、と知ったのは、いつですか」
「竜が斃れたという急報が集結所へ届いたのは、夕方でした。私が聞いたのは、そこまでです。凱旋の列で、民が私をそう呼んだ。その時に、ああ、そう受け取られているのか、と」
「その場で、違うと言いましたか」
間があった。
「言っていません」
「なぜ」
「あの場で言えば、列が止まります。理由はそれだけではありませんが、順に話します」
「順に聞きます」
マティアスは、一度、両手を組み直した。
「あなたは、言葉尻で逃げる人間を、嫌うでしょう。私は、竜を殺したと言っていない。それは事実です。しかし、世間が私をそう理解していると知りながら、直さなかった。それも事実です」
クラウスは、その二つを別々の行に書いた。
「その二つは、同じ重さではありません。嘘を口にしなかったことと、誤った評価が定着するのを知って黙ったことは、別です。前者は、あなたの言葉の問題。後者は、あなたの選択の問題です」
「はい」
「後者の理由を聞かせてください」
「……遺族に、金が出ています」
クラウスの筆が止まった。
「補償であれば、第一の層として、死傷の事由に応じた給付があるはずです。公務戦死や負傷の補償は、私も支給簿で確認しています」
「それとは別です。私が聞いているのは、英雄の認定に伴う特別加算です。竜災で死傷した者の遺族へ、通常の補償の上に、認定を根拠として加えられる、と」
クラウスは筆を置かなかった。ただ、手を止めた。
「通常の補償は、誰がどこで死んだか、傷を負ったかで払われる。あなたが言うのは、英雄が認められたことで、上に乗る分、ということですか」
「そう理解しています。私の名に結びついた給付です」
「それを、何で知りましたか」
「遺族の方から、礼状が何通か届きました。加算のおかげで子が学べた、と。それと、認定の通知です。加算を付す旨の文面で、私にも写しが回ってきました。私が目にしたのは、その数通だけです」
「加算が、誰に、いくら、どう払われているかは」
「知りません。全員にか、どの範囲までか、私は把握していません。決裁の書類も、見たことがありません」
「分かった。ここまでを、あなたの回答として分ける。あなたが見たのは礼状と通知の写し。制度の中身は、あなたの知る範囲外」
ミロが頷いて筆を走らせる。
「では、訂正しなかった理由を」
「英雄譚を、私が否定したとします。すると、認定の根拠が揺らぎます。加算が止まるのか、返せと言われるのか、再審査で減るのか。私には分かりません。ただ、礼状の送り主たちの暮らしが、その上に載っているのは見えました。確かめもしないまま、私の一言で崩していいとは思えなかった」
「確かめましたか。訂正が加算にどう響くのかを」
「いいえ」
マティアスは目を伏せなかった。
「確かめれば、訂正の準備をしていると見られる気がしました。確かめなかった。それは、私の逃げです」
クラウスは、すぐには頷かなかった。
「遺族を守ろうとした、という説明は、聞きました。ですが、それで責任がなくなるわけではありません。誤った評価を知って放置した点は、調査対象として残ります」
「当然です」
「同時に、補償への影響を調べないまま、訂正だけを求めれば、別の被害を生みます。それも私は認めます。どちらも、報告書に必要な確認事項です」
クラウスは紙を二枚に分け、片方の見出しを書き直した。
「谷で戦った者について、あなたは何を知っていますか」
「ほとんど知りません。私は、崩れた指揮系統を立て直すのに手一杯でした。谷のことは、後から聞いた話と、公式の説明だけです。誰が竜に傷を負わせたのか、私は知りません」
「その人たちの名は」
「分かりません。分からないまま、私の名が、その上に立っています。誰かの働きと、誰かの汚名の上に。……そのことは、ずっと、喉に刺さっていました」
クラウスは筆を止めなかった。聞いたことを、そのまま書いた。
「控えを整理します」
読み上げる声は平らだった。
「記録。当直日誌上の所在は、午後二時の前後とも後方集結所。命令控えと受付簿上、午後二時の命令は同所で処理されている。推薦状に、攻撃を見たという一次証言はない」
一拍置いて、続ける。
「あなたの回答。竜が斃れた時刻に谷にいなかった。竜を殺したと公言していない。称号は人が呼び始めたもので、布告や式次第にも載ったと聞いている。これは本人の供述。違うと知った後も、訂正しなかった。理由は、特別加算への影響を恐れたため」
「あなたの推測。訂正すれば、加算が止まる、あるいは返還や再審査に至るかもしれない。制度上どうなるかは、確認していない」
「間違いありません」
「確認を要するのは、特別加算の根拠と、その仕組みです。あなたの推測が当たるのか、外れるのか。それを確かめずに、真相の訂正も、遺族の保護も、決められない」
クラウスは言葉を選んだ。
「それと、谷にいた人たちが、八年、なぜ自分から訂正を求めなかったのか。それも、本人に改めて確かめなければならない」
マティアスの肩が、わずかに動いた。それが誰を指すのかを、彼は聞かなかった。聞く立場にないと、分かっているようだった。
「報告書には、あなたが竜を倒していないことは書きます。事実だからです」
「書くなとは言いません。止める権限も、私にはありません」
マティアスは立ち上がらず、そのまま言った。
「ただ、これ以上調べれば遺族が困ります」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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