第6話 最初の小さな詰み
軍の記録閲覧室で許されたのは、戦闘詳報と兵籍の綴り、それに受付簿と回覧簿の閲覧だった。功績の根拠に関わる範囲。立会い付き。写しは出ない。
「戦闘詳報の末尾に、受付番号があります」
ミロが綴りの端を押さえた。
「第四四〇号。元にした資料の欄は、損耗票、受付第四〇七号。兵籍も、同じ四〇七を根拠欄に挙げています」
「二つの帳簿が、同じ資料から整えられたのか」
「はい。受付簿では、四〇七は竜災の三日目に受け付けられています。件名は損耗報告。ただ、綴りに現物がありません」
「所在が分からない、までだ。消えたとは書かない」
「書きません。問題は、こちらです」
ミロは回覧簿を開いた。
「第四三一号。竜災関係損耗の整理について。七日目に、記録の係へ回っています。四〇七を根拠にする兵籍の行は、大半が四日目までに起票されて、そのままです。回覧のあとに再受付で整理し直されたのは、一人目と三人目を含む数行だけ。九日目、第四三八号。戦闘詳報の今の形も、十日目で、回覧より後です」
「回覧簿が証明するのは」
「紙が、いつ、どこからどこへ回ったか。それだけです。中身も、誰が書いたかも出ません」
「それでいい。印は」
「同じです。回覧の受領印も、再受付の整理印も、戦闘詳報の署名欄の印も」
印の主は、窓口で分かった。今も同じ棟で、記録の整理に就いている。クラウスは面会願を出した。任用前調査に関わる記録処理の確認として、応じるかどうかは本人が決めてよい、と添えて。
翌日、返事が来た。会う、とあった。
閲覧室の隣の小部屋に、その男は来た。灰色の袖覆いをつけたまま、扉の前で一度立ち止まった。扉は開けたまま、廊下には窓口の係が立っている。
「呼んだのは調査所だが、ここで言ったことであなたを処罰することはできない。権限がない。答えたくない問いには、答えなくていい」
「……何を、お聞きになりたいのですか」
「この二枚の整理についてだ」
クラウスは兵籍の控えと支給簿の控えを並べた。三人目。病没と、公務上の戦傷死。
「同じ人物の死因が、二つの記録で違う。兵籍の事由欄を整えたのは、あなたの印だ」
男は紙を見ず、机の端を見た。
「分類を、揃えただけです。区分の言い回しは、時期によって整え直されます。私に、内容を判断する権限はありません」
「分かった。揃え直しで説明がつくか、一つずつ確かめる」
クラウスは指を一本立てた。
「転記の誤りなら、他の行と同じ頃に、同じ形で起きる。ミロ」
「他の行は四日目までに起票されて、そのままです。この行だけ、九日目に再受付で整理し直されています。誤りに気づいて直した、なら、あり得る形ですが」
「あり得る。だから捨てない。次。後送先で病没した、という可能性」
「兵籍の根拠欄に挙がっているのは、四〇七だけです」
ミロが言った。
「後送先からの死亡の報せは、根拠にされていません。病没と書くなら、それを挙げるのが普通です」
「省くことも、あります」
「ある。あなたの言うとおり、そこだけでは決まらない」
クラウスは頷いた。男の肩が、少し下がった。
「次に、分類の揃え直し。年次の整理なら、全行が再受付になる。実際は、四〇七を根拠にした一部の行だけが、回覧第四三一号のあとに動いている」
「……回覧は、日常です」
「そうだ。日常の回覧だ。だから中身は聞かない。聞くのは、それを読んだかどうかだ」
男は答えなかった。袖覆いの端を、指でつまんでいる。
「もう一つ、最初から病没と書かれていた、という説明が残る」
クラウスは続けた。
「その場合、四〇七の元の報せが病没で、あなたは写しただけになる。ミロ」
「写すだけなら、四日目までに済んでいます。再受付は要りません。この行だけが、わざわざ回覧のあとに、もう一度整理されています。最初に書かれたものと今の形が同じなら、二度目は起きません」
「一度目の中身は」
「番号からは出ません。ただ、二度目があった、という事実は、番号に残ります」
男の指が止まった。
「……八年、前です」
「そうだ」
「誰も、見に来ませんでした。番号が、残っているとは……」
クラウスは待った。急かさなかった。
「あなたを責めるために来たのではない。もう一度聞く。四三一を、読みましたか」
「……読みました。回覧は、読んで、印を押して、次へ回す。それが仕事です」
「そこに、何と」
長い間があった。廊下を、書類を運ぶ台車が通っていった。
「損耗票のうち、一部の者は、当日の参加や損耗と結びつけない書き方に整える。所属は編成替でまとめる。戦傷死は、軍側の記載を病没等にする。そういう方針でした」
「あなたの判断か」
「違います。私には、そんな権限はありません。……命じられて、そのとおりに整えました。元の損耗票どおりでは、ありません」
「三人目は」
「方針のとおりに、書き直しました」
「一人目の編成替は」
「所属欄は、示された表から写しました。移り先に本当に人がいたかは、見ていません」
「二人目の空白は」
「そこは、私ではありません。方針にあったかも、覚えがない。本当に」
クラウスは筆を止め、今の言葉をそのまま書かせた。男が本当のことを言っているのかどうかは、顔からは読み取れなかった。それでも、供述として書くことはできる。
「その方針を、誰が起案し、誰が決めたか」
「見えません。回ってくる紙には、回した係の印しか付きません。前も、先も、私には見えない。……知っていれば、言います」
ミロが回覧簿の頁を指した。回付元の欄には、番号の印がひとつあるだけだった。
「本当です。ここに、個人の名はありません」
「回付元は、整理の係より上のどこかだ。この紙が言えるのは、そこまでだ」
クラウスは控えを男へ回した。
「読んで、違うところは直してくれ。あなたが言ったことと、記録で確かめたことは、分けて書いてある」
男は端から端まで読み、一箇所を指で押さえた。
「『命じられた』と、書いてください」
「命じられた、とあなたが述べた、と書く。命じた者が実在したかは、別に確かめる」
「……それで、いいです」
男が去ったあと、ミロが息を吐いた。
「詰みましたね。逃げ道、全部塞がれて」
「塞いだのは番号だ。あの人の話は、まだ供述でしかない」
クラウスは控えの最後の行に線を引いた。
「供述だけでは、最終的な証明にならない。確かなのは、記載が少なくとも一部、後から整えられていること。その整理が、通常の回覧で来たこと。必要なのは、回覧の起点と、決裁の経路と、四〇七の原資料だ」
「探せますか」
「探す。その前に、聞いておく人がいる」
クラウスは兵籍の控えを閉じた。
「軍の記録が後から整えられていた。ならば、竜を倒した英雄、という像がどう出来たのか。マティアス殿は、その中で何を知り、何を名乗ったのか。本人に確かめなければ、先へ進めない」
「疑うんですか」
「疑う、ではない。確かめる。彼が何を言うかで、探す場所も変わる」
ミロは頷いて、控えを束ねた。
「でも、一つは言えますね」
「ああ」
クラウスは短く言った。
「記載を変えたのは、あの男の独断ではない。指示は、上から回ってきた」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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