第4話 封書に書かれなかった一語
返事は、封を出して四日目の朝に届いた。
窓口に預けられた封は薄く、中の紙も一枚きりだった。
――お話しします。調査所の部屋で、人のいる時間に。扉は閉めないでください。
署名は、リディア・セルン。
「来てくれるんですね」
ミロの声が上ずった。クラウスは紙の裏まで確かめてから、机の端に置いた。
「封は、居住の届けに残っていた宛先へ出した。署名付きの返事も来た。だが、来る人がその署名の本人かどうかは、会ってからの話だ」
「疑うんですか」
「確かめていないものを、確かめたとは書かない。それだけだ」
クラウスは面談室の扉を外から留め、開け放した。
「僕は、いたほうがいいですか」
「いてくれ。記録は君がとる。ただし、聞くのは私だ。本人が嫌がれば、君は外に出る」
約束の刻限より少し早く、女は来た。
くすんだ色の外套に、飾りのない鞄。年は二十代の終わりだろう。彼女は入口で足を止め、まず部屋の中を見た。窓の位置。開いたままの扉。二つの椅子。机の上に伏せて重ねた数枚の紙と、何も書かれていない白紙。それから、クラウスとミロの顔を順に見た。話す者と、書く者。
戸口にいちばん近い椅子に、彼女は腰を下ろした。
「始める前に、三つ言っておく」
クラウスは座らずに言った。
「扉は、このまま開けておく。彼は同席して記録をとるが、あなたが嫌なら外す。席を立つのも、答えないのも、いつでも構わない。そのことで、あなたに不利になることはない」
「みなさんに、そう言うのですか」
「あなたには、先に言っておきたかった」
リディアは答えず、膝の上で手を組んだ。
「封書を書いたのは、どちらですか」
「文面を決めたのは私だ。清書は彼がした」
「最初の数行に、罪名がありませんでした。人を呼び出す書面は、たいてい先に罪名を書きます。逃げ道を塞いでから、話を聞くために。誰かが、書こうとして止めましたね」
ミロが目を丸くした。クラウスは短く答えた。
「止めた。こちらが先に断じる形になる」
「それで来ました。来なくていいなら、来ませんでした」
礼でも好意でもない言い方だった。クラウスは頷き、ミロの前の紙に見出しを書かせた。
「今日の控えは、リディア・セルンと名乗る人の証言、として始める。書類で確かめられることは、別に分ける」
「名乗る、ですか」
「署名と来訪だけで、私が言えるのはそこまでだ。気を悪くしたなら謝る」
「いいえ」
彼女の目が、見出しの二字に留まった。
「その書き方なら、私が嘘をついても、あなたの記録は傷みません」
クラウスは、それには何も返さなかった。
「確認できている範囲から話す。違っていれば言ってほしい。まず配置簿から」
「配置簿からですか」
リディアは伏せた紙の束を見た。
「いちばん聞きたいことは、後ろにあるんでしょう。そこへ行くまでに、私が答えられる順に並べた」
「そのつもりだった。順を変えたほうがいいなら、あなたが選んでほしい」
「いえ。そのままで」
彼女のほうが、あとの順番を知っているような声だった。クラウスは一枚目をめくった。
「あなたが谷中ほど・東岩棚下の持ち場に配される予定だった、と配置簿にある」
「予定は、書いた人の都合です。当日のことは、その紙は言っていません」
「そのとおりだ。予定の記録として控える。次に、通信受領簿。午後一時十分、その持ち場からあなたの名で口上が届いたとある」
リディアの視線が、写しの一行で止まった。
「『竜、街道を南下中。当方は持ち場を動かず』」
「この口上は、本人のものか。誰かがあなたの名で出した可能性も、記録の上では排除できない」
間があった。廊下で人の通る気配がし、遠ざかった。
「私が言いました。伝令に、そのとおりに。竜が街道を下ってくるのが見えました。だから動かない、と決めて、それを伝えさせました」
「当日、あなたはその区画にいた」
「いました。東岩棚の下に」
クラウスは筆を取った。
「これは、記録ではなくあなたの証言として控える。書類だけで確定していたことにはしない」
「それでいいです。記録が私を証明してくれるなんて、思っていません」
「街道保守簿には、竜の死骸が同じ区画、岩棚の下で見つかったとある」
「……場所は、私の覚えているところと合います。合う、までです。竜がどう倒れたかは、まだ話しません」
線を引かれたのが、クラウスにも分かった。彼はそれを越えず、最後の一枚を表に返した。
「軍属の人事簿の写しだ。除籍の事由に、敵前逃亡・無断離隊とある」
リディアの顔から、表情がひいた。ミロが筆を止めた。
「それも、聞くのですね」
「処罰や追及のために出したのではない。調査所に、その権限はない。この記載と、あなたの当日の証言が両立するのか。私はそれを確かめたい」
「両立するか。どちらかが嘘だと、考えているんですか」
「まだ決めていない。両方が事実で、見ている面が違う、ということもある」
リディアはしばらく、クラウスの目を見ていた。
「その記載がいつ付いたのか。誰が、何を根拠に付けたのか。私がなぜ、八年も何も言わなかったのか。今日は話しません。あなたがそれを何に使うのか、まだ測れないので」
「分かった。記載は記載として控える。あなたが認めたとも、否認したとも書かない」
「……そうしてください」
肩の力が、ほんの少し抜けた。クラウスは頁を戻し、問いを切り替えた。
「聞きたいのは、竜の件だ。マティアス殿が竜を倒したとされている功績が、誰の行為に帰るのか。それを確かめるために、致命傷を与えた者の名を聞きたい。一人に絞れると決めているわけではない。まず、名を」
「誰が倒したか。聞きたいのは、そこですよね」
リディアは先に言った。
「一人の名を言えば、その一人がやったことになります。その前に立っていた人も、後ろで支えた人も、記録のどこにも残らない。あなたの問いは、そういう形をしています」
クラウスの筆が止まった。机の上の控えの「誰が」の二字を、彼は見た。
「……問い方を変える。竜に向かったのは、何人だ」
彼女は答えるまでに、一度だけ息を入れた。
「私を含めて、十一人です」
ミロが顔を上げ、索引帳を開いた。配置簿の写しと並べ、指で行を追い、止めた。
「東岩棚下の行にある名の数は、十一と一致しません。それに、あの行の全員が当日そこにいたとは限りません。逆に、別の持ち場から来た人が混じっていたなら、その名は配置簿のほかの行にあります。在所欄にも、確認の印が付いていない行が残っていて、そこも――」
「照合の対象だ」
クラウスが引き取った。
「ただし、数が合わないから誰かが欠けた、と決めない。配置を予定された者。実際に集まった者。記録に名の残る者。三つが重なるとは限らない」
「予定どおりに集まったんじゃありません」
リディアが言った。
「そういう隊が、前から決まっていたわけではないです。あの日は、あちこちが崩れていました。持ち場も、命令も。居合わせた者が、その場でまとまっただけです。兵も、私のような軍属も」
「その十一人の名を、聞かせてもらえるか」
「今日は言いません」
断りは穏やかで、動かなかった。
「あなたたちを、まだ見極めている途中です。それに、名前は一度記録に載ったら、載った本人だけの話では済みません。答える範囲は、私が決めます」
クラウスは筆を置いた。手を伸ばせば取れるものを、ここでは取らないと決めた顔だった。
「分かった。今日の控えを整理する。あなたの証言として、当日あの区画にいたこと。口上は、あなたの意思で伝令に託したこと。竜に向かったのが、あなたを含めて十一人だったこと。その十一人は、予定された編成ではなかったこと」
ミロが書いたものを、彼は読み上げた。
「確認していないのは、十一人の名。個々に何をしたか。致命傷の主。人事簿の記載との関係。この控えに、あなたの本人性を確定する材料は入れていない」
「見せてもらえますか」
クラウスは紙を回した。リディアは端から端まで読み、一箇所を指で押さえた。
「『編成ではなかった』のところは、このままで。変えないでください」
「変えない」
彼女は紙を返した。
「次は、十一人と、既存の記録の突き合わせになる。あなたの名が出る記録を、その十一人の側から読み直すことになる」
「読むのは、あなたの仕事でしょう」
リディアは立ち上がり、外套の襟を直した。扉は開いたままで、廊下の光が床に伸びていた。
「見つけた名前を、一人ずつ、別々の話にしないでください」
戸口で、彼女は振り返らずに言った。
「私一人の話じゃない」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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