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その英雄、竜を殺していません ~王都経歴調査所は英雄譚を記録から確かめる~  作者: 瀬川 理久


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第2話 三十キロの矛盾

 請求した資料は、翌日の午後に三つの木箱で届いた。


 ミロ・ベルツは蓋を開けるなり、中身を三つの山に分けて机へ並べた。昨日の推薦状の山と違い、こちらは背表紙の色がそろっている。


「配置簿は軍務記録、里程表は輸送の分類です。馬は結局、輸送じゃなくて厩舎の管理簿でした。それと、後方集結所の受付簿も取り寄せてあります」


「請求には入れていない」


「命令の控えには、受付の写しがつく決まりなんです。昨日の一枚、受付印はあっても受付簿の側の記載は見ていないでしょう。控えと簿冊は別々に残るので、両方そろわないと照合になりません」


 クラウスは一拍おいて、うなずいた。


「助かる。昨日の記録との照合から始める」


 まず、昨日の命令を机の中央に置く。マティアス・レーマンの署名、内容は負傷兵の後方撤収と部隊再編、差出地点は後方集結所。ミロの出してきた受付簿の該当行を並べると、同じ命令が同じ日の午後二時に受け付けられていた。控えと簿冊で、時刻も差出地点も食い違わない。


「この命令が出された地点と、竜が倒れた地点の距離を確認したい」


「それなら、配置簿の現場側の記載と、軍用の里程表を突き合わせれば出せます。竜が倒れたのは配置簿で言うと、北街道の谷の中ほどです」


 ミロは配置簿の付録から、部隊日誌の抜粋を引き出した。谷に最も近い持ち場にいた部隊のものだった。日付の下に、短い一行がある。


 ――竜、斃れる。午後二時前後。


「時刻は幅のある書き方だな。前後三十分は見ておく」


「ですね。日誌は後から書くことも多いので」


 クラウスは配置簿の本体に戻り、その日の朝の配置表を開いた。部隊ごとの持ち場が一覧になっている。マティアス・レーマンの名は、後方集結所の指揮所の欄にあった。谷の側の欄には、どこにも載っていない。


「朝の時点で、所在は集結所。これは配置を決めた側の記録だ。本人の行動を見て書いたものではない」


「でも、配置が途中で変わったかもしれませんよね」


「変わったなら、変更の記載が残る。配置簿は、そのために日付と時刻を入れる帳簿だ」


 ミロは該当の頁の上下をめくり、「この日、マティアス隊の持ち場の変更は、ありません」と答えた。


 次に里程表。ミロは表紙の改訂年を確かめ、「竜災の年の版です」と言ってから該当の頁を開いた。軍用の行軍路は区間ごとに里数が刻んである。後方集結所から関門まで十一キロ、関門から峠口まで八キロ、峠口から谷の中ほどまで十一キロ。


 クラウスは指で順に追って、足し合わせた。


「三十キロ」


「ぴったりですね。地図で見ても、間に尾根が走っているので、真っすぐ近道もできません」


 ミロが地図を広げ、街道の曲がりを指でたどる。ここまでで、命令の出された地点と、竜の倒れた地点が、三十キロ離れていることは動かなくなった。


「これで、もう十分じゃないですか。三十キロですよ。一人の人間が、命令を出しながら竜と戦える距離じゃありません」


「距離だけだ」


 クラウスは里程表を閉じなかった。


「三十キロ離れていても、馬を飛ばせば、という反論が出る。距離は、時間と組んで初めて意味を持つ。通常の手段でどれだけかかるのかを確かめるまでは、言えない」


「慎重ですね」


「確かめられることを確かめていないだけだ」


 ミロは苦笑して、厩舎の管理簿を引き寄せた。馬の貸出と継ぎ替えが、頭数と時刻で記される帳簿だ。


「同じ区間なら、この日に伝令が走っているはずです。馬を継ぎ替えながら走る緊急伝令は、軍がこの区間で使う一番速い手段です。管理簿で『急』の印がつくのは、基本的にそれだけなので」


 該当の行はすぐ見つかった。谷の側の持ち場から後方集結所へ向けた急報で、出発は午後二時二十分。途中の二か所で馬を替え、集結所の受付簿には午後四時五十分の受領が記されている。急報の中身は、竜が斃れたことの一報だった。


「二時間半か」


「継ぎ替えの馬を使って、です。荷馬車なら、もっとかかります」


「この日の一件だけでは、たまたま遅かっただけかもしれない」


 クラウスは管理簿の前後の頁をめくらせた。同じ区間に『急』の印がついた行は、ほかに数件あった。かかった時間は、どれも二時間半から三時間ほど。これより大幅に速い例は、一つもない。


 クラウスは受付簿に戻り、同じ頁の上下を確かめた。午後二時の命令の前後にも、後方集結所で別の受付が連続している。命令の発出地点は、受付簿の側からも動かなかった。


「輸送の記録も見たい。命令の中身が、本当にそこで実行されているか」


 ミロが里程表と同じ木箱から、輸送の出発簿を取り出した。負傷兵を乗せた荷馬車が、午後二時半から三時にかけて、後方集結所から続けて出ている。再編後の部隊名は、命令の記載と一致した。命令は紙の上だけでなく、集結所で受け取られ、その場で動いていた。


「ただ、これは命令が動いたことの証明だ。本人がそこにいたことの証明にはならない」


 クラウスは命令の署名を指で叩いた。


「署名が誰の手で書かれたにせよ、命令書の外で、本人の所在を押さえたい。英雄譚とは関係のない、日常の記録で」


「それなら、集結所の指揮所の当直日誌です。受付簿と同じ棚に綴じてあったので、一緒に持ってきました。当直の士官が、交代のときの引き継ぎ用に付けているものです」


 ミロが差し出した日誌は、命令書とも受付簿とも、筆跡が違った。引き継ぎのための走り書きで、並んでいるのは物資の数や人員の出入りばかりだ。午後の頁に、短い行が二つあった。


 ――午後一時五十分。マティアス・レーマン、負傷者の搬送順を確認。重傷者を先とする。


 ――午後二時四十分。第二便の出発に立ち会い。


 竜の話は、どこにも出てこない。この日誌は、誰かを英雄にするためのものではない。次の当直に、何が済んで何が残っているかを伝えるためのものだ。その目的で書かれた行に、本人の名が、二度、午後二時を挟んで並んでいた。


「命令書と受付簿が示すのは、二時の集結所での処理まで。本人の所在は日誌で初めて」


「ああ。別々の記録が一致した」


「整理する」


 クラウスは四枚の紙を並べ、一枚ずつ指で押さえた。


「午後一時五十分、当直日誌に、集結所にいるマティアス殿の名がある。午後二時には、命令がそこで受け付けられている。一方、竜が斃れたという急報が谷を出たのは、午後二時二十分だ。急報が出た以上、竜は遅くとも二時二十分には倒れている。部隊日誌の『二時前後』とも合う」


 クラウスは当直日誌の一行と、管理簿の一行を並べた。


「一時五十分から二時二十分まで、三十分。その間に、集結所から谷までの三十キロを移さなければならない。軍が使う最速の伝令で、谷から集結所まで二時間半かかる区間だ。三十分では、どうやっても足りない」


「しかも、二時四十分にも、集結所に本人の記録があります」


「そうだ。仮に二時二十分に谷で竜を攻撃していたなら、その二十分後に、三十キロ離れた集結所で第二便の出発に立ち会えたことになる。どちらの方向から数えても、成り立たない」


「命令を谷で書いて、集結所へ届けさせた可能性もある」


 ミロが先回りして言った。


「届くまでに二時間半かかるなら、受付の午後二時に合いません。それに当直日誌では、本人が集結所で動いています」


「そこまで自分で言えるなら、私が言うことは少ない」


「言ってください、せっかくなので」


「竜が倒れた時刻に、マティアス殿が谷で竜を攻撃していたとは考えられない。位置と時間の記録上、成立しない」


 紙の上には、ここまでの数字がそろっている。別々の目的で作られた帳簿が、同じ一点を指していた。命令の受付簿も、当直日誌も、部隊日誌も、里程表も、馬の管理簿も、誰一人マティアスの話をするために書かれてはいない。


「ただし、そこまでだ。誰が竜を倒したのか、なぜマティアス殿が英雄になったのか、そこは何も分かっていない」


「分かってないって、誰かが意図的に――」


「それも、まだ言えない。マティアス殿が偽りの英雄だと決まったわけでもない。本人は、竜を殺したと一度も言っていないんだ」


 クラウスは、昨日自分が口にした言葉を、そのまま繰り返した。位置と時間が合わないことと、その人物が嘘をついていることは、同じ意味ではない。そこを混ぜれば、今度は自分が推薦状を読んだ人間たちと同じことをする。


 ミロは口を閉じて、机の端にまとめてあった推薦状の束へ目をやった。


「じゃあ、あの手紙は全部、嘘だったってことですか」


 クラウスは答えず、中央と右の山から三通を抜いた。後方で指示を受けていた者と、現場にはいなかった者の手紙。昨日は「結果への感謝」としてまとめて脇へ置いた文面を、今度は一行ずつ読み直す。


 ――マティアス殿の指示で、退路が確保された。


 ――彼の指揮がなければ、我々は助からなかった。


 ――マティアス殿のおかげで生き延びた。


 昨日は、どれも「英雄への称賛」として読んでいた。竜を殺した男への感謝だと。だが集結所から命令を出し、撤収と再編を指示した人間への言葉として読めば、そのまま成り立つ。退路を確保した。指揮で助けた。生き延びた。どれも、竜と戦う必要のない功績だ。


「虚偽だと判断する材料はない」


 クラウスは言った。


「少なくとも、今確認した記録とは矛盾していない。書かれていることが全部事実かどうかは、まだ確かめていないが。読む側が、英雄を竜を殺した人間と結びつけていたのかもしれない」


「みんなが、勝手に?」


「勝手に、かどうかは分からない。今のところ、嘘をついている人間は見つかっていない。それなのに、英雄譚だけが事実とずれている」


 ミロは手元の推薦状をもう一度めくった。どの文面にも、確かに竜の話は出てこない。出てくるのは、助けられたという事実だけだ。


「マティアス様って、本人は何て思ってたんでしょう」


「本人に聞くのはまだ先だ」


 クラウスは叙勲の記録を引き寄せた。


「問いが変わった。マティアス殿が竜を倒していないなら、竜が倒れた谷には誰がいたのか。経歴を追うのをいったんやめて、あの場所にいた人間を洗う」


「現場側の名簿なら、配置簿の最終確定版があります。本隊の編成に載った者と、載っていない者とで別の欄になっているはずです」


 ミロが頁を繰り、谷の持ち場の在所欄を開いた。名前が縦に並び、右端に状況欄がある。戦死、負傷後送、帰還。クラウスが叙勲の記録と一人ずつ突き合わせていくと、説明のつく行は多かった。生還した者の多くは叙勲か、通常の勤務へ戻っている。叙勲とも戦死とも結びつかない行も、いくつか混じっていた。それは後で洗うことにして、ひとまず印だけつけていく。


 その中に、ひときわ説明のつかない一行があった。


 在所欄には名がある。竜の倒れた谷の中ほどに、いたと記録されている。だが叙勲の記録には載っていない。英雄譚に出てくる名前の一覧にも、見当たらない。状況欄には、他の誰とも違う語が書かれていた。


 ――除籍。敵前逃亡・無断離隊。


「……脱走兵?」


 ミロが声に出した。クラウスは答えなかった。


 竜が倒れた谷にいた人間が、なぜ、竜から逃げた者として記録されているのか。


 クラウスは、その行を指で押さえたまま、しばらく動かなかった。

ご覧いただき、ありがとうございます。


本日は初日のため、3話投稿いたします。

次回は本日19:10に更新予定です。


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Xからきました。 物語の世界観や登場人物の描写が丁寧に書かれていて、作品を大切にされていることが伝わってきました。 今後の執筆活動も応援しております
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