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その英雄、竜を殺していません ~王都経歴調査所は英雄譚を記録から確かめる~  作者: 瀬川 理久


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第1話 その英雄、竜を殺していません

 ミロ・ベルツが両腕いっぱいに抱えてきた書類の束を机に置いたとき、クラウス・フェインはまず厚みに目をやった。朝一番の受付棚から運んできたのだろう、紙の角が少し湿っている。


「マティアス・レーマン様の任用審査、受理されました。副団長候補の経歴確認です」


 ミロは息を切らしながら、束の角をそろえるように机へ押しつけた。開所前の調査所はまだ静かで、窓の外では荷馬車が石畳を鳴らしながら通り過ぎていく。王都経歴調査所の仕事は、重要な地位に人を就ける前に、その人物の経歴が本当かどうかを確かめることだ。難しい話ではない。王宮や騎士団、学院や商会が、採用や昇進の前に調査を依頼してくる。現場で何があったかを確かめ、分かったことだけを報告する。それだけの仕事だった。


「副団長候補か」


「しかも《北境の竜殺し》ですよ。勲章も複数、推薦状もこんなに分厚い」


 ミロが指さした束の表紙には、竜の意匠を刻んだ略章の写しが留められていた。軍歴、叙勲記録、北境竜災における功績の概要、そして推薦状の束。就任式まで十八日、報告書の期限は十四日後と表紙の余白に走り書きされている。


「普通に見れば、調べるまでもない経歴ですね。むしろなんでこんな人を調べるんだって話じゃないですか」


 ミロの言葉に、クラウスはすぐには答えなかった。代わりに推薦状の束をほどき、封を一通ずつ切っていく。机の上に紙の匂いが広がった。


 十通ほどあった。北方守備隊の将官、王都の有力な貴族、竜災の遺族会の代表者、かつての同僚だったという騎士。差出人の肩書はどれも立派だった。クラウスはそれを一通読むごとに、無言で三つの山へ分けていく。


「何してるんです、それ」


「分けている」


「見れば分かりますけど、何を基準に」


「この人物が竜災の現場にいたかどうか。いたとして、マティアス殿本人の行動を見て書いているかどうかだ」


 ミロが机に身を乗り出して覗き込む。一番右の山が最も厚い。現場にはいなかった者たちの手紙だった。「マティアス殿のおかげで生き延びた」「彼こそが北境の英雄である」「その働きに救われた者は数知れない」――評判と伝聞だけを根拠にした称賛が並ぶ。北方守備隊の将官は「マティアス殿の指揮がなければ、我々の多くは北境に骨を埋めていただろう」と記し、王都の貴族は「かの英雄の武勇は、もはや疑う者とておるまい」と締めくくっていた。いずれも力強い言葉だったが、本人の行動そのものを語ってはいない。


 真ん中の山は、現場にはいたものの、マティアス本人の動きまでは見ていないと書いている者たちのもの。後方で指示を受けていた、別の持ち場にいた――そう断った上で、結果への感謝だけを記していた。


 左の山は、さらに薄い。現場にいたことを前提に、マティアス殿について直接書いている差出人の手紙だけが、そこに積まれていた。


 クラウスはその左の山を、もう一度頭から読み直した。一行ずつ、指でなぞるように。


「おかしい」


「何がです」


「現場にいたと書いている者の手紙でさえ――」


 クラウスは一通を指で押さえた。


「マティアス殿が竜へ攻撃を加えたところを見た、という一文が一つもない」


 ミロが黙って手元の推薦状を覗き込む。何度読んでも、そこにあるのは感謝と称賛だけだった。誰かを助けた、誰かの指示で救われた、彼がいたから持ちこたえた。だが、竜と刃を交えた瞬間そのものを語る言葉は、どこにも見当たらない。


「気のせいじゃなく、ですか」


「十通もあれば、一通くらいは書く。特にこれだけの英雄譚なら、自分が見たと誇りたくなるものだ」


「言われてみれば……でも、それだけじゃ何も証明できませんよね」


「ああ。だからまだ何も言わない」


 クラウスはいつもそうしている。推薦状そのものを疑っているわけではない。ただ、推薦状は誰かが誰かを評価した結果であって、その場で何が起きたかを語るものではない。結果と出来事は、同じ紙の上に並んでいても別物だ。その区別をつけずに読めば、どんな書類も実物より立派に見えてしまう。


 クラウスは推薦状を脇へ寄せ、束の底から別の資料を引き出した。竜討伐当日の、負傷兵後送と部隊移動に関する業務記録だった。ミロが持ち込んだ束の中に、調査対象とは直接関係のない添付資料として紛れていたものだ。


 時刻の欄を指でなぞる。竜が倒されたとされる時刻帯に、マティアス・レーマンの署名で出された命令が記録されていた。内容は後方への負傷兵撤収と、部隊再編の指示。差出地点の記載は、討伐が行われたとされる場所とは異なる区画になっていた。


 クラウスはその一枚を何度か見返し、受付の控えや別の報告書と突き合わせた。受付印、署名、時刻。いずれも体裁は整っている。偽造や改変をうかがわせる不自然さは見当たらない。


 念のため、束の中にあった部隊編成の控えにも目を通す。命令を出した部隊の名と、負傷兵を担当していた部隊の名が一致することを確かめた。別々の書類が、別々の経路で同じ記載を示している。


「同じ時刻帯に、マティアス殿が別地点から命令を出していたことを示す記録がある」


「それって、同時に両方の場所にはいられない、ってことですか?」


「まだそこまでは言わない。同じ時刻だったのか、移動できる距離だったのか――確かめることはいくつもある」


 クラウスは記録を脇に置いた。一枚の文書だけで何かを断定するつもりはなかった。


「竜討伐当日の部隊配置記録、全体を見たい」


「配置記録なら軍務記録の分類ですね。この束には概要しか入ってないので、原本請求が要ります」


 ミロは手元の索引帳を広げ、該当の分類番号を指でたどった。どの資料がどこに眠っているか、ミロはいつも迷わず言い当てる。クラウスが何を見るべきかを決め、ミロがどこにあるかを答える。それが二人のあいだで自然にできあがった役割分担だった。


 扉が開いて、所長のオスカー・ローデンが顔を出した。


「随分と机が賑やかだな」


 机の上に広がった三つの山と一枚の業務記録を見て、オスカーの目つきが変わった。


「副団長候補の調査で、何か引っかかったか」


「マティアス殿が竜を攻撃した、あるいは竜を殺したという一次証言がありません」


「よくある話だ。英雄譚というのは、本人よりも周りの言葉で膨らむものだからな」


 オスカーは椅子を引き寄せ、腰を下ろした。かつて王宮に勤めた男の目は、軽々しくは動かない。だが推薦状の山をもう一度見やり、わずかに眉を寄せた。


「マティアス殿が竜を殺した、という経歴は確認できません」


 クラウスは、調査結果を読み上げるような口調でそう言った。


 オスカーの表情から、面白がるような色が消えた。


「経歴詐称か?」


「いいえ」


 クラウスは首を横に振った。


「それが問題なんです。マティアス殿自身は、一度も『自分が竜を殺した』とは言っていません」


 部屋が少しのあいだ静まった。ミロが口を開く。


「じゃあ、誰がそう言ったんですか」


「王国中が、です」


 クラウスは三つの山を見比べながら続けた。


「本人が言っていないことを、なぜこれほど多くの人間が事実として語っているのか。私が調べるべきはそこです」


 オスカーはしばらく推薦状を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。


「分かった。好きにやれ。ただし――任用審査は人の立場に関わる。急くな。期限は十四日後、就任式はその四日後だ。時間はあるようでない」


「心得ています。まだ何かを証明できたわけではありません。確かめるべきことが見つかっただけです」


 オスカーはその言い方に小さく笑った。


「そういうところは、相変わらずだな」


 オスカーが部屋を出ていくと、クラウスはミロに向き直った。


「竜討伐当日の配置記録、移動記録、馬匹と輸送の記録。原本で請求してほしい」


「分かりました。配置記録は軍務記録の分類、移動記録は輸送関係の記録です。馬匹の記録は……ちょっと探しますね、たしか別系統だったはずです」


 ミロは索引帳を小脇に抱え、早足で部屋を出ていきかけて、戸口で一度だけ振り返った。


「クラウスさんがそこまで言うってことは、結構な話になりそうですね」


「まだ何も言えない。資料が揃ってからだ」


 ミロは肩をすくめて廊下へ消えた。


 クラウスは机に残った一枚の業務記録を、もう一度手に取った。討伐地点とは異なる場所に記された署名。


 誰もが知っている英雄譚の真ん中に、本人の言葉は一つもない。だとすれば、残る問いは一つだけだ。


 竜が死んだ刻、マティアス・レーマンはどこにいたのか。

ご覧いただき、ありがとうございます。


本日は初日のため、3話投稿いたします。

次回は本日12:10に更新予定です。


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